2018年に読んだ本」タグアーカイブ

ロバート・A・ハインライン『地球の緑の丘』(矢野徹・訳、ハヤカワ文庫SF)

2018年最後の1冊はこれ。

先に読んだ『猫SF傑作選 猫は宇宙で丸くなる』の「あとがき」で、収録したかったけど果たせなかった作品として紹介されていたもののうち、興味を惹かれた『宇宙での試練』が収録されているので、読んでみた。

『猫は宇宙で…』の感想にも書いたことだが、「猫が猫のままでありながら重要な役割を演じる」というのが猫好きにとっては大事なポイントであって、その意味で、ハインラインは正統派の猫SF作家なのだということを再確認した。

他の作品も悪くない(←おざなり)。月並みな表現だが「詩情溢れる」SF作品がいくつもある。ハインラインの時代、1つの死のパターンとして「放射線を浴びて死ぬ」(本書の訳文では「放射能」になっているが)というのが有力だったのだなぁというところにある種の感慨を覚える。

 

 

 

井手英策『幸福の増税論』(岩波新書)

Facebookの友人が、本書を薦める投稿をシェアしていたので、気になって図書館で借りてみた。

10%への消費増税をめぐって賛否が別れるなかで、数値としての結論だけ言ってしまえば、この本で必要とされる消費税率は「19%」である。

これを(読む前から)「面白そう、読んでみよう」と思ってしまうかどうかは、人のどんな特性で決まるのだろう。とりあえず私は、読んでみようと思った口。

経済成長を前提とした「勤労・倹約」を旨とする自己責任社会というビジョンはもう成立しないことを示し、その対案として(現政権支持者が大好きな「対案」)、国・地方自治体による「ベーシック・サービス」の提供を通じた「頼りあえる社会」というビジョンを提示する。

防衛費や公共事業などの「無駄」を削ることではその原資は調達できず、かといって富裕層への課税強化「だけ」でも筋が通らず現実味がないことを示すなかで、上記のような消費増税(実際に19%になるかどうかはともかく)を含めた「パッケージ」の必要性が示される。

むろん、消費税の逆進性云々といった批判への目配りも怠りない。

根拠となるデータや試算について一つ一つ検証することは私の能力の及ぶところではないけど、この本が面白いのは、何よりもまず、「きたるべき社会の姿を堂々と語る」という、いわば社会のグランドデザイン、ビジョンを提示することを旨としている点だ。ジャンルは違うが『憲法9条の軍事戦略』あたりとも共通する、時間的な視野の広さを感じる。

それだけに、そのビジョンの実現にはそれこそ革命的と言ってもいいくらいの社会的な意識の転換が必要だし、「この筆者のビジョンが実現する以前にこの社会は滅ぶんだろうな」という予感の方が強いのは確かなのだが。

 

 

 

斎藤慶典『フッサール 起源への哲学』(講談社選書メチエ)

平尾剛史さんがTwitterで絶賛していたので図書館で借りてみた。

うむ、面白かった。

わりと最近読んだ『時間とはなんだろう』『重力とは何か』といった物理学の本を読んでいて、隔靴掻痒というか、「どうしてそんなおおざっぱな思索で納得できるんだ」と思っていたことが、「自然科学の素朴性」というフッサールの言葉で表現されていて得心がいった感じ。

といっても、こういう哲学的な探求を突き詰めたからといって、そういう「素朴な」自然科学の妥当性がわずかなりとも減じるわけではないので、そのへんは両立可能なのだけど。

それにしても、「神」を最終解として持ち出すことが許されなくなった時代の思索というのは、実に厳しいというか、変な言い方になるけど「禁欲的」なのだなぁと改めて思った次第。本書を読んでいても、「ああ、そこで『神』と言ってしまえれば楽なのだろうなぁ」と思うことが頻繁にあった。

 

『猫SF傑作選 猫は宇宙で丸くなる』(竹書房文庫)

たぶん『トリフィド時代』をAmazonで検索したときに関連で表示されて知ったのだと思う。タイトルどおり、猫(あるいは猫に類した異星生物)が活躍する短編SF集(ファンタジー的なものを含む)。

「ベンジャミンの治癒」が一番よかったかな(スプラッターな部分はあるが)。「宇宙に猫パンチ」もけっこういい。

どの作品を読んでも感じるのは、要するに、猫が超人的、ではない、超猫的な能力を獲得して大活躍してしまう、あるいは災厄をもたらす話というのはあまり面白くない、ということだ。上に挙げた二つも、そうした要素と無縁ではないのだけど、猫はあくまでもワガママで基本的にはおバカだけど妙なところで賢く、暇さえあれば寝てばかり、というのが猫好きにとっては最善である。その意味でやはり、猫が猫のままでありながら重要な役割を演じる『夏への扉』が猫SFの最高傑作であることは間違いないのだろう。といっても読んでからだいぶ経つので、また読み直したい気に駆られている。

 

大栗博司『重力とは何か~アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る』(幻冬舎新書)

先日読んだ『時間とはなんだろう』で参考文献として紹介されていて、読んでみようと思った本。そこでは「本書では簡単にしか触れられなかったホログラフィー理論についても詳しく書かれている」みたいに紹介されていた。

数学にせよ物理学にせよ、この手の本はたいていの場合途中からわけがわからなくなってくるのだけど、しばらく前から、そうやって「途中からわけがわからなくなる」体験を何冊もの本で繰り返していると、だんだんその境界が先に進んでいく(ああ、これは例のあれね、みたいな感じで)ような気がしている。今回もそれなりに先まで進めたが、やはり超弦理論のあたりに来ると、かなり???になる……。『素粒子論はなぜわかりにくいのか』のいわば「場の一元論」が今のところ一番最後までしっくり来たかな。

ところでホログラフィー理論については、「そうなるとどうしてもアレを連想してしまうよなぁ」と期待しながら読んでいたら、著者もやはり言及していたので、なんとなく満足(笑) 何って、プラトンの「洞窟の比喩」なんだけど。

朝日新聞 迫る2025ショック取材班『日本で老いて死ぬということ』(朝日新聞出版)

「2025年問題」といっても、大阪万博の話ではない。いわゆる団塊の世代がすべて75歳を越えるタイミングで、都市部を中心に介護・医療現場が破綻する状況を指す言葉。この本は、そうした問題意識のもとに朝日新聞横浜総局の特別取材班が行った取材・連載をまとめたもので、特に病院以外のさまざまな医療・介護の現場や、そこでの死のあり方、そして遠距離介護やダブルケアなど困難な状況が描かれている。

幸いにして(いや不幸にして、なのだろうが)私が実の老親を介護する必要はないのだが、とはいえ、親族や友人知人が介護に悩む状況を迎える可能性は非常に高い、というか現実にそういう話は見聞きしている。この本を読んでいると、むしろ相対的には身軽な私のような人間が、「プチ熱い人」として何らかの貢献を期待されるようになるのかなぁ、という気がしてくる。今住んでいるマンションも見るからに(?)高齢化しているし、他人事でもなかろうなぁ…。

それにしても、こんな本を読んでいるタイミングで伯母の急逝という状況を迎えるとはね。

 

ジョン・ウィンダム(中村融・訳)『トリフィド時代(食人植物の恐怖)』

いやはや、面白かった。

実はこの作品、40年近く前に読んだことがある。恐らく小学校高学年から中学1年生くらいまで、まぁそれくらいの年頃の読書好きの子供にはありがちな話だけど、SFに強く惹かれた時期があった。古今東西の名作を紹介した本を参考に、面白そうだと思ったものを読んだなかの一つが、この作品。当時は『トリフィドの日』というタイトルだった(恐らく1960年代の峯岸久氏の訳)。

この新訳には、「食人植物の恐怖」という、いかにもB級っぽい副題がついているし、たぶん子供の私もそういう分かりやすさに惹かれて選んだのではなかろうか。確かに、人間の天敵となる植物(=トリフィド)のことしか覚えていなかった。

しかし今回読み返してみたら、確かにトリフィドも印象的ではあるのだけど、それよりもむしろ、「人類ほぼ滅亡」の状況のなかで生き残ったわずかな人々がどのように文明/社会を再建していくか、というのがメインテーマであり、そこで文明観/社会観が分岐・対立していく様子が面白い作品だった。

これは小松左京『こちらニッポン』にも共通する要素で、やはり私はSFとしてはこういう設定が好きなのだなぁと再確認。確か『こちらニッポン』の解説で誰かが「小松左京のすごいところは、大きな嘘(架空の設定)を一つだけついておいて、あとは徹底してリアリズムを貫くところ」と評していたのだが、この作品もそんな感じ(まぁこの作品では「人類ほぼ滅亡」と「トリフィドの存在」と、二つの大きな嘘があるのだが)。

著者自身は続編を書いていないのだが、2001年にこの作品の発表50周年を記念して、別の作家が遺族公認の続編を著したとのこと。こちらは翻訳がないので、原書をkindleで買ってしまった。

 

松浦壮『時間とはなんだろう~最新物理学で探る「時」の正体』(講談社ブルーバックス)

図書館で久しぶりにブルーバックスの棚を見ていて、目についた本。

よい本なのだけど、私自身にとっては期待外れ。

経験的に知覚される時間から、ニュートン力学的な絶対時間、相対論から量子場の理論、超弦理論へと、「時間」というテーマからときどき大幅に脱線しつつも現代物理学に至る流れが語られるのだけど、そもそも「経験的に知覚される時間」という出発点を問い直す作業がなされていないので、「え、そこはもう前提にしてしまっていいの?」という戸惑いを感じざるをえない。

要は、私が本当に求めているのは哲学(人間の知性に対する問い直し)であって、物理学ではないのだなぁというだけの話なのだけど。

とはいえ、上述のような物理学の流れを把握するという点で、この本はとても説明が分かりやすいように思う。もっともそれは、末尾に参考文献として挙げられている吉田伸夫『素粒子論はなぜわかりにくいのか』を含め、関連の本をすでにいくつか読んでいるというベースがあるからかもしれない。参考文献といえば、この本では「なぜこの文献がお勧めなのか」を著者がきちんと書いてくれているので、「あ、次はこの本を読んでみたい」というのが分かりやすい。

 

中脇初枝『世界の果てのこどもたち』(講談社文庫)

「満州開拓のために高知の山村から移住」「日本に併合された朝鮮に生まれ生活苦のために満州に活路を求めて移住」「横浜の裕福な商社員の家に生まれ、ふとしたキッカケで満州の開拓地を訪問」という3人の少女の出会いと友情、その後の運命を描いた物語。

戦争で命を落とした人はもちろんたくさんいて、この作品でもそれは描かれているのだが、ふと、いずれ親になっていたかもしれない人がそのようにして死んでいったことで、ついに生まれることのなかった人間も、同じように(あるいはそれ以上に)たくさんいるのだよな、ということを、ふと思った。そう考えると、自分が昭和一桁世代の両親のもとに生まれて、いまこうして生きているのも、考えてみればものすごく幸運なことなのだ。戦争について考えるときに、いわゆる「生存バイアス」を避けるためには、小説ではあるけど、こういうものを読むことが一つの助けになるような気がする。

この作品に不満があるとすれば、というか、ものすごく不満なのだけど、「短すぎる」ということ(笑) 3人の女性の、幼少時からそれなりの高齢者になるまでの人生を描くのに、薄手の文庫本1冊ではいかにも物足りない。上中下くらいの分厚さはほしい。つまりこの世界をもっとたっぷり描いてほしいという趣旨で、要は評価は低くないのです。でもそれだと当節は読んでもらえないんだろうな。