月別アーカイブ: 2021年12月

竹内康浩・朴舜起『謎ときサリンジャー 「自殺」したのは誰なのか』(新潮選書)

9月上旬、いつもの駅前の書店でふとこの本が目に入り、サリンジャーはそれほど思い入れのある作家ではないのだけど、著者の名前に懐かしさを覚えて手に取った。パラパラと立ち読みしたところ、どうやら少なくとも『バナナフィッシュにうってつけの日』(『ナイン・ストーリーズ』所収)と『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んでおいた方がよさそうで、その二冊を読み終えるメドが立ってから、こちらも購入(『ナイン・ストーリーズ』の最後の一篇『テディ』も本書を読む上では重要)。

自転車通勤の最大の難点は通勤時間中に本を読めないということなのだが、本書を読み終えるまでは、天気が良くても自転車通勤を断念するほどだった。

つまり、それくらい面白い。

そして、読み終わった後、せっかく「予習」として読んだ二冊をまた読み返そう(というより、本書を読みつつ、座右に置いた件の二冊のページをめくることも多かったのだが)、さらには他のサリンジャー作品もすべて、ひょっとしたら原語で読もうかという気になっているのだから恐ろしい。本書の「謎とき」においては「そんなの、他の作品も全部読んでなかったら知らないよ!」と言いたくなる部分もあるのだけど、むしろ「それなら他の作品も全部読まなきゃ」と思わせるところ、著者としては英米文学業界に貢献するところ大と言えよう(といっても、上記二冊はさすがに読んでおいた方がいいと思うが、他は本書中で丁寧に言及されているので、先にこれを読んでしまっても大丈夫)。

小説を読むのは好きだが研究者ではないので、最近の文学評論の趨勢がどうなっているのかさっぱり分らないのだけど、素人ながら、この本はテクスト批評と作家理解のバランスが取れているように感じる。第二章・第三章あたりの時間論的な部分は読者によってはハードルが高いかもしれないが、曲がりなりにも哲学科出身としては、そのへんはむしろ馴染み深い領域なので特に興味深かった。

ビリヤードの比喩が何度も繰り返し出てくるのは、もちろんサリンジャーの作品中で言及されているからという理由が大きいのだろうけど、そういえば我々が大学に在学していた頃にプールバーなるものがやたらに流行っていたのだよなぁ、などということも思い出す。

ああ、この本を学生の頃に読んでいたら、ひょっとしたら私も文学研究を志していたかもしれない。たぶん著者の研究室は優れた文学研究者を輩出している(&することになる)のだろう。何より、「あとがき」で触れられている研究室の雰囲気がいかにも楽しそうで羨ましい。

 

河岡義裕・編『ネオウイルス学』(集英社新書)

ウイルスを、疾病をもたらす悪玉としてのみ捉えるのではなく、「ウイルスを地球生態系の構成要素として理解」し(本書299ページ)、究極的には「偏見のない視点で地球環境に生存するウイルスの全体を自然科学的にとらえる」ことを目標とする「ネオウイルス学」と称するプロジェクトを紹介する本。

編者の他18人の研究者(馴染み深い存在となった西浦博さんも含まれている)が、自分がどのような経緯と動機に基づいてどのような研究に取り組んでいるのかを紹介していく構成。

たいへん分かりやすく興味深いのだけど、何というか、これから自分の専門を決めようという大学の新入生が「どの先生のお世話になろうかなぁ」と考えるときの進路資料としては好適であるように思うのだけど、一般の読者が一冊の本として読むにはむしろ物足りないというか、「あ、この人の研究は面白そうだ!」と思っても、すぐに次の人の節に移ってしまうので、だいぶもったいない感じ。西浦博さんのように一般向けの単著を出している人なら、それを読めばいいのだけど。

そうだ、出版関係の人がこの本を読んで、「よし、この人にこのテーマで一般向けの本を書いてもらおう」といった具合に企画の参考にすると良いかもしれない。そして、出来上がった本を我々が読む、と(笑) というわけで、出版関係の知人の皆さま、ぜひ一読をお勧めします!

 

栩木伸明『アイルランド紀行 ジョイスからU2まで』 (中公新書)

ラグビーを愛好する者として、やはりアイルランドという「くに」は特別な存在である。ワールドカップを契機にそのへんの理解はだいぶ広がってきたと思うが、ラグビーの国際試合における「アイルランド代表」は、アイルランド共和国の代表ではなく、アイルランドという「しま」、つまりアイルランド共和国と英領北アイルランドの連合によるものであり、したがって、国際試合で歌うアンセム(日本代表なら「君が代」)も、アイルランド共和国国歌ではなく、その目的で作られたものだ。我々はアイルランドの召命(Ireland’s Call)に応じて4つの地方(Province)から肩を並べて立ち上がる、という、控えめに言って「熱い」曲である。

さて、そういう「アイルランド」に触れていると、現状では2つに分かれている「しま」を統一しようという動きはあるのか、それとも宗派の違いに根ざす過去の対立は今も深く根ざしているのか、英国のEU離脱で、そのへんはどうなっているのか、みたいなことが気になってくる。

で、元々はそういうリアルタイムな現代史や社会事情に詳しく触れている本を探していたのだけど、なかなか見つからない。

本書は、その意味では「これは私が求めているものとは違うんだろうな」ということを承知のうえだったのだけど、あえて手に取った。Amazonの紹介を見ていたら、それでもやっぱり面白そうに思えたからだ。何しろこちらは、four proud provinces of Irelandの名前と位置関係さえも分かっていないアイルランド初心者なのである。

著者についてはよく知らないのだけど、詩を主な対象とする文学研究者と思われ、この本ももっぱら、今日のアイルランドの情景をイェイツやジョイスを筆頭に主として文学の視点から描いていく内容。文章は抑制がきいていて美しく、取り上げられている作品に馴染みがなくても読み進むのが苦にならないほどに親切である。

印象的だったのは、民話や民謡に近い詩的なテキストについて、普通であれば「翻訳」と言うべきところを「吹き替え」と書いているところ。「では、この歌の一部をちょっと吹き替えてみよう」みたいな感じで。最初はけっこう違和感を抱いたのだが、そうか、冒頭の部分にも示唆されているように、この著者はそれが「声」として聞えてくることを大切にしているから、「翻訳」ではなく「吹き替え」と書いているのだろうな、と察せられる。そして、確かにその意図は成功しているように思われる。

 

サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(村上春樹・訳、白水社)

『ナイン・ストーリーズ』に続いて、こちらも。

いつもの駅前の書店で、定番の野崎歓訳か村上春樹訳のどちらかを買おうと思って書棚を探したら、2冊が隣り合って陳列されていた。こういうのが本好きの心に訴えるところで、新潮文庫はともかく、白水社なんて、この規模の本屋では独立した棚が用意されているわけでもないから、野崎訳だけが他の新潮文庫と一緒に置いてあって、村上訳はさてどこだろうと探すことになるより、よっぽど親切である。

両方をパラパラとめくってどちらにするか考えたのだが、昔読んだ野崎歓訳にも、自分はそれほど思い入れはないなぁと感じる。村上訳について好意的でない評価があることもちらりと聞いたし、そもそも清水俊夫訳の『長いお別れ』になじんでいた私としては、村上訳の『ロング・グッドバイ』は数ページ読んで放り出すくらいにダメだったので、彼の翻訳が特に好きというわけではない。でも、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』はそれほど思い入れがないせいか、悪くない訳のように感じたので、そちらを買ってみた。

で、実は若い頃(たぶん高校時代?)に読んだときはそれほどの作品とも感じられなかったのだが、今回はえらく面白かった。何となく無軌道で破滅的な若者の話のような印象があったけど、全然そんなことないのだな。いや、そうなのかもしれないけど、いま読むと、そんな感じはしない。以前よりずっとホールデンに共感できるのが不思議なほど。

この作品を宗教的な視点から解釈する読み方というのはいくらでもありそうだけど、それはさておき、クリスマス前のこの時期に読むと、なかなかつきづきしいものがある。

現代の読み手からすると、同性愛嫌悪がものすごく自然な感情として描写されているように思えるところがいろいろ考えさせられる。影響力のあった作品であることを思えば、ごく自然に「そういうものだ」と刷り込まれた人も私たちの世代にはけっこう多いかもしれない。

 

サリンジャー『ナイン・ストーリーズ』(野崎歓・訳、新潮文庫)

しばらく前に、いつもの駅前の書店で竹内康浩・朴舜起『謎ときサリンジャー』(新潮選書)という本を見かけ、興味を惹かれて手に取ったところ、まずは『バナナ・フィッシュにうってつけの日』を読んでおかねばなるまいということで、『ナイン・ストーリーズ』へ。サリンジャーは『ライ麦畑でつかまえて』『フラニーとゾーイー』をいずれも野崎歓の訳で30年以上前に読んだくらいで、『ナイン・ストーリーズ』は初めて。

短編小説は難しい。

わずかなページ数のあいだにスッと作品の世界に入っていかなければいけないし、片言隻句も読み逃してはならない、という気になる。読了するのに要する時間が短い分、読書の強度が高い感じ。私としては、とにかく長い小説が好みなので、そういう短時間高強度の読書はどちらかといえば苦手かもしれない。ひとまず、竹内氏の『謎とき…』で、プロレベルの高強度の読みを味わうのを楽しみに…。恐らくその後でもう一度(あるいは何度か)読み返すことになりそう。