月別アーカイブ: 2023年4月

澤康臣『事実はどこにあるのか 民主主義を運営するためのニュースの見方』(幻冬舎新書)

この本の優れた点は、著者が相当に理想主義的であるところだ。本文中では、現実と理想の対比はさらりと触れられている程度だけど。

全体を貫いているのは、賢明な、いや正確には「賢明でありたいと願う」市民が、何らかの形で関与しつつ社会を運営していき(”This is what democracy looks like.”)そのために必要なリソース(の一部)をジャーナリズムが提供する、という理想主義的なビジョンだ。

もちろん、先日の統一地方選挙前半の低投票率にも象徴されるように、この社会のかなりの部分は、自分が「民主主義を運営する市民」であるとは露ほども考えていないだろうし、そもそも「市民」を罵倒語として使う連中すらいる。そういう人たちは決してこの本を(あるいはどの本も)手に取らないというのが現実だろう。

とはいえ、「現実は…だから」を根拠とする「現実主義」的な言動は、よく言えば冷笑的であり(よく言ってないね)、わるく言えば、というか実際にはその大半は欺瞞であると私は思っている。

その「現実」は、実際には特定の視点から恣意的に切り取られた一側面でしかなく(場合によっては一側面ですらなく)、しかも、そういう現実主義者にはその「現実」を主体的に変えていく意志も能力もまったく欠如しているのだから。

というわけで、できれば「現実主義者」に堕することを避けたいと願っている自分にとって、遠慮がちにではあれ理想の旗を掲げてくれている本書の著者は、だいじな一つの道標とでも言うべき存在である。

 

山岡洋一『翻訳とは何か 職業としての翻訳』(日外アソシエーツ)

翻訳の仕事に手を染め始めたばかりの頃に読んでいれば、と思わずにはいられない。2001年の刊なので、昨今のAI翻訳の発達についてはもちろん考察されていないのが今となっては物足りないのだけど、まだ自分の翻訳スタイルが確立していない頃の人が読めば非常に刺激になるのではないかと思う。

たとえば「『直訳』も『意訳』も、もっぱらそれを非難する文脈で使われる」という指摘なんかは、なるほどと膝を打つ思いである。

ポー『モルグ街の殺人』の一節の訳を三通り紹介しているのだが、最も古い森鴎外の訳が最もこなれているように感じるというのも面白い。

版元品切れになっているようで図書館で借りたのだが、これは古書店で見つけたら迷わず購入する。

英語(外国語)→日本語への翻訳に偏った内容になっているけど、そもそも、ある言語への翻訳はその言語を母語とする者がやるべき、という原則に立っているので、それは当然かもしれない。もっとも実際には、和→英の翻訳は、日本人がやって英語のネイティブスピーカーに校閲をお願いするというパターンが多い。そういった仕事が多い家人に言わせれば、「そもそも日本人でさえ解釈に困るような日本語が多いから、やむをえない」と…。