引き続き淡々と読み進めております。
失われた時を求めて(5)――ゲルマントのほうI (岩波文庫) | プルースト, 吉川 一義 | 本 | Amazon.co.jp.
好きなところはたくさんあるので、基本的には高評価。
弔いであり悼みである、そういう話。
主人公の役割が自転車の修理・整備であるというところも個人的にはポイント高い(笑)
だけど、気に入らない点もある。それは「船が大きくなる」ところ。物理的な制約条件についてはリアリズムに徹した方が、非リアリズム(一般的な意味において)の部分が活きると思うのだけど。
八ヶ岳方面への往復の電車のなかで読了。
読み始めればすぐに分かるように、本書タイトルの「坂」は、司馬遼太郎の『坂の上の雲』の「坂」とそのまま対応している。『菜の花の沖』や『この国のかたち』など読みたくなる。下り坂には危険も伴うけど、慎重に降りれば悪くないものなのだ。
日本は世界の中心で輝いたことなどなかったし、それ以前に、どんな国も世界の中心で輝いたりしてはならないのだ、という主張がよい。小豆島高校野球部の話もいいし(つい日本ラグビーに引き寄せて考えてしまうのだが)、城之崎のレジデンス型ホール施設の話もいい。本業が劇作家/演出家であるだけに、すぐ「文化」(より端的には「演劇」)の話になっていくところがやや鼻につく感じもあるが(「それでどれだけの人が生活していけるのか」という疑問もあるし)、ひとまず、そこに手掛りの一つがあることはしっかり伝わってくる。
「嫌韓」の分析もけっこう面白い。
著者は、ふたば未来学園高校の創設に関与したことに絡んで、私に近い立場の人たちからもいろいろ批判されていた人ではあるが、その件についても本書中で触れられていて、一読に値する。
量的緩和、財政出動による景気刺激(旧アベノミクスの第一の矢、第二の矢)は完璧に正しく、リベラル/左翼こそ、この政策を主張すべき、ただし規制 緩和を主眼とした成長政策(第三の矢)は先の二つにブレーキをかける愚策で、財政出動による公共投資の行先も全然間違っているので、アベノミクス全体とし てはダメなんだけど、というのが大筋か。
財政ファイナンス(政府が国債を中央銀行に買い取らせて、その資金を公共事業に突っ込む)で国債発 行残高が増えることには何の問題もない、ということが結構しっかり説明されているのだけど、「そんな美味しい話があるのか」という気がしないでもない。筋 は通っているように思うけど。
古典だけどケインズの「一般理論」を読んでみたくなった。
「フランス」という名前(あるいはトリコロール)でイメージする一つの国としてのフランスは虚像であるというのがよく分かる本。シャルリ・エブド事件やパリ同時多発テロへの反応にものすごく違和感を抱いていた私としては腑に落ちる感じ。どちらの事件も、「イスラム教」はもちろん、「イスラム国」ですら原因ではない、ということが見えてくる。
非常に面白いのだけど、何しろ読みにくい。これまでに2冊読んだ体験からすると著者もけっこう癖のある文章を書く人だろうとは思うのだけど、それにしても、翻訳がどうなのかなぁ……。明らかにこれは変という部分はないのだけど、もう少し工夫のしようがありそうなものだ。
あと、副題は見当違いのように思える。