著者がどんな人物であろうと作品は別ものとして考えるべき、というのが私の原則的な立場。それでも、さすがにこの著者のものは読もうという気になれなかったのですが、鴻上尚史『不死身の特攻兵』を読んだ流れで、ふと興味を持ちました。一時はベストセラーだったようだけど、すでに図書館でも待たずに借りられる(たぶん人気があった時分にたくさん購入したのだろう)。
幸いなことに、この作品をそれ自体として味わう限りでは、著者の日頃の言説に抱くような嫌悪感は生まれないし、平和の尊さ、特攻という戦術の愚かしさ、軍上層部の無能さや冷酷さを訴えるのが本旨だというのなら、まぁ強いてそのように解釈できないこともありません。
ではこの本に読む価値があるかと言われると、残念ながら、それはない。
ひとことで言ってしまえば、稚拙。そして、長くて退屈。
「長くて退屈」なのは、この本の5分の4くらいを占める、特攻要員も含めた元日本海軍航空隊員の回想の部分。巻末に参考文献がいくつか挙げられているように、この部分は実際の回想録などがベースになっているのだろうから、基本的には史実に基づいているのでしょう(主人公の「祖父」をめぐる部分はフィクションだとしても、それに類似した人物やエピソードが現実にあったと想定しても、さほどの無理は感じない)。しかし、語り手である元帰還兵の体験だけでなく、ある程度歴史に関心のある人間にとってはよく知られた戦争・戦闘の推移が縷々語られて、実に長い。「あなた、それは戦後に何かで読んで知ったことですよね」と突っ込むべきところ。
とはいえ、戦争の話というのは、ドラマチックと表現するのは語弊があるけど、やはり物語としての強度が高いわけです。痛快な活躍も、手に汗握る部分も、悲劇に涙する部分も、不条理に憤る部分も、もちろんある。
それよりも辛いのは、本来は「地の文」とも言うべき、作者オリジナルの「物語」の部分。
これがまた何というか、ものすごく陳腐で、人物の性格付けや言動がひどく類型的なのです。主人公自身も、その姉も、彼女に仕事をくれる朝日新聞社(あ、書いちゃった)の社員も、姉弟の父のもとで働いていた青年も。
そもそもね、客を笑わせようとする落語家が自身は笑わないように。チャップリンの大まじめな演技が途方もなくコミカルな場面を作るように。
読者を泣かせようと思ったら、登場人物がそんなに簡単に泣いたらダメです。
いや、笑わせようと思っていたのか?
だって、「物語」のラストではもちろん、流れ星が一筋、夜空を横切るんですよ?(正確な描写は忘れたけど)
笑うさ、それは。