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小島寛之『世界は素数でできている』(角川新書)

ときどき気になる素数モノ(笑)

著者はいったん数学研究に挫折して経済学に転じ、今は経済学者なんだけど、それまでの素養を活かした数学エッセイなどで人気がある、という人のようで、文章が巧みで面白く読めました。

とはいえ、以前読んだ『素数の音楽』(新潮文庫)同様、途中まではついていけても、本題のリーマン予想あたりまで行くと……というか、いや実際のところはもっと手前から、理屈のうえでの理解という点ではボロボロになります(笑)

まぁそれでも最後まで読ませてしまうところが著者の腕。

あと、量子論でもそうだけど、分からないなりに何冊か読み通すと、少なくとも観念的には把握できるし、少しずつ前進はしている気がする……(そうかなぁ?) 今回は「ρ元体」の話なんかもわりと楽しめたし。

ただまぁ結局のところ、先日読んだプラグマティズム関連で出てくる「数学の哲学」みたいな話のほうが本質的だよなぁという気がしてしまう哲学科出身。

大西隆、他『集落再生~「限界集落」のゆくえ』(ぎょうせい)

疋田智さんのメールマガジンで知って、興味を惹かれて読みました。

縁あってここ数年訪れることの多い八ヶ岳山麓にも、実質的に耕作放棄された農地はけっこうあるようで(家人の両親はそういう農地を借りていろいろ作っている)、高齢化は言うに及ばず、本書でも触れられている不在地主化(要は、都会に出てしまっている子どもが相続することで、住民以外が所有する土地が増えている)も進行しているはず。

我々が訪れる地域はけっこう前からの別荘地開発が成功していることもあって、そのあたりの人口による需要があるのか、若い世代が新しい飲食店をやっている例もかなりあって、あまり心配はなさそう。とはいえ、そもそも別荘族じたいの高齢化が進んでいる(若い世代は魅力を感じないらしい)ようなので、いつまでも当てにできるのかどうか。

そういう関心がもともとあったので、気になったのです。

基本的には真面目な論文集で、いちおう全体の流れはあるのだけど、一番面白かったのは最後の1本かな。いわゆる限界集落の問題は、石油依存・大量消費の都市中心文明じたいの病であって、再生エネルギー中心・循環型・持続可能な文明への移行にともなって、むしろ中山間地域の都市に対する優位がクローズアップされる、というビジョン。その文脈で、都市郊外の集合住宅などの高齢化ペースが、中山間地域のそれを上回るという展望は、けっこう衝撃的でした。

そういえば、上述の不在地主化について「こういう状況は荘園制以来ではないか」みたいな表現があって、その歴史的な視野に「おおっ」と思ったのも印象的でした。

さて、そんなわけでけっこう興味深く読んだのだけど、この本に限らず、なんかこういう論文集の類を読んでいると、「きちんと整った文章を書く」訓練って、学者・研究者と言われる人たちのあいだでもあんまりしっかり行われていないのだなぁとつくづく思います。編集者がきちんと介入していれば防げるはずの「てにをは」レベルの問題とか、修飾語の順序をもう少し考えれば読みやすくなるのにとか、読点の打ち方の問題とか(まぁ安倍首相の文節区切りの酷さよりはマシですが)……。

むろん、以て他山の石、なのですが。

 

伊藤邦武『プラグマティズム入門』ちくま新書

少し前に、元ラグビー日本代表の平尾剛史さんが勧めていた『物語 哲学の歴史』(中公新書)を読んだときに、「あ~やはりこの部分に馴染みがない」と特に思ったのが、プラグマティズム(と、論理実証主義)。

せっかくなので、上掲書と同じ著者の本で勉強しようかと思って、これを読んでみた次第。

けっこう面白かったです。特に真ん中の「少し前のプラグマティズム」のところ。クワイン、ローティ、パットナムといった顔ぶれ。私が大学に入った頃、必読書のような扱いを受けていた(でも読んでいない)トーマス・クーン『科学革命の構造』あたりも絡んできて、たいへん興味深い。あと、もっと前(プラグマティズムの源流あたり)だけど、大学の頃にけっこう中心的に読んでいたベルクソンなんかも、この流れと親和性が高い。

その名のとおり、実に現実的・実践的で、いろいろな分野に応用が効く、まさしく「有効な」思想なのだということはよく分かります。

というわけで、今後もこの流れには関心を持っていきたいなとは思います(ひとまずクーンを読むかな)。この本も、図書館で借りて読んだのだけど、買っちゃうかも。

ただ、その有効性ゆえに、なんというか「深淵をふと覗きこんでしまった」ヤバさがないんですな。そもそも出発点としてのデカルト主義への批判という意味では、結局のところ、有効な批判にはなりえていないという気もするし。

世の中に、ネットスラングに近いけど「中二病」という言葉があって、要するに中学二年生前後の、いわゆる思春期の頃に、自己愛をこじらせて空想・妄想が暴走するような状況を指すようです。

私が、『自分で考えるということ』というデカルトの思想を紹介する本を読んで、見事にハマってしまったのも、ちょうどそれくらいの時期。しかしあの頃、その代わりにこういうプラグマティズムの哲学に触れていたら、たぶん、そのようなハマり方はしなかっただろうと思う。そういうヤバさが不足している。不足しているというか、それが無いのが優れたところなのかもしれませんが。

そういえば、冒頭に触れた『物語 哲学の歴史』は、妙に現象学の扱いが軽いのも気になったんだよなぁ……。やっぱり、哲学に中二病的にハマるには、デカルト、カント、ニーチェ、現象学、実存主義ですよ!(何をオススメしているんだか)。