月別アーカイブ: 2018年12月

井手英策『幸福の増税論』(岩波新書)

Facebookの友人が、本書を薦める投稿をシェアしていたので、気になって図書館で借りてみた。

10%への消費増税をめぐって賛否が別れるなかで、数値としての結論だけ言ってしまえば、この本で必要とされる消費税率は「19%」である。

これを(読む前から)「面白そう、読んでみよう」と思ってしまうかどうかは、人のどんな特性で決まるのだろう。とりあえず私は、読んでみようと思った口。

経済成長を前提とした「勤労・倹約」を旨とする自己責任社会というビジョンはもう成立しないことを示し、その対案として(現政権支持者が大好きな「対案」)、国・地方自治体による「ベーシック・サービス」の提供を通じた「頼りあえる社会」というビジョンを提示する。

防衛費や公共事業などの「無駄」を削ることではその原資は調達できず、かといって富裕層への課税強化「だけ」でも筋が通らず現実味がないことを示すなかで、上記のような消費増税(実際に19%になるかどうかはともかく)を含めた「パッケージ」の必要性が示される。

むろん、消費税の逆進性云々といった批判への目配りも怠りない。

根拠となるデータや試算について一つ一つ検証することは私の能力の及ぶところではないけど、この本が面白いのは、何よりもまず、「きたるべき社会の姿を堂々と語る」という、いわば社会のグランドデザイン、ビジョンを提示することを旨としている点だ。ジャンルは違うが『憲法9条の軍事戦略』あたりとも共通する、時間的な視野の広さを感じる。

それだけに、そのビジョンの実現にはそれこそ革命的と言ってもいいくらいの社会的な意識の転換が必要だし、「この筆者のビジョンが実現する以前にこの社会は滅ぶんだろうな」という予感の方が強いのは確かなのだが。

 

 

 

斎藤慶典『フッサール 起源への哲学』(講談社選書メチエ)

平尾剛史さんがTwitterで絶賛していたので図書館で借りてみた。

うむ、面白かった。

わりと最近読んだ『時間とはなんだろう』『重力とは何か』といった物理学の本を読んでいて、隔靴掻痒というか、「どうしてそんなおおざっぱな思索で納得できるんだ」と思っていたことが、「自然科学の素朴性」というフッサールの言葉で表現されていて得心がいった感じ。

といっても、こういう哲学的な探求を突き詰めたからといって、そういう「素朴な」自然科学の妥当性がわずかなりとも減じるわけではないので、そのへんは両立可能なのだけど。

それにしても、「神」を最終解として持ち出すことが許されなくなった時代の思索というのは、実に厳しいというか、変な言い方になるけど「禁欲的」なのだなぁと改めて思った次第。本書を読んでいても、「ああ、そこで『神』と言ってしまえれば楽なのだろうなぁ」と思うことが頻繁にあった。

 

『猫SF傑作選 猫は宇宙で丸くなる』(竹書房文庫)

たぶん『トリフィド時代』をAmazonで検索したときに関連で表示されて知ったのだと思う。タイトルどおり、猫(あるいは猫に類した異星生物)が活躍する短編SF集(ファンタジー的なものを含む)。

「ベンジャミンの治癒」が一番よかったかな(スプラッターな部分はあるが)。「宇宙に猫パンチ」もけっこういい。

どの作品を読んでも感じるのは、要するに、猫が超人的、ではない、超猫的な能力を獲得して大活躍してしまう、あるいは災厄をもたらす話というのはあまり面白くない、ということだ。上に挙げた二つも、そうした要素と無縁ではないのだけど、猫はあくまでもワガママで基本的にはおバカだけど妙なところで賢く、暇さえあれば寝てばかり、というのが猫好きにとっては最善である。その意味でやはり、猫が猫のままでありながら重要な役割を演じる『夏への扉』が猫SFの最高傑作であることは間違いないのだろう。といっても読んでからだいぶ経つので、また読み直したい気に駆られている。

 

大栗博司『重力とは何か~アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る』(幻冬舎新書)

先日読んだ『時間とはなんだろう』で参考文献として紹介されていて、読んでみようと思った本。そこでは「本書では簡単にしか触れられなかったホログラフィー理論についても詳しく書かれている」みたいに紹介されていた。

数学にせよ物理学にせよ、この手の本はたいていの場合途中からわけがわからなくなってくるのだけど、しばらく前から、そうやって「途中からわけがわからなくなる」体験を何冊もの本で繰り返していると、だんだんその境界が先に進んでいく(ああ、これは例のあれね、みたいな感じで)ような気がしている。今回もそれなりに先まで進めたが、やはり超弦理論のあたりに来ると、かなり???になる……。『素粒子論はなぜわかりにくいのか』のいわば「場の一元論」が今のところ一番最後までしっくり来たかな。

ところでホログラフィー理論については、「そうなるとどうしてもアレを連想してしまうよなぁ」と期待しながら読んでいたら、著者もやはり言及していたので、なんとなく満足(笑) 何って、プラトンの「洞窟の比喩」なんだけど。

朝日新聞 迫る2025ショック取材班『日本で老いて死ぬということ』(朝日新聞出版)

「2025年問題」といっても、大阪万博の話ではない。いわゆる団塊の世代がすべて75歳を越えるタイミングで、都市部を中心に介護・医療現場が破綻する状況を指す言葉。この本は、そうした問題意識のもとに朝日新聞横浜総局の特別取材班が行った取材・連載をまとめたもので、特に病院以外のさまざまな医療・介護の現場や、そこでの死のあり方、そして遠距離介護やダブルケアなど困難な状況が描かれている。

幸いにして(いや不幸にして、なのだろうが)私が実の老親を介護する必要はないのだが、とはいえ、親族や友人知人が介護に悩む状況を迎える可能性は非常に高い、というか現実にそういう話は見聞きしている。この本を読んでいると、むしろ相対的には身軽な私のような人間が、「プチ熱い人」として何らかの貢献を期待されるようになるのかなぁ、という気がしてくる。今住んでいるマンションも見るからに(?)高齢化しているし、他人事でもなかろうなぁ…。

それにしても、こんな本を読んでいるタイミングで伯母の急逝という状況を迎えるとはね。