宇野重規『民主主義とは何か』(講談社現代新書)

偶然ではあるが、まったく別の角度で、古代ギリシャから説き起こされる歴史を読むことに。

良い本なのだけど、やや教科書っぽいというか、丁寧で網羅的なのは良いのだけど、斬新さでワクワクする、という感じではない。「参加と責任のシステム」という捉え方には何の異論もないのだけど、選挙以外の、たとえばデモや住民運動といった政治参加のあり方や、それを支える教育や文化みたいな部分への言及が不足しているのが物足りない。その意味では、たとえば國分功一郎の本などの方が身に迫ってくる印象があった。

とはいえ、本書はある種の「基本」として、たびたび参照されても不思議のない存在だと思う。本書のなかで言及される参考文献が、すべて邦訳の出ているものというのも、その先に進んでいくためのハードルを下げていて好印象。トクヴィルとアーレントはやはり読まないと、か。

加藤文元『数学の想像力:正しさの深層に何があるのか』(筑摩選書)

『宇宙と宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃』の著者による本を何かもう一冊読みたいと思い、これにしてみた。

上掲書の感想で、

それにしても、理論物理にせよ数学にせよ、最先端に行けば行くほど、人間の知性や意識そのものをじっと覗きこんでいる雰囲気が強く出てくるなぁ。結局のところ、それは哲学ということなのだけど。

と書いたのだけど、これは我ながら(?)けっこう的確だったようで、今回読んだ本書では、延々とギリシャ哲学の話が続くのであった(もちろんピタゴラスを軸に、数学における考え方の話が中心ではあるのだが)。大学時代にいちおう哲学を囓った身としては、懐かしさもありつつ、数学者の視点から語られるギリシャ哲学~近世哲学というのは新鮮だった。『断片集』、まだ実家にあったかなぁ…。

読破にだいぶ時間を要したのだけど、これは再読したいかも。

 

藤本和子『ブルースだってただの唄』(ちくま文庫)

何かで話題になっていて、タイトルにも惹かれて読んだ。

ただし、こういうタイトルではあるが、別にブルースについての本ではないし、音楽についての本でもない。Amazonの紹介にもあるように、1980年代の、米国の黒人女性たちへの聞き書きである。

内容は、とても良い。さまざまな差別を克服する経路として語られることの多い、「教育を受けて社会での地位を向上させ、(この場合は白人と)対等になること」が、必ずしも良い道ではないのだ、という一種の告発には迫力がある。「黒人」といっても一括りにできず、「私がもっと黒ければ、まだ良かったのに」という趣旨の発言などは、まさに当事者からでなければ聞き出せないだろうと思われる。ここで著者に向かって言葉を発した黒人女性たちが(まだ存命であるならば)、オバマ大統領の誕生やBlack Lives Matter、それにハリス副大統領の誕生などをどのように見るのだろう、という興味を抱かずにはいられない。

その一方で、「ああ、彼女たちの言葉は『女ことば』で記されるのだなぁ」という違和感というか、3~40年ほど前、恐らく最も進歩的であっただろう著者の時代に思いを致してしまう。

そういえば、「戦い」や「闘い」ではなく「たたかい」、「日本」「日本人」ではなく「にほん」「にほん人」という表記を好む書き手というのは、ある時期、確かにいたように思うのだが、それはどういう人たちがどういう趣旨でそういう表記を選んでいたのだったか。

 

西内啓『統計学が最強の学問である』(ダイヤモンド社)

ちょいと統計について考えることがあって、一時期たいそう話題になった本ではあるが、すでに図書館でも予約待ちが1人も入っていない状態なので、借りてみた。

冒頭に「1903年、H・G・ウェルズは将来、統計的思考が読み書きと同じようによき社会人として必須の能力になる日が来ると予言した」という一文が孫引きの形で引用されている。

…まぁ、この一文で「なるほど!」と膝を打って統計の入門書に進んでもいいかな、という印象。表題はどう考えても羊頭狗肉というか、よい意味でも悪い意味でもこの本の内容を表わしていない。この本を読んでも、統計が(場合によっては)非常に有益なツール=何かを知るための手段になることは理解できても、統計学は最強の学問であるという結論には至らないからだ。

 

 

 

イ・ヨンスク『「国語」という思想』(岩波現代文庫)

『女ことばと日本語』からの流れというか、いわゆる「国語」への関心が続いているのは、半ば仕事柄と言ってもよさそうである。

明治維新以降の、国民国家を構築する過程での「国語」成立をめぐるスッタモンダから、「大東亜共栄圏」の共通語化をめざす「国語」につきまとった問題に至る、上田万年・保科孝一という2人の国語学者を軸にした通史的な考察。

取り上げられる「国語」をめぐるあれこれの主張を見ていると、私自身はけっこう「国語」に関しては保守的かもしれない、と思う。

ラグビーでは、日本代表を筆頭に日本のチームでプレーする他国出身の選手も増えているし、そういう他国出身者、非日本語ネイティブスピーカーへの日本語教育という点も含めて、本書の末尾でちらりと触れられている「非日本的日本語」というのも非常に気になるテーマである。著者が参加している『「やさしい日本語」は何を目指すか: 多文化共生社会を実現するために』もいずれ読んでみたい。

 

加藤文元『宇宙と宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃』(KADOKAWA)

誰かが勧めていたのが気になって図書館で予約したのだけど、だいぶ待たされたので、情報源は忘れてしまった…。

「宇宙と宇宙をつなぐ」というタイトルだし、実際、主題であるIUT理論のIUはInter-Universalの略なのだが、「SFや理論物理に出てくるような並行宇宙(パラレルワールド)や多世界宇宙(マルチヴァース)とは関係ありません」(P25)ので、そういうものを期待する人は要注意。ただし、それに類した比喩を使っている部分もなくはない。

もちろんこの本を読んだからといって、IUT理論の内容が分かるわけがない。というか、その「中身」を示されて理解できる人は、数学者の中にだってそれほど多くはないようだし。しかし、IUT理論がどういう発想のもとで構築されたものかはよく伝わってくる。「よく伝わってくる」と思えるのは、これまでに啓蒙書オンリーではあるが、『素数の音楽』『フェルマーの最終定理』『シンメトリーの地図帳』あたりを、分からん分からんと思いつつ読んできた積み重ねがあるからかもしれないが。

惜しむらくは、「たし算とかけ算の一方をそのままにして、他方を少し変形する、あるいは伸び縮みさせ」(P175)た宇宙というのが、いったいどのようなものか、もう少し具体的に書かれていたら、と思う。もっとも、そのような宇宙は、それこそ普通の言葉では表現できないものなのかもしれないけど。

第6章「対称性通信」で詳しく語られる、モノ→情報(本書では「対称性」という性質)という流れを逆転させて、情報からモノを復元する、という発想からは、何だか昨今話題のmRNAワクチンについて、「情報だけ伝えて、ウイルス自体が感染する前に火星の基地でワクチンを用意しておく」なんて話があったのを連想してしまう…。

それにしても、理論物理にせよ数学にせよ、最先端に行けば行くほど、人間の知性や意識そのものをじっと覗きこんでいる雰囲気が強く出てくるなぁ。結局のところ、それは哲学ということなのだけど。

理論的な部分が始まるまでに、数学者の生態(?)がかなり詳しく紹介されているのも、非常に面白かった。まぁ雑談の多い授業というのはたいてい面白いものだ。

 

西浦博・川端裕人『新型コロナからいのちを守れ!』(中央公論新社)

すごく面白い。

テーマが深刻で、なおかつ未解決にして進行中の状況なので、面白いとか楽しいとか表現してしまうのは不適切なのだが、ついそう言いたくなる。

末尾を除いて対談形式にはなっていないが、「聞き手」は川端裕人。その川端の小説『エピデミック』を昨年5月に読んだので、この本はなおさら興味深い(西浦はこの作品でアドバイザー的な立場だった)。何しろ、小説に出てくる「2×2表」やFETP(実地疫学専門家養成コース)の人々が、今のリアルな状況のなかで活躍するのだから。

「8割おじさん」こと西浦は、つい昨日だかも「GoToトラベル」が第三波の到来に与えた影響を明示して話題になっている。「対策無しなら重症患者は85万人、その半数が死亡」という有名な予測を含め、彼の言動や、彼の参加したクラスター対策班/専門家会議が打ち出した対策などへの批判や不満が出るのは当然だし、その中には正当なものもあるだろう。

それにもかかわらず(いや、だからこそ)、彼らがどういう状況のもとで、どういう考え方に基づいて、そのような言動や対策に至ったかという経緯は、やはり面白い。面白いといって悪ければ、実に興味深い。

この本で語られている経緯のなかから、西浦、あるいは専門家会議の姿勢に何か問題を見出すとすれば、それは恐らく、「これだけやっておけば制圧可能」というスマートで効率的な対策に依存してしまった、ということなのではないか。

まっとうな科学者には想像もできないような愚にもつかない障害というものが世の中にはあって、その障害が発動した場合にはスマートで効率的な対策は無化されてしまう、という警戒が薄かったのかもしれない。もっとも、そうした状況を取り繕うことのできる二の矢、三の矢が実際にありえたかというと難しいところかもしれないが。

本書で語られているのは11月以降の「第三波」に至らない段階までの話なのだが、その後の推移も含めて、「答え合わせ」的な面白さもある。

新型コロナウイルスやCOVID-19、免疫のシステムやワクチン、PCR検査などに関する基本的な事項を知るという点では、先に読んだ『新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実』の方が優る。しかし、新興感染症への対応、あるいはもっと広い文脈において、この日本という社会に何が最も欠けていた(欠けている)かという示唆を読み取るうえでは、この本の方が価値は高いかもしれない。

浜田真理子『胸の小箱』(本の雑誌社)

以前からCDはほぼすべて聴いているくらいお気に入りの歌い手なのだが、何となく生で聴く機会を逃していて、昨年12月にようやくライブへ。

その流れで、エッセイ集も読んでみた。

何というか、この本自体が1枚のアルバムのように構成されているという印象。

著者とはほぼ同世代なのだが、その頃の地方都市の空気感というか、そういうものが伝わってくる気がする(気がする、というのは、私自身は直接には経験していないので)。

圧巻は、アルバム制作の過程を綴った2章、特に「but beautiful」。めっちゃ面白い。これは読みながら件のアルバムを聴き直さざるをえないでしょう。

新刊は入手できないので図書館で借りたけど、ライブのときにMCでオンデマンド出版の話をしていたのがこの本だったかな。入手しなかったのが残念。

 

 

 

『源氏物語(三)澪標~少女』(岩波文庫)

物語は徐々に次の世代へと移っていく感じ。

この巻は、巻末の解説(今西祐一郎氏)が実に面白かった。光源氏と藤壺の密通、その間に生まれた子の冷泉帝としての即位というこの作品の根幹ともいえる設定に関して、史実と虚構の関係に論及している。

続いて第四巻へ…。

 

 

峰宗太郎、山中浩之『新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実』(日本経済新聞出版)

2021年、いま読まずしていつ読む、という感じの、これ。

だいぶヒネったタイトルだが、これは良書。電子書籍ではなく紙で買うべきだったかもしれない。

ひとまずAmazonの商品ページで目次を見てもらえば分かるように、非常に情報量が多いのだが、「素人」ポジションの編集者が対談形式で専門家に話を聞くという構成なので、取っつきやすい(ただし私としてはだんだん冗長に思えてくる…)。

普及が期待される核酸ワクチンが孕んでいるリスクについてもたっぷり紙数を費やしているので、「ワクチン絶対拒否」派も(理論武装を兼ねて)ぜひ読んでおくべきだと思う。帯の「日本人がワクチンを打つ前に知っておくべきこれだけの真実」というフレーズも、いかにもという感じで、やり過ぎと思えるくらいの営業戦略が窺われる(笑)

また、とにかく無症状者にもガンガンPCR検査しないとダメだ、という「無制限PCR検査」論がいかに机上の空論であるか、そして感染拡大を防ぐのは「とにかく検査」ではなく○○○○であるという点も丁寧に書かれている。この本を読むと、公表されている数値をもとにいろいろ自分で計算してみたくなるのが面白いところ。

この本で特に優れているのは、ウイルス・免疫の専門家である峰氏が、科学者という立場にありながら、科学の限界をきちんと認識し、それを言葉で表現している点。そのうえで、「広報戦略と、やはり政治力」(第5章)の重要性を指摘しているところ。

しかし、「こうやって長いお話をゆっくりと読んでくださる方は、俗説や過激な話には、簡単に騙されることはないと思います」(第4章)とあるのだが、「コロナはただの風邪」や「ワクチン絶対拒否」、あるいは「無制限PCR検査」の人たちには、この本を読んでいる暇などない(婉曲表現)というのが残念な現実なのだ…。