月別アーカイブ: 2022年7月

へレーン・ハンフ編・著『チャリング・クロス街84番地』増補版(江藤淳・訳、中公文庫)

本好きのあいだでわりと評判がいいようなので、買ってみた。直接のキッカケは、この記事だったかな。

古書店に行きたくなるし、本を買いたくなるし、手紙のやり取りをしたくなるが、残念ながら最後の一つについては、自分の場合はもう電子的な手段によるメールやメッセージのやり取りになってしまうだろうなぁ……。

私も含めてたいていの読者は、著者であり手紙のやり取りの一方であるへレーン・ハンフの視点で読むのが自然なのだろうが、ロンドン側の視点で読み直すのも面白いかもしれない。

ドラマではないので、特にこれといった出来事が起きるわけではないのだけど、いろいろ思うところの多い本。

へレーンの言葉がいろいろと面白い。「読んでいない本は買わない」(図書館で読んで、好きになった本を買う)とか、「書き込みがあると、前の持ち主とつながれる気がして嬉しくなる」とか。

あと、第二次世界大戦が終ってしばらくは、アメリカよりもイギリスの方が圧倒的に貧しいというか、食料を始めとする物資が欠乏していたのだな、というのは、当たり前のことなのだけど今さらながら感銘を受けた。そして、そうやって貧しくても、文化(この場合は古書)の面で新興の富裕国の心ある人にとって憧憬の対象になっている存在というのは、なかなか良いポジションであるように思う。

ちなみに私はこの本を読んで「乾燥卵」なるものの存在を初めて知った。

翻訳は江藤淳。評論家、保守派の論客という印象だったけど、翻訳もやっているのだな。「洋服」とか「お釈迦様でもご存知ない」とかいう表現が出てきて、いかにも昔の翻訳だなぁという印象は拭えない…。

 

 

ダシール・ハメット『血の収穫』(田口俊樹・訳、創元推理文庫)

義妹のパートナーのFacebook投稿に「椿三十郎」への言及があり、そこから芋づる式に辿っていって、そういえば有名な作品なのに読んでいなかった、とこれを手に取る。

新訳なのに「おまえさん」などという二人称が出てきて、今どきそれはないだろうと思ったけど、考えてみたら、この作品の舞台となっている時代だったら、日本でもそういう言葉を使う人はいくらでもいたはずで、その意味では、新訳だろうと今どきの言葉遣いにする必要は必ずしもないのである。

そういえば、この本を読む前にYouTubeで『用心棒』や『椿三十郎』のシーンなどを少し観ていたのだけど、どうも雰囲気がそのあたりの三船敏郎に似ている知人がいて、その知人だったら「おまえさん」という二人称を使っていても不思議はない気がしてきた…。

ま、そういう細かい点は措くとして、作品自体はどうかというと、登場人物一覧には名が挙がっているのに、ろくに登場することなく殺されてしまう領袖がいたり、ちょっと対立関係をややこしくしすぎているような印象もある。銃撃戦が多い分、策略の部分が弱い。そのへんのバランスが、『用心棒』では絶妙だった気がするのだが。

斉藤健仁『ラグビー日本代表1301日間の回顧録』(カンゼン)

ラグビー関連の執筆者の中で以前からわりと好印象だった著者なのだけど、あるファンがこの人の著作で良かったものの一冊としてこれを挙げていたので、読んでみた。

RWC2015までの軌跡を追ったものなので、RWC2023を来年に控えた今となっては昔話の感もあるのだけど、個人的には一番熱心に代表を追っていた時期とも言えるので、「そうそう、そんな試合もあった」と懐かしく思い出したり、「あの試合、全然ダメだと思っていたけど、そうでもなかったのか…」みたいな今さらの発見もあり。

高橋尚司『ゼロベースランニング 走りの常識を変える! フォームをリセットする!』(実業之日本社)

この手のノウハウ本は記録しないことも多いのだが、いちおう。

私も一時試していたランニング足袋「MUTEKI」の開発にも関わった著者ということで、興味を惹かれて読んでみた。

もちろん私などとは全然レベルの違うランナーなのだが、”BORN TO RUN”に刺激を受け、理想の走りを求めてベアフットランを試したところ、繰り返しふくらはぎを傷め…という経緯がまさに私の体験と一致しているので興味深く読んだ。

私がフルマラソンなど本格的なランニングの境地に戻ることはあまり考えられず、せいぜい5kmくらいをまた気持ちよく走れるようになれればいいなぁ、程度の思いなのだけど、その際にはこの本の教えが参考になるような気がする。

レースに向けてこんなトレーニングをしましょうとか、こんなウェアやシューズを選びましょう、みたいな話を求めている人には向いていないが、良い本である。

 

 

佐藤健志『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』(文藝春秋)

『シン・ゴジラ』を観た流れはまだ続いていて(笑)、知人のツイートを介して、何となくタイトルには聞き覚えがあったこの本を手に取ることになった(といっても図書館で借りたのだけど)。

う~ん、幼稚にして雑、という印象。

諸悪の根源を「戦後民主主義の理念」に求める態度が露骨で、それゆえに無理なこじつけを繰り返している。もちろん「戦後民主主義の理念」に対する著者の捉え方がどこまで的確なのかは疑問だが、仮にそれが的確だとしても、すべてがそれで説明できると考えるとすれば、あまりに頭の構造が素朴すぎるというべきだろう。著者は「十二歳の男の子の堂々めぐり」をさんざん揶揄するのだが、それがどうも、「一足先に大人になった(つもりの)十四歳の男の子」の視点のような気がしてならないのだ。

著者は私と同い年。この本は1992年の刊行だから、せいぜい25歳くらいの若書きである。まぁ確かに、あの頃の私も、この本の著者と同じ程度かはともかく、幼稚にして雑だったと思うので、今の視点からこの本を批評するのはフェアではないかもしれない。