月別アーカイブ: 2019年8月

對島達夫『ヒトラーに抵抗した人々 – 反ナチ市民の勇気とは何か 』(中公新書)

『ヒトラーとナチ・ドイツ』を読んで、では、そうした体制・社会に対する抵抗はどのように可能/不可能なのか、と思って、これに進む。

抵抗そのものの難しさについて思うところはいろいろあるのだけど、それにしても、戦後(1950年代)の西独で、ヒトラー/ナチに抵抗した人たちが依然として(全面的にではないにせよ)「裏切り者」扱いを受けており、復権には時間を要したという点に衝撃を受ける。その意味で、ドイツの敗戦は日本の敗戦とはだいぶ違う。

それと、戦後~現代のドイツにおいて「キリスト教」を正面から名乗る政党(ドイツキリスト教民主同盟=CDUと地方政党・キリスト教社会同盟=CSU)が、常にではないにせよ政権を握っていることについて「現代の民主政国家なのに政教分離はどうなっているんだ?」という疑問を以前から漠然と抱いていたのだけど、この本では、直接的にCDU・CSUに言及してはいないものの、その点についての興味深い解説がなされていた。要は、世俗国家の暴走を阻む上位の審級としての宗教倫理、という観点。

 

石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』(講談社現代新書)

このテーマに関しては池内紀や舛添要一の近著が話題になっているようなのだけど、「基本的にはこのあたり(つまり本書と、もう一冊何か挙げられていたはず)をお勧めしたいというのは変わっていない」と誰かが書いているのを読んで、手に取ってみた。

ヒトラー/ナチが民主的な手段により政権を握ったという俗説があるけど、実際の経緯を知ると、とうていそんな穏やかな話ではないことが分かる。

何はともあれ、民主的な社会と基本的人権は石にかじりついてでも守らないとこういう流れになってしまうのだな、ということはよく分かる。経済や外交でいくら美味しい話があっても、その部分で妥協しては絶対にダメなのだ、と。

なおヒトラーの経済政策が成功したことで国民の心をつかんだという話もあるけど、その一例とされる失業問題の解決については、なんだそりゃという感じ。確かに街中で見かける失業者は減ったのだろうけど、そのことをもって「失業問題を解決した」と称するのは、それはいくら何でもあんまりだろうという印象。

たとえば昨今の経緯によって、もはや日ロ間に北方領土問題というのは存在しなくなったと言っても、少なくとも当面のあいだは大きな間違いはなかろうけど、それをもって「安倍政権が北方領土問題を解決した」と胸を張れるのか、というような話。

宣伝の恐ろしさというものを感じる。

 

シェイクスピア『ソネット集』(岩波文庫)

まぁ憂鬱なことの多い世の中なので、それに合わせた問題意識で本を読んでいると、今ひとつ楽しい読書にならない。そこで、たまには浮き世離れした本を読んでみる。

もともと、4月にアガサ・クリスティーの『春にして君を離れ』を読んだときに、タイトルの出典である(小説中でも言及されている)シェイクスピアのソネットって全然読んだことないなぁ、一度くらい読んでみてもいいかなぁ、と思ったのがきっかけ。kindleだと原書は無料で入手できるので、必要に応じて参照することにして、岩波文庫版を購入。

浮き世離れした読書をしたいという目的は完全に満たされます。

まぁ何かの折にこれを引用して、などという洒落たことをする機会はまず来ないだろうけど(笑)、うん、やはり古典はよいですね。時空を超えている。

愛する者の美しさを自分の詩という形で永遠に残すのだ、彼の命はもちろん失われ、建物が朽ち果て、墓碑銘も消え去っても、詩の形で残せば残るのだ、と大言壮語をかましたシェイクスピアは、本当に数百年後にも自分の詩が、遠くジパングの地でも読まれると想像していただろうか。「数百年? 私のいう永遠には、それでは遠く及ばない」と言い捨てるかもしれない…。

翻訳は、もちろん体裁は整えつつも、意味がしっかり伝わることを旨としているものなので、雅趣のある韻文に仕立て上げられているわけでもなく、その点では物足りないと言えば物足りない。この訳文を記憶に刻むという種類のものではない。その意味で、もっと古い(坪内逍遙とまではいかずとも)訳詩を読んでみたい気もするのだが、この訳ももう30年以上前のものなのだなぁ…。

 

 

山崎雅弘『歴史戦と思想戦~歴史問題の読み解き方』(集英社新書)kindle版

「南京大虐殺」論争とか従軍慰安婦問題については、これまでもそれなりに勉強はしてきたので、そういう意味では特に新しい知見は得られなかったのだけど、そういう個々のトピックのレベルはさておき(もちろんその部分も有益ではある)、歴史問題全体に関する大局的な視点を提示するという点で、よい本である。

特に、「日本」という言葉が、ある文脈において(そして特に「自分にとって」)具体的には何を意味しているのか、という把握。これについては鴻上尚史さんが連載コラムで実に的確にまとめているので、ひとまずそれだけでも読んでいただきたい。

「日本の悪口を言う奴は反日だ」と叫ぶ人たちが取り違えていること/鴻上尚史

(これを紹介するとこの本が売れなくなっちゃうかもしれないけど…)

もう一つこの本で面白いのは、「歴史戦」を展開している産経/日本会議系の論客が、いかに「外からどう見られるか」に無頓着なままに論を張っているか、という指摘。「外からどう見られるか」ってプレゼンの基本だと思うのだけど、まぁ日本にはそういう伝統はないからねぇ…。

内田樹『困難な成熟』(夜間飛行)

考えてみれば、ウチダ先生の単著を読むのはずいぶん久しぶりである。申し訳ないが、だいたいいつも「同じ話」なので、しばらく飽きていた、というのが正直なところかもしれない。

これも出版されたのはだいぶ前(私が読んだkindle版だと2015年9月になっている)なのだが、どうにもやはり、この日本の社会がだんだん奇妙なことになりつつあるせいなのか、ああ、そういうことなのかと膝を打つところがいくつかあった。

特に「贈与の訓練としてのサンタクロース」と「寿命の設定が短縮された」の部分かな~。

変な言い方だが、「愛や夢や希望みたいなことを語るための、『そういうことにしておく』ドライな割り切り方」について書かれた本なのではないか、という思いがする。

 

ジュリオ・トノーニ、マルチェッロ・マッスィミーニ『意識はいつ生まれるのか』(花本知子・訳、亜紀書房)

少し前に読了。

その前に読んだスターンバーグの著作に比べると、だいぶ得るところは多い。ただ、意識を生み出す脳の状態(多様性と統合)という、いわば意識を成立させる物理的な条件についてはかなりの程度踏み込んでいるのだけど、ではそもそも意識とは何なのかという本質については、「ああ、もうちょっとなのに」という示唆はそこここに見られるものの、「届いていない」感がある。

やはりそのためには、哲学的な考察はさておき、新生児から成人への発達とか、もっと単純な構造の動物から進化していくとか、そういう発生論的なアプローチが必要なのだろうと思う。

その意味で『タコの心身問題』は(今年になって読んだばかりではあるが)再読する必要があるかもしれない(この本にも頭足類への言及はあり、学術書ではなく一般向けの科学啓発本という著者自身のポジショニングからこの本では出典・参考文献が示されていないのだが、恐らく『タコの心身問題』も踏まえているのではないかと想像される)。

結局のところ、この問題を考えるうえでは、「意味」と(したがって)「関係」という観点から切り込んでいくしかないのではないか、と思っている。