月別アーカイブ: 2024年2月

鴻上尚史『八月の犬は二度吠える』(講談社)

著者が主宰していた虚構の劇団/第三舞台のファンにとっては、「舞台にするなら、この役はあの人かな…」などと想像をめぐらせる楽しみのある作品。そうやって考えているとだんだん役者の数が足りなくなったり、時間的・空間的な移動の関係でなかなか演出が難しそうだったり、ああ、やっぱり舞台では難しいことを小説でやりたかったのかなぁと思わせる(舞台化もされているみたいだけど)。

しかしこの作品で本当に面白いというか興味深いのは、主人公たちの物語が最終的にはとても残酷で、その残酷さはむしろ滑稽とまで言えるのだけど、ひょっとしたらそれは作者が期待した解釈ではないのかもしれない、と思わせるところだ。もし「いや、その解釈は私の意図した通りですよ」と作者が言うなら、けっこう意地悪な書き方というか、読者の多くの部分は、それとは違う解釈のまま読み終わってしまうような気がする…。

ネタバレになってしまうけど、要するに、「彼女が命を絶った理由と、彼女がそのとき望んでいたこと」を、主人公たちは理解しないまま今に(つまり小説の末尾にまで)至っている、ということだ。しかし、「主人公たちは勘違いしたままである」という設定が作者が意図したものだ、と言えるかというと、これはまた問題である。

いずれにせよ、複数の解釈や読み方を許容するという点で、それが作者の意図したものであるかどうかはともかく、良い作品だと言える。

又吉直樹『火花』(文春文庫)

珍しく、話題を呼んだ芥川賞受賞作品を読もうと思ったのは、先日読んだ宮沢和史『沖縄のことを聞かせてください』に対談相手として著者が出てきたから。

著者自身がモデルと思われるお笑い芸人の話だが、まぁ芝居でもバンドでも映画でも文学でも、表現者を主人公にした物語として普遍性のある作品だと思うが、悪く言えば、ありきたりとも思える。受賞に至ったのは、やはり昨今のパフォーミングアートの中では人気を集めやすい「お笑い」が主題だったからなのかな、という印象。

私自身はお笑いという芸事にほとんどまったく関心がない。それは、実際に見ればもちろん大笑いして楽しめるのだろうけど、本当に自分が面白いと感じるのはまったくオチのない話だったり、ボケもツッコミもなしに延々と続けられる会話だったりするだろうなぁ、と思ってしまうからなのだ。そもそも、(この作品でもそういう設定が出てくるけど)観客の投票によって順位をつけるような世界にはどうにも違和感があって、誰も笑わないけど自分だけが面白いと思うようなネタが本当に面白いのだ、とも思う。ある意味で、この作品の主人公が師匠と仰ぐ神谷という人物は、そういう面白さを追求している(したいと思っている)のかもしれないが。

 

久世光彦『ベスト・オブ・マイ・ラスト・ソング』(文春文庫)

和田静香さんのnote→小泉今日子(朗読)/浜田真理子(歌・ピアノ)『My Last Song』を経由して、この本を手に取った。

第二次世界大戦で命を落とした将兵を「美しい日本の山河を護るために、死んでいった」と捉えるような戦時下への郷愁や、読んでいるこちらが恥ずかしくなるような旧態依然としたジェンダー観は、実に産経文化人的な印象で、ちょっと辟易するほどである(それも無理からぬ話で、何しろ初出は「正論」での連載なのだ)。そういう思想と相容れなさそうな小泉/浜田へとつながっていくのが不思議なくらい。

とはいえ、もちろん、私にとっても琴線に触れる楽曲が取り上げられている章もたくさんある。

なかでも、小泉/浜田のCDに収録されていなかったせいもあって意表を突かれたのが、「おもいでのアルバム」という曲。本文中に引かれた歌詞を目にするなり、即座に頭の中でそのメロディが流れ始めた。実際に自分が歌ったとすれば50年以上前。その後何かの折りに耳にすることがあったとしても…いや、そうそう接する機会はない歌だし、いずれにせよ、物心つく前のはずだ。そもそも、タイトルさえ記憶になかった。というより、知らなかった。そんな歌が、歌詞を示されただけで脳裏に再現される。そのこと一つをとっても、歌というのは不思議なものである。

さて、私が「マイ・ラスト・ソング」に選ぶとしたら、何の歌だろう。実はMy Funeralと題したプレイリストはあるのだけど、これは、もし自分を偲んでくれる人がいるとすれば、そのあたりの曲と共に覚えていてほしいという話であって、自分が臨終の際に聴いていたいというのとはちょっと違う。

ところで著者の一曲は、結局これと決まったのだろうか。急逝だったようだから、実際にはそれを聴きながら、というわけにはいかなかったかもしれないが…。

臼杵陽『世界史の中のパレスチナ問題』(講談社現代新書)

古くは古代ユダヤからキリスト教の誕生、そして現代に至るまでの歴史の中に中東・パレスチナ問題を位置づけるという、新書サイズでそれをやるか、という野心的な内容。いちおう知っている内容が多かったけど、平易さをめざして「ですます」調で書かれているせいで、却って読みにくくなっている印象もある。

本書の出版は2013年なので、今まさに展開中の事態について直接的な手がかりになるとは限らないが、かつてはアラブ(諸国)対イスラエルという構図だったのが、どのような経緯で「パレスチナ」に凝縮されていったのかは伝わってくる(何しろ情報量が多いので消化不良にはなるが)。

結局のところ、問題の大半はキリスト教国、もっとはっきり言えば欧米諸国の責任だよな、という話になってしまうのは必然なのだけど、それも数百年にわたる話なので、現代の欧米諸国がきちんとその責任を取るというのも現実的には無理筋。一方で、もちろん、イスラエルのここ数カ月の行為が許される理由は皆無である。

今回のイスラエルによるホロコーストで、問題の解決はさらに30年、あるいはそれ以上先送りされてしまったと思うのだけど、ひとまずは、できるかぎり流血の事態を防ぐ対症療法に徹して、新たな英知が芽生えるのを待つしかない、という気がする。たぶん、国民国家という枠組が有力なままであるあいだは解決できないのだろう。