月別アーカイブ: 2021年10月

田崎健太『スポーツ・アイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる』(太田出版)

著者の豊富な取材経験をもとに、「人格形成にスポーツの選択が関わっているのではないか」という仮説を探っていくという本。

著者は最初に、これは「ある特定の領域において経験の中で見出されてきた『知』」=「ローカルな知」であって、普遍性や証明可能性はないものだと断りをいれている。

とはいえ、ベースが著者の取材経験であるだけに、題材として取り上げられるサンプルが傑出したアスリートに偏っている印象は否定できない。瀬古利彦、伊良部秀輝(と彼を語る金田正一)をはじめとするプロ野球選手、釜本やジーコなど私ですら名前を知っているようなサッカー選手、佐山サトル、長州力、北島康介…。いずれも興味深いエピソードが続出するのだけど、これだけ個性的な顔ぶれから「スポーツ・アイデンティティ(SID)」を導出するのは、さすがに強引であるように思う。

また、肝心の「スポーツ・アイデンティティ」の概念にもやや疑問が残る。野球において投手のSIDと捕手のSID、あるいはその他の野手のSIDがそれぞれ異なり、たとえば投手のSIDとサッカーにおけるストライカーのSIDに共通するものがあるのなら、それは「野球」というスポーツ、「サッカー」というスポーツのアイデンティティではなくなってしまう。投手であれ捕手であれ、あるいはそれ以外の野手や守備につかない指名打者であっても、野球選手ならば誰にでも(プロ野球ではない下位のカテゴリーであっても)共通する何か、それを摘出してこそ、副題にあるとおり「どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」と大上段に振りかぶることができるように思う。

取材経験をベースにしていることの弱点が、著者が直接取材をしていない(と思われる)競技に話が及んだときに露呈してしまうのは無理からぬ話で、ラグビー経験者として名前が挙がるのが橋下徹というのは、いかに有名人であるとはいえ、さすがに苦笑してしまう。そもそも、橋下徹がラグビー的な人物であると考える人はほとんどいないのではないか(なお同じ箇所で、他書の引用という形でラグビーを語っている内田樹/平尾剛の師弟コンビは徹底した反・橋下の立場であり、選手として到達したレベルの大きな違いはさておき、平尾はラグビー経験者として、あるいはWTBのプレイヤーとして、橋下と同じ枠に入れられることは断固として拒否するのではないか…)。

とはいえ、「スポーツの選択が人格の形成に関わっているのではないか」という著者の仮説は非常に面白い。もちろん、その因果関係は双方向であって、「こういうスポーツをやってきたからこういう人間になった」もあれば、「こういう人間だからこういうスポーツを選んだ」もあるだろうが(大人になってから趣味として始める場合はむしろこちらが大きいだろう)。

そして恐らく、ポジションや種目が何であるかに影響されない、あるいは競技のレベルにも左右されない、あるスポーツのアイデンティティというのは、(それを選択する、それに適合する人間の特性と裏表で)確かに存在するのではないかとも思う。ひどく不遜な例ではあるが、瀬古利彦と、底辺ジョガーとしてフルマラソンを何度か走った私の間にも、「マラソン」を選ぶに至った共通の要素として「マラソンのSID」は存在するのではないか、と。

著者の発想を手掛りに、若い研究者がこのテーマに取り組んでいけば、ずいぶん面白いことになるのではないかと思うのだが。

アマンダ・リプリー『生き残る判断 生き残れない行動』(岡真知子・訳、ちくま文庫)

いつ頃からかTwitterで神戸大学の田畑暁生教授をフォローしているのだが、彼が紹介する本に興味を惹かれることはたびたびあって、この本もその一冊。

ああ、こりゃダメだなぁ…と思う。いや、「この本が」ということではなくて、災害や事件・事故に遭遇した場合の、私自身の見通しである。自分はダメな思考や行動をすべてやってしまいそうな気がする。たぶん助からない。

かといって、それを克服できるような訓練を重ねられるような状況にもない。

この本から得られる教訓や心得で実践できることがあるとすれば、呼吸法くらいかな。あと、次はいつになるか何の予定も立たないけど、飛行機に乗るときは、ほとんど誰も読まない「安全のしおり」をしっかり読もう。そして非常時の脱出口もしっかり(複数)確認しておこう。初めてのビルに入るときは(非常)階段の位置に常に注意しよう。

うむ、個人の資質や条件の点でパッとしなくても、できることはそれなりにあるのだ。

岡嶋裕史『思考からの逃走』(日本経済新聞出版、kindle版)

この著者については、自分はすでにファンと称してもいいくらいに気に入っている。

タイトルは言うまでもなくエーリッヒ・フロム『自由からの逃走』のもじりと思われる。

間違いや失敗を恐れる傾向が強まると、人は自分で判断することを避けるようになる。かといって、他人=他の人間による評価にももちろん間違いや失敗の可能性は付きまとうし、そもそも恣意性や偏見がたっぷり含まれる人間の判断に重要な意志決定を委ねる気にはなれない。だったらむしろ、AIに判断を委ねる方が…。

そういう人がリアルに増えている状況に対する、多面的な分析。

テクノロジー系の著者なので、AIに対してかなりフェアな見方をしているのがこの本の良いところ。引用・参照したい論点は実にたくさんあるので、ひとつひとつ言及はできないのだが、オススメの本である。

この本に欠けている視点というか、物足りない点があるとすれば、AIが常に「単数」で捉えられているように思えるところだろうか。人間の思考に代わって判断・評価を下すAIが並列的に複数存在している状況は当然ありうるわけだし、ではどのAIの判断を採るのかという点で、また人間の選択という要素が復活してくるような気もするのだが。

 

アイリス・ゴッドリープ『イラストで学ぶジェンダーのはなし みんなと自分を理解するためのガイドブック』(野中モモ・訳、フィルムアート社)

しばらく前から、同業というか、翻訳関係の人をTwitterで積極的にフォローするようにしていて、その中のお一人の訳業とのことで、手に取ってみた。

まぁ何というか、自分は世間一般よりは多少はマシなのかもしれないけど、それでもやはり認識をアップデートする必要があるよなぁとも思っていたし。

人は多様であり、しかも変化する、ということ。これに尽きる。

もちろん「実はそれほど多様でもなく変化もしないのではないか」という省察は折々のタイミングで必要だとは思うのだけど、それでも、他の側面について「多様であり、変化する」ことが当たり前のように思われているのと同じ程度には、性的指向や性自認についても考慮されるべきだろう、という気がする。

翻訳については恐らく評価が分かれるのではないか。ただ、原著(こちらはkindleで購入した)の文体の雰囲気を活かそうという意志を強く感じる。そして、私自身もついやってしまいがちなのだけど、文章だけを追って読んでいると、その「ノリ」がしっくり来ない。せっかくそういう作りになっているのだから、しっかりイラストを見つめながら読まないとダメ(そしてその意味では紙の本で読む方がよさそう)。

あと、私が読みやすい/読みにくいと感じる文章を、他の人もそのように感じるとは限らないのは当然なのだが、そういう「読みやすい文章とはどういうものか」という評価軸にも、かなりの程度ジェンダーバイアスがかかってくる可能性はあるよなぁ、という気がする。

そうそう、私自身も翻訳業界の末席を汚す身として、「代名詞」の話はたいへん興味深い。もっとも、当然ながら英語で書かれたこの本では「一人称単数」については触れられていないのだが、日々翻訳の仕事をやっていて悩むのは、一人称単数を何にするか、だったりする。クライアントによってはきっちり基準を示してくれたりするのだけど。

森毅『学校ファシズムをけっとばせ』(講談社文庫、kindle版)

しばらく前に、互いに無関係な友人二人がたまたま近いタイミングで作文・読書感想文を話題にしていたのを読んで、「そういえば、遠足の感想文を、実際に行く前におおよそのスケジュールだけ伝えて想像で書かせてみたら、むしろいきいきとした文章が…みたいな話があったな」と、この本を思い出した。

最初に読んだのはたぶん中学生の頃。その後もおおいに影響を受け続けている。