月別アーカイブ: 2018年11月

ジョン・ウィンダム(中村融・訳)『トリフィド時代(食人植物の恐怖)』

いやはや、面白かった。

実はこの作品、40年近く前に読んだことがある。恐らく小学校高学年から中学1年生くらいまで、まぁそれくらいの年頃の読書好きの子供にはありがちな話だけど、SFに強く惹かれた時期があった。古今東西の名作を紹介した本を参考に、面白そうだと思ったものを読んだなかの一つが、この作品。当時は『トリフィドの日』というタイトルだった(恐らく1960年代の峯岸久氏の訳)。

この新訳には、「食人植物の恐怖」という、いかにもB級っぽい副題がついているし、たぶん子供の私もそういう分かりやすさに惹かれて選んだのではなかろうか。確かに、人間の天敵となる植物(=トリフィド)のことしか覚えていなかった。

しかし今回読み返してみたら、確かにトリフィドも印象的ではあるのだけど、それよりもむしろ、「人類ほぼ滅亡」の状況のなかで生き残ったわずかな人々がどのように文明/社会を再建していくか、というのがメインテーマであり、そこで文明観/社会観が分岐・対立していく様子が面白い作品だった。

これは小松左京『こちらニッポン』にも共通する要素で、やはり私はSFとしてはこういう設定が好きなのだなぁと再確認。確か『こちらニッポン』の解説で誰かが「小松左京のすごいところは、大きな嘘(架空の設定)を一つだけついておいて、あとは徹底してリアリズムを貫くところ」と評していたのだが、この作品もそんな感じ(まぁこの作品では「人類ほぼ滅亡」と「トリフィドの存在」と、二つの大きな嘘があるのだが)。

著者自身は続編を書いていないのだが、2001年にこの作品の発表50周年を記念して、別の作家が遺族公認の続編を著したとのこと。こちらは翻訳がないので、原書をkindleで買ってしまった。

 

松浦壮『時間とはなんだろう~最新物理学で探る「時」の正体』(講談社ブルーバックス)

図書館で久しぶりにブルーバックスの棚を見ていて、目についた本。

よい本なのだけど、私自身にとっては期待外れ。

経験的に知覚される時間から、ニュートン力学的な絶対時間、相対論から量子場の理論、超弦理論へと、「時間」というテーマからときどき大幅に脱線しつつも現代物理学に至る流れが語られるのだけど、そもそも「経験的に知覚される時間」という出発点を問い直す作業がなされていないので、「え、そこはもう前提にしてしまっていいの?」という戸惑いを感じざるをえない。

要は、私が本当に求めているのは哲学(人間の知性に対する問い直し)であって、物理学ではないのだなぁというだけの話なのだけど。

とはいえ、上述のような物理学の流れを把握するという点で、この本はとても説明が分かりやすいように思う。もっともそれは、末尾に参考文献として挙げられている吉田伸夫『素粒子論はなぜわかりにくいのか』を含め、関連の本をすでにいくつか読んでいるというベースがあるからかもしれない。参考文献といえば、この本では「なぜこの文献がお勧めなのか」を著者がきちんと書いてくれているので、「あ、次はこの本を読んでみたい」というのが分かりやすい。

 

中脇初枝『世界の果てのこどもたち』(講談社文庫)

「満州開拓のために高知の山村から移住」「日本に併合された朝鮮に生まれ生活苦のために満州に活路を求めて移住」「横浜の裕福な商社員の家に生まれ、ふとしたキッカケで満州の開拓地を訪問」という3人の少女の出会いと友情、その後の運命を描いた物語。

戦争で命を落とした人はもちろんたくさんいて、この作品でもそれは描かれているのだが、ふと、いずれ親になっていたかもしれない人がそのようにして死んでいったことで、ついに生まれることのなかった人間も、同じように(あるいはそれ以上に)たくさんいるのだよな、ということを、ふと思った。そう考えると、自分が昭和一桁世代の両親のもとに生まれて、いまこうして生きているのも、考えてみればものすごく幸運なことなのだ。戦争について考えるときに、いわゆる「生存バイアス」を避けるためには、小説ではあるけど、こういうものを読むことが一つの助けになるような気がする。

この作品に不満があるとすれば、というか、ものすごく不満なのだけど、「短すぎる」ということ(笑) 3人の女性の、幼少時からそれなりの高齢者になるまでの人生を描くのに、薄手の文庫本1冊ではいかにも物足りない。上中下くらいの分厚さはほしい。つまりこの世界をもっとたっぷり描いてほしいという趣旨で、要は評価は低くないのです。でもそれだと当節は読んでもらえないんだろうな。

 

本多一夫・徳永京子『演劇の街をつくった男 本多一夫と下北沢』(ぴあ)

泣ける。

いや、世間一般には「泣ける」本ではないはずだが、個人的に泣ける。

俳優への道を諦めて飲食店業に転じた後、下北沢の街に本多劇場、ザ・スズナリを頂点にいくつもの劇場を作ってきた本多一夫の一代記なのだが、ちょうど私自身が芝居にハマっていった時期と重なるだけに、しみじみと思い出深い。特に野田秀樹が世話になったという「学生課の金城さん」とか「カレー屋のおかみさん」(グリム館のことであるはず)とかはよく覚えているしなぁ。金城さんは顔までパッと浮かぶのだけど、姓からすると沖縄に縁のある人だったのかなぁ。

本書で何度も言及される「演劇すごろく」(あるいは「劇場すごろく」)、自分も最初の1コマまでは歩を進めたのだなぁ(OFFOFFシアターでは公演した)。まぁ別に「上にあがろう」というほどの意識はなかったような気がするが。

本多一夫という人物は下北沢という街の発展(というか成熟)に大きく貢献していると思うのだけど、必ずしも地元の人がみな彼を評価しているわけではない、という点にしっかり触れられているところも面白い。

本書が残念な点があるとすれば、昨今の下北沢再開発への言及(本多一夫がそれをどう見ているのか)が不足していることか。

いずれにせよ、やっぱりまた芝居を観に行きたくなる。この本で証言者として登場する有名どころの舞台も、実は一度もご縁がなくて観ていない人もいるし(加藤健一事務所とか)。もっと小さいところでは、今も芝居を続けている仲間の公演も、次に案内が来たら顔を出してみようかという気になっているのだが、そういえばしばらくDMが来ないけど、もう見捨てられてしまったかな?

こういう本をどこの出版社が出すのだろうと思って奥付を見たら、そうか、ぴあか。そうだよな。

内田樹・編『人口減少社会の未来学』(文春e-book)

少し前に読了。

ふむふむと読ませておきながら、突然暴論に走ってしまう執筆者が何人か目についたけど、いろいろな角度から人口減少の問題を分析していて、それなりに面白かった。ブレイディみかこ「縮小社会は楽しくなんかない」、高橋博之「都市と地方をかきまぜ、『関係人口』を創出する」がよかったかな。あと、平川克美「人口減少がもたらすモラル大転換の時代」も、彼の文章は前から読んでいるので似たような趣旨の繰り返しではあるのだけど、読むたびにしみじみと訴えかけてくるものがある。

エディー・ジョーンズ『強くなりたいきみへ~ラグビー元日本代表ヘッドコーチ エディー・ジョーンズのメッセージ (世の中への扉) 』(講談社)

知人が「ラグビー好きで早熟な読書家の小4男子に、何かラグビーの本を紹介してあげたいんですけど、オススメはありますか?」と尋ねていて、いま彼が読んでいるのはエディーさんの本だという。たぶんこれだろうと思い、ちょいと読んでみた。

恐らく小学校高学年~くらいを対象にした本だと思うが、大人が読んでもけっこう興味深い(特にラグビーファンであれば)。「君も、夢がかなわなくても、あんまり落ち込まなくていいんですよ」という一節にはけっこう心を動かされる大人もいるのではないか(これ自体が、エディーさん20代後半の頃のエピソードとの関連で書かれているし)。

 

安田浩一『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』(光文社新書、kindle版)

このところ話題になっている移民/外国人労働者受け入れというテーマで、先に紹介した『コンビニ外国人』もとても興味深いのだけど、そういえば、以前からわりと信頼しているジャーナリストであるこの著者がだいぶ前に書いていたよなぁと、この本を電子書籍で入手。

読み始めたら、「あれ、これ読んだことある」……(笑) 2014年に読書記録をこのブログに切り替える前に使っていた「読書メーター」の方に記録していた。読んだのは2012年。

ともあれ、再読。昨今報道で目にする「残業代時給300円」とか「パスポート、通帳強制預かり」とか、そういう奴隷労働的な実態については、すでにこの本の時点で詳細に報告されている……すると、この本の刊行当時から、状況はほとんど何も改善されていないということになる。ひょっとしたら、その後、研修生の出身国が中国から他のアジア諸国へとシフトしているという変化はあるのかもしれないが。

いずれにせよ、奴隷労働、人身売買という言葉がふさわしい実態がこの国にあることを、手に取りやすい新書/電子書籍という形ですでに8年前に世に問うているという点で、高く評価されるべき本だと思う。

なお、本書後半の日系ブラジル人労働者の「デカセギ」については、少し様相が異なる。むろん、彼らが景気変動に対応するための調整弁として使い捨てやすい低賃金労働者として利用されているという問題は深刻なのだが、それでもリーマンショック前の(相対的には)「良かった時代」や、限定的ながら生まれつつある「共生」の兆し、それにかの地に根付いている日系人文化など、ポジティブな要素も見られるからだ(このあたり、著者はやや情緒的に描いているような気もするが)。

というわけで、最近の「外国人材受け入れ」なる論議の前提として基本的な現実を知っておくという意味で、よい本だと思う。憂鬱になること必至だが。

 

鈴木道彦『余白の声~文学・サルトル・在日 鈴木道彦講演集』(閏月社)

先日の『プルーストを読む』に続いて、Amazonで目についた同じ著者の本。Amazonの「内容紹介」にもある「『なぜフランス文学の泰斗が、在日問題を?』との疑問」を感じて、図書館で借りてみた。

「講演集」という副題を見落としており、最初はけっこう身構えていたのだけど、柔らかい語り口で読み進められる。ただし内容は濃い。思想の流行り廃りの激しい日本ではサルトルなんて今どき読まれないけど、という前置きから「アンガージュマン」のあり方を探っていく感じ。著者の在日韓国・朝鮮人への関心も、そこから深まっていく。

いわゆる嫌韓的な感情については、わりと身近なところでも目にして、そのたびに苦々しい思いを味わっているのだけど、結局のところ、植民地主義から「解放」されていない日本人というのはけっこう残っているのだろうなぁ、と思う。例の徴用工判決あたりで噴き上がっている連中を見ると、ああ、この人たちはまだ植民地根性に支配されているのだな、と思う。

読みやすい本だったけど、消化するのはなかなか時間がかかりそう。小松川事件や金嬉老事件あたりも気になる。『越境の時』も買ってしまった。

 

 

 

 

ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『たったひとつの冴えたやりかた』(浅倉久志・訳、ハヤカワ文庫SF)

図書館で借りた版は、表紙や本文内に川原由美子のイラストが使われていたのだけど、どうも現行版では変わっているようだ。Amazonの画像で見る限り、こちらも悪くはなさそうだが。

さて、洒落たタイトルと上記のような装幀の印象から軽いタッチなのかと思っていたが、内容的には思ったより本格的なSFだった(※)。図書館の司書が利用者に対して「こんなのはどう?」とノンフィクションを3つ提案する、という設定による連作3篇。冒頭の表題作での、脳内に寄生・共生するエイリアンという設定が先日読んだ『地球の長い午後』と重なるのが奇妙な符合。最後の1篇は異言語コミュニケーションという主題もあって、翻訳屋としては面白い。真ん中の1篇も、解釈の幅を許す終わり方で良かった。

これはけっこうお勧めです。

※ といっても、文体はけっこう柔らかいので、イラストも結局のところよくフィットしていた。