月別アーカイブ: 2022年6月

梅田望夫『ウェブ進化論-本当の大変化はこれから始まる』(ちくま新書)

2006年に刊行された有名な本。私も当時(といっても、下手をすると何年か遅れだったかもしれないが)、読んだ覚えがある。

15年ちょっと経過した今、「答え合わせ」をするのは、あまりにも痛ましいと言うべきか。著者自身が「あとがき」で触れているように、「オプティミズム」(楽観主義)を常に意識して書かれたものであるだけに、その楽観的なビジョンが裏切られたという現実がある今、これを読むのは辛い。

しかし、「何がうまく行かなかったのか」「なぜ間違えたのか」を考えるという意味では、今こそ読むべき本なのかもしれない。

「うまく行かなかった」のは、本書でも再三出てくる「玉石混交」を「玉」と「石」に選別する作業である。いや、選別作業そのものは着々と進んでいる。しかし、第一に、選別の基準(ネット民主主義)が必ずしも適切ではない、という問題がある。これは確かメレディス・ブルサード『AIには何ができないか』だったかで詳しく言及されていたと思うが、要するに「人気のあるものが優れているわけではない」ということ。第二に、そしてもっと重要なのは、仮に適切な基準で「玉」と「石」を選別したところで、「石」が消滅するわけではない、という点。人によっては「石」ばかりを掴まされてしまうというのが現実だし、古くからある「石」もいつまでも転がり続けている。

こうして「玉石混交の選別がうまく行くはずだ」という著者の楽観は、現実にはあっさり裏切られてしまったのだが、その兆しはすでに本書の中にも現れている。

実は、今になってこの本を読もうと思ったのは、内田樹氏の、このツイート以下の一連の投稿を読んだのがキッカケである。

これに続く投稿でウチダ先生は、

「私は正しい投票行動をした」と思いたい有権者は「どの公約が適切か?」ではなく「どの政党が勝ちそうか?」を予想するようになる。

と分析している。

「ああ、何かの本でこれの典型的な例を見たなぁ」と思い出したのが本書なのだ(当初、その部分だけを探そうとしていたのに、見つけた後、結局全部読んでしまった)。

著者は2005年の衆議院議員選挙の際、得意のネット観察を通じて、既存の「政治に関するエリート層」の予測とは裏腹に、「小泉支持のかなり強い風が吹いているのを感じた」。そして、母親から「今回の選挙は、誰に入れるべきなのか」という相談を受けた著者は、「今回は小泉支持だと伝えた」のである。

10年以上前に本書を最初に読んだときも、この箇所で、「え、なんでそうなる?」と仰天したのを覚えている。私が考える投票行動とはまったく違うからだ。

著者はまさにここで、ネット民主主義による「人気のあるものが『玉』である」という危うい選別を採用してしまっている。こういう見当違いの楽観が、ネットにせよ現実の社会にせよ、いま生じているような厄介な事態を生んでしまったのだろうなぁ…。

 

 

アンディ・ウィアー『アルテミス(上)(下)』(小野田和子・訳、ハヤカワ文庫SF)

アンディ・ウィアーは、大ヒット(でもないか?)SF映画『オデッセイ』の原作である『火星の人』の著者。新作『プロジェクト・ヘイル・メアリー』も好評のようなので読みたいのだけど、文庫化を待ちたいところ。前作の本書も読んでいなかったので、こちらを先に読むことにした。

『火星の人』(原作は実は未読)は、ロビンソン・クルーソー的な、絶対不利な状況に1人残された主人公が知恵を絞ってサバイバルを図る内容だったが、『アルテミス』は月面に作られた街を舞台に多くの登場人物が交錯するSFアクションで、地球とは違う環境条件という点を除けば、趣はまったく違う。意図的なものだと思うが、主な登場人物は、みな国籍・人種・民族を異にしている(もちろん主人公とその父親は共通だが)。何より面白いのが、「いい計画はぜんぶそうなのだけど、この計画もクレイジーなウクライナ人の男がいないと成立しないのだった」と主人公に言わせているところで、著者はアメリカ人なのだが、アメリカ人から見たウクライナ人というのはそういう位置付けなのだろうか?

もちろんネタバレになるのでストーリー展開には触れないが、けっこう身勝手で、用意周到のようで見落としが多く、「やっちまった」感が強い主人公の魅力は捨てがたい。父親や保安官、街のトップである統治官、対立しているようで協力してくれる飲み友達(ある事情で不仲になった)、そしてもちろん、いいSFはぜんぶそうなのだけど、やはりこの小説を成立させるにも不可欠だったオタク色の強いエンジニアなど、脇役も魅力的である。

翻訳もまぁ悪くない。地の文が突然「ですます」調に変化して読者に(?)語りかけるようになるのは、悪い工夫ではないと思う。街のトップや主任科学者、そして主人公と、重要な役どころは女性なのだが、語り口がいわゆる女性語尾になってしまっているのはどうにかならないものか、と思うが…。あと、あまり上品な主人公ではないので罵倒語も頻出なのだが、そういうのの翻訳は難しいんだよな…。

そうそう、『火星の人』も読みたいなぁ。

大橋泰彦『ゴジラ』(白水社)

『セールスマンの死』(PARCO劇場)に出演していた高橋克実の名で劇団離風霊船を思い出し、その後、映画『シン・ゴジラ』を観たことで、ふと離風霊船の代表作の一つである『ゴジラ』を読みたくなった。この作品の舞台は…観たことあったかな? タイニイアリスあたりで観たような気もするが、記憶違いかもしれない。

『シン・ゴジラ』とは対照的に、こちらは誰もが「ゴジラ」を知っているという前提に立脚した作品。逆に、そこに依存しすぎという嫌いもあるが。

それにしても、この頃(1980年代後半)の小劇場というのは、不条理でありつつ、実にロマンチックなものだったなぁと感じる。ロマンチックというのは、ストーリーとして恋愛を描いているというだけでなく、舞台そのものがロマンである、という意味で。

たとえば「生身の役者が着ぐるみもなしにゴジラを演じて、何か問題でも?」といった態度に、演技や演出の可能性、そして何よりも観客の想像力への信頼感がすごく強いことが窺われる。そこにはもちろん、歌舞伎など伝統芸能や新劇における約束事とは違うものの、やはり観客との共犯関係とでも言うべきものがあって、そこに頼っていた部分ももちろんあるのだけど、「この表現についてこられる?」という挑戦的な態度があるように思える。「よく分からない」という人が一定割合、いや過半数でもかまわない、くらいの開き直りもあったのかもしれない。

本書はむろん新刊では入手できず、電子化もされておらず、図書館で借りたのだけど、蔵書点検や設備工事の関係で休館期間があって返却期限が少し延びているので、少し時間をおいてもう一度読み返したい。

島田雅彦『パンとサーカス(kindle版)』(講談社)

東京新聞に連載されていて、たぶん昨年8月末に完結した新聞小説。いちおう読み続けていたのだが、夏のあいだ、東京オリンピックとデルタ株から逃れるために自宅を離れており、新聞の購読を停止していたので、この小説も終盤だけ読めず、少し心残りに思っていたので、kindleで購入。

政治的な立ち位置という点では著者とはけっこう近いはずなので、この作品で描写される日本社会の問題などについては、うんうん、そうだよな、と思う部分は多いのだけど、それは文学作品としての価値とはあまり関係ないのか、この小説は駄作というか、読む価値はないと思う。ふと思い出したのが百田尚樹『永遠のゼロ』で、政治的な立ち位置は対照的であるとしても、作品の質には大差がないように思う。いや、それでも『パンとサーカス』の方がところどころ細部で読ませる部分があるだけ、さすがに上か。

宮田秀明『アメリカズ・カップ-レーシングヨットの最新技術』(岩波科学ライブラリー)

何度か書いているが、J Sportsで放映していたSail GPという大会で「空飛ぶヨット」をたまたま観て仰天し、いったいどういうことになっているのかと気になって、それ以来いろいろと関心が向いている。先日ブルーバックスで流体力学の本を読んだのもその一環だが、もう少しヨットに特化したものを読みたくなって、これを手に取った。

1995年のアメリカズ・カップに挑戦した日本艇の技術責任者が書いたもので、ということは四半世紀前の本であり、タイトルに「最新技術」とあるものの、その意味では古い。まだヨットが空を飛ぶ前の時代である。

とはいえ、艇を「飛ばす」点を除けば、ヨットに掛かる力が変わっているわけではないので、基本的な理解という点ではけっこう参考になった。

参考になったといっても、もう、とにかくややこしい(笑) ええと、風がこっちに吹いているときはセールにはこういう力が掛かって、基本的にはこっちに進むということは、キールと舵にはこういう力が掛かって、そのバランスが云々…なんてことを頭で考えていたらたぶん操作が間に合わないので、実際には、ほとんど反射的にというか、こっちに傾いたからこうだよね、くらいの身体感覚で操っているのかもしれない。それはたぶん自転車の乗り方のコツを言葉で説明されても、実際に乗ってみて、言われたようにやってみなければ頭に入ってこないのと同じだろう。

もっとも、そもそも私が実際にヨットを操縦することは今後もほぼ確実にないだろうし、それどころか、テレビで競技を観る機会もそれほど多くはない(観たいけど、他の競技を観るのに忙しくて観る暇がない)。その意味で私なんぞがこんな本を読んでも、ほとんど何の意味もない。

ただ、本書の著者は、こうした最先端の技術は、一般の人々には縁がないように見えても、そういうものを面白がり、わずかなりとも理解しようとする人たちの裾野が広がることによって支えられる、という趣旨のことを述べ、そのために本書を書いた、と言っている。これは船舶技術に限らず、あらゆる学問や芸術に共通することだろうと思う。私がこの本を読むことによって広がる裾野なんて多寡が知れているが、そもそも裾野というのはそういうものだ。

なお、この本を読んだ後もいろいろ気になって検索してしまったのだけど、ヨットが空を飛び始めたのは2010年代に入ってからなのかなぁ? 今のSail GPで使われているカタマラン(双胴)の艇は少し前のアメリカズ・カップの規定に沿ったもので、アメリカズ・カップでは前回2021年と次回2024年は単胴艇が使われるようだ。空を飛ぶことには変わりないけど。