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廣野由美子『批評理論入門-「フランケンシュタイン」解剖講義』

というわけで、これを読む準備としての『フランケンシュタイン』だった。

前半は小説がどういう構造になっていて、どういう手法が使われているのか、といった、まさに「解剖」と言うべき読み方の手ほどき。後半は、ある作品に対して、どういう視点や角度からの批評の仕方がありうるのか、こういう批評スタイルだったら、この作品のこういうところをこういう風に語ることになる、という例示。作品が1人の人間だとすれば、前半が医学的分析だとすれば後半は社会的評価といったところか。

副題にあるように、素材として取り上げられるのは『フランケンシュタイン』で、やはり先にこの作品を読んでおいた方が、この本もいっそう楽しめるように思う。もちろん、この本を読むことで『フランケンシュタイン』がいっそう親しみの湧く作品になることは間違いない。

主眼は後半にあるのだが、さまざまな批評のスタイルを並列的に紹介していくのを読み進めていくと、著者にその意図はないのだろうけど、何となくそれぞれの批評スタイルのパロディのような趣を感じてしまう。そんなわけで、ふと思い出したのが斎藤美奈子『文章読本さん江』。

本書で取り上げられている批評スタイルのうち、楽しんで読めそうだなぁと思ったのは、精神分析批評、フェミニズム批評、ジェンダー批評(アップデートの必要がありそうだが)、マルクス主義批評、あたりかな。

図書館で借りたが、これは家に一冊あってもいいなと思うので、たぶん買うことになりそう。

 

メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』(小林章夫・訳、光文社古典新訳文庫)

この次に『批評理論入門』を読む予定なのだが、その題材として取り上げられている作品ということで、ひとまずこっちを先に読んでおかなきゃと思うのが似非教養主義者の悪い癖。

マッドサイエンティストが作ってしまった醜悪にして凶悪な人造人間である、この怪物の名前を知らない人はいないだろう。

…本当に?

いや、私もそう思っていた。だが、この作品を読みはじめると(いや読み終わっても)、自分がこの怪物の名前を「知らない」ことに気づかされる。

朝日新聞の読書サイト「好書好日」の編集長を務める加藤修は、学生時代、特にスパイシーでも何でもない、昔ながらの洋食屋的なカレーの香りをかいだだけで汗をかく私のことを笑って、「パブロフくん」と呼んだ。だがパブロフは犬を使って実験した研究者の名前であって、条件反射を示した犬の名前ではない。

それと同じように(同じか?)、フランケンシュタインというのは、件の怪物を作ってしまった科学者の名前であり、実は怪物には名はないのだ。そのことを知るだけでも、この作品を読む価値はある。

…などと冗談めかして書いているが、真面目な話、実際のところ、読む価値のある作品だ。設定・進行にやや無理を感じる部分はあるし、19世紀初めに書かれたものなので古めかしさはあるのだけど、とはいえ、この作品の主題が現代のさまざまな問題に通底していることは一読して明らかであるように思う。まぁこの作品に対してどういう読み方があるかは『批評理論入門』が徹底して明かしてくれるだろう。

 

木村紅美『あなたに安全な人』(河出書房新社)

主要紙でも好意的な書評がずいぶん出ているようだが、実際に読んでみると、これは人に勧めにくい小説である。

いや、貶しているわけではなく、とても良い作品で、私自身は読み終わった後すぐに二度目に取りかかろうとしたほどなのだけど、人に勧めるにあたっては「読む覚悟はありますか」と念を押す必要がありそう。文学的直球。しかも打ちにくいコースに投げ込んでくる。まぁ著者のこれまでの作品もそうだったかも。

幸福な読後感を期待してはいけない。救いがまったくないとは言わないが、今そこにある希望の有効期限はボールペンを1本使い切る未来まで、のように思える(もちろん、その次のボールペンもあるのかもしれないが)。

金原ひとみの「徹頭徹尾息が詰まるような低酸素的息苦しさに満ちている」という評価には共感するが、斎藤美奈子の「コロナ小説の中でも出色のできだと思う」は如何なものか。新型コロナは舞台装置の一つではあっても、この作品の本質はそこではなかろう(なお批評の質にはさほど影響していないのだけど、この2人は主人公の設定について共通の誤読をしている)。

先日我が家を訪れた文芸評論家は「芥川賞あるね」と言っていたけど、この作品が昨年を代表しているのであれば、なるほど今は希望に溢れた幸福な時代ではない。

村上春樹『ノルウェイの森』(講談社文庫・kindle版)

竹内&朴本で「ビリヤード」への言及が繰り返されていて、つい思い出してしまったのがこの小説で、どうしても読みたくなった。『翻訳夜話2』によれば、本人としてはそういう認識はあまりなかったようなのだが、村上春樹がサリンジャーの影響を受けていないとは考えにくい。「死者」と最後に会ったときにビリヤードをやっていたというパターンは、この小説では2回繰り返されている。だから何、と言われてしまえばそれまでなのだが。

単行本は実家に残っているかもしれないし、今の家には家人が持っていた文庫版があるように思っていたのだが見当たらず、kindleで購入してしまった。

今読み返せば、確かに感心しない部分がいくつも目につくし、それほど評価すべき小説とも思えないのだけど、まぁ一時代を画した作品ではあるな。

村上春樹・柴田元幸『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』(文春新書)

村上訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んだご縁もあるので、これを借りてみた。

う~ん、竹内&朴本を読んだ後だと、「いやいや、あれってもっと面白い小説なんじゃないの?」と思えてならない。

え、感想それだけで済ませるの、と言われそうだが、そうなってしまう。

東山とし子『ぶつよ!―奇跡の焼鳥屋「鳥重」名物お母さんの元気が出る言葉』(講談社)

2021年、最後に読了したのはこの本だった。

こういう副題が付いている本を読むことは珍しいのだけど、もちろんこの本を手に取ったのは「元気が出る言葉」を求めてではなく、「鳥重」への懐かしさに駆られてのこと。この本の存在はだいぶ前に知ったのだけど、12月に恒例の『メサイア』後の焼き鳥ディナーを経て、焼き鳥と言えば、と思い出して読んでみた。

私が初めて「鳥重」を訪れたのは、たぶん1989年。新入社員だった私は、何かの企画で(確かモンゴルだかネパールだかの画家の展覧会だったような気がする)隣の部署だったギャラリー部のイイダさんの補助をすることになったのだが、そのイイダさんがこの店に連れて行ってくれたのだ。当時は本書で語られているほど予約の取りにくい店というほどでもなかったはずだが、それでも人気店で、しばらく店の前で席が空くのを待つことになった(この本によれば3交代の入れ替え方式で営業していたようだ)。その晩は雨が降っていたのだが、彼は「ここが美味いんだよ」と繰り返し、あくまでもそこで飲むことを主張した。周囲に他に飲む店はいくらでもあるのに敢えて雨の中で待つほどなのだろうかと半信半疑だったが、いざ入ってみたら、その味とボリュームと値段に驚倒した。

イイダさんは私よりだいぶ年上だったのだが(それでも今の私よりはかなり若かったに違いない)、確か中途採用だったはずで入社してまだ日も浅く、その分、同じく会社に馴染んでいない新入社員の私に幾許かの親近感を抱いてくれていたように思う。周囲に才気あふれる感じの人が多い中でひときわ地味な印象だったが、優しい人だった。私は早々に転職してしまい、その後はまったく接点がなくなってしまったが、お元気なのだろうか。

「鳥重」には、その後は自力(というのも妙だが)でも何度か訪れ、「お母さん」からは、息子さんがラグビーをやっているという話も聞いた。確か目黒(現・目黒学院)か本郷か、当時の私でも知っているくらいの強豪校だったように思う。

誰もが「とりしげ」と呼んでいたようだが、本書によれば、本来は「とりじゅう」だったらしい。

渋谷で働かなくなってからは足が遠のいてしまったのだけど、本書によれば、常連だった有名芸人がテレビで名を挙げたことで、きわめて予約を取りにくい店になってしまったようだ。

この店は、2010年代前半に廃業してしまった(本書を読んだのに年が正確でないのは、元号での表記が苦手で年を覚えられないから。平成25年だか26年だか、そのあたり)。

今はもう無い、記憶に残る店の一つである。そういう店はいくつもあるが、こうして本になって記録が残されているのはありがたい。浅井愼平による写真も良い。