2023年に読んだ本」タグアーカイブ

竹倉史人『土偶を読む-130年間解かれなかった縄文神話の謎』(晶文社)

わずかな部分を除いて昨年中に読み終わっていたので、2023年に読んだ本にカウントしておく。

昨年刊行された人文書の中で高く評価されていたのが、本書に対するアカデミックな批判と思われる『土偶を読むを読む』(文学通信)。本書を読まずに、こちらをいきなり読んでも大丈夫そうなのだけど、図書館の予約もだいぶ待たされそうなので、待たずに借りられる本書をまず読んでみることにした。

私自身、このところ毎年夏、まさに縄文文化が栄え、国宝に指定されている「縄文のビーナス」が発見された場所を訪れているので(もちろんこの土偶も本書で取り上げられている)、土偶にまったく無関心というわけでもない。

専門的な立場からの批判書が出ているということを知ったうえで手に取ったので、先入観を抱いた状態で読んだのは否定できないけど、それはそれとして、面白いですよ、これ。サントリー学芸賞を受賞したのもうなずける(もっとも同賞の「社会・風俗部門」というのは、どういう位置付けなのか分からないけど)。

もっともその面白さは、土偶のレプリカと一緒に寝ているうちにインスピレーションを得てしまったり、「縄文脳インストール作戦」なる(かなり独りよがりな)アプローチを試みたりと、トンデモ本系のあやうい面白さ、と言うべきかもしれない。まぁ、いわゆる「遮光器土偶」を古代に地球を訪れた宇宙服着用の異星人の姿に見立てる解釈よりはだいぶマシであるとはいえ。

考古学や土偶についての知識がなくても、著者の論理展開にはけっこう矛盾や無理を感じるし、「さすがにそれはコジツケでしょ~」と叫びたくなる部分もある。

まぁ、専門的な学者の見解へと読み進めためのステップ(文字どおり、踏み台)としては面白い本なのではないか。近々、『土偶を読むを読む』も読むつもり。

幡野広志『うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真』(ポプラ社)

中学時代に写真部だったのだけど、ちゃんと写真を勉強したことはないし、教えてもらった覚えもない。聞きかじり、又聞きなど、この本のなかで「三次情報」と批判されているような知識だけに頼って撮っていたように思う。

で、Twitter(現X)で著者が書いていたアドバイスに感心したことがあり、評判の良いこの本を買ってみた。

詳しい人が読めばもちろんいろいろ突っ込みどころはあるだろうし、何を撮りたいかによってはこの本のアドバイスがまったく見当外れになってしまう場合もある。とはいえ、私のようにちょっと写真に関心のあるシロウト向けの一般論としては、「おおっ」と思えるような教えがいくつも含まれているように思えた。「ヘタだけどいい写真」の作例として挙げられている写真も、なるほど、いい写真だ。

ただ、いくぶん整理不足を感じる部分があり、スマホだろうと安手のコンパクトデジカメだろうと使っている機材にかかわらず即座に実践できるアドバイスと、「そんなの、それなりの金額を払ってちゃんとしたカメラを買わなきゃ無理じゃん」というアドバイスが混在している。たとえば、「何が何でもRAWで撮れ」と書いてあるので、よし、そうしようと思って自分のカメラ(スマホ)を見てもその設定が無い、という状況はけっこう多いのではないか。

とはいえ、良い本。まぁプロはこんな本読まないだろうし、もちろん読む必要もないだろうけど、プロに読んでもらって、ツッコミを聞きたい。

(なお、この表紙のイラストにはあまり感心しない。著者の家族構成を反映しているのだろうから、こうなってしまうのは無理もないのだけど)。

 

三牧聖子『Z世代のアメリカ』(NHK出版新書)

かつて書籍翻訳の仕事でお世話になった編集者の方がFacebookで紹介していたので気になった本。

現在の米国の暗澹たる状況を分析しつつ、次代の担い手である「Z世代」による変化に希望を見出している内容。と、まとめてしまうのは粗雑すぎるかもしれない。2023年7月の刊行なので、10月以降のガザの情勢などは反映されていないのだけど、もちろんパレスチナ問題(というより「イスラエル問題」か)への言及もあり、実際に、今回の事態をめぐって報道される米国内の状況を見ると、なるほどと思わせる部分がある。

確かに希望は描き出されているのだけど、「世代」による変化に期待をかけていては間に合わないのではないか、という懸念もある。もっとも、そんなことを言うと英雄待望論に堕してしまって、それはそれでダメだと思うのだけど。

西村まさゆき『ふしぎな県境』(中公新書)

愛読しているウェブメディア「デイリーポータルZ」で、出入りのライターが執筆している書籍を特集していて、そこで気になった本。

要するに、話題とするに足る面白い都道府県境を訪れてみるという街歩きネタ本の類なのだけど、どうして境界がそのように面白いことになったのか、という背景・歴史にまで探りを入れているので、なかなか知的な内容になっている。

この本をガイドブックに現地を訪れてみようという気になる、というほどではないが、読んで損はない本。

 

宮本勝浩『「経済効果」ってなんだろう?』(中央経済社)

最近だと大阪万博について「経済効果○兆円」みたいな試算が喧伝されているのは皆さんご存知のとおり。そもそも経済効果って何なのよ、と思って、お手軽にWikipediaを覗いてみると、関西大学名誉教授の宮本勝浩という人が、イベントなどの経済効果の試算を数多く手掛けているようだ。すると、この人の著書を読めば、経済効果の何たるかが分かるのではないか。

そう思って検索すると、『「経済効果」ってなんだろう?』という、そのものズバリの初学者向け啓蒙書があるようなので、さっそく読んでみた。

袖の部分に、

「ザックリこれくらい」「だいたいこんなもの」「このくらいはあってほしい金額」、なんて思っていませんでしたか。

実は、詳細なデータにもとづいて、かなり緻密に計算されているのです。

とある。

読み始めると、「はじめに」に、

私たちは、その数字を見れば、みんなが楽しく、元気になり、日本全体、地域そして業界が活性化するような経済効果の計算をするように心がけている。

とある。むむむ。そうすると「経済効果」というタームが出てくると、必然的に景気のいい話ばかりになるのではないか。

本編に入ると、その印象はますます強まる。阪神タイガースの優勝がもたらす経済効果を試算する例のところで、

また、阪神の優勝で、巨人や他の球団のファンの消費が代替的に減少するので、それらのマイナスの経済効果も考慮すべきであるとの批判も考えられたので、巨人ファンの多い関東地域や、中日ファンの多い東海地域のマイナスの経済効果は推計せず、阪神ファンが圧倒的に多い近畿地域の経済効果のみに分析を限定した(本書24ページ)。

とある(ちなみに2012年刊行なので、今回のタイガースの優勝ではない)。

えええええ! 「との批判も考えられた」のであれば、その批判に耐えうるような分析を行わなければダメなのに、まさにその批判を裏付け強化するようなことをやってどうするの(笑)

まぁこのへんですでに「このくらいはあってほしい金額」でしかないのだなぁということは容易に想像できるのだが、それ以外にも、首を傾げたくなる部分は随所にある。

たとえばAKB48の経済効果の節で、

AKB48の直接効果の推定額は約240億~300億円であるので、その平均値270億円をAKB48の直接効果と考えることにする(本書49ページ)。

とある。この著者は「平均」の意味を理解しているのだろうか。

大阪マラソンの経済効果の節では、冒頭に、

計算の結果、約124億円の経済効果があることが立証された(本書114ページ)。

とあるのだが、読み進めていくと、その「計算」とは「…と仮定する」「…と推定された」の積み重ねである。「立証」と称するには、誰もが同意する確かな根拠から論理的に導くべきではないか。

また、何を経済効果として加算していくかという選択もきわめて恣意的である。たとえばダルビッシュのレンジャーズ入団による経済効果の節では、レンジャーズがダルビッシュに支払った契約金まで経済効果に算入されている。しかしこれは、「ダルビッシュ入団」という出来事を実現するためのコストではなかろうか。

かように、要するに「経済効果」とは、まさに袖に書かれた「このくらいはあってほしい金額」そのもので、まともな経済学的・数学的素養すらない人が、恣意的に情報を選択し、希望的観測に徹して積み重ねた無意味な数字であることが分かる。

まぁ、こんな本を読まなくても、おおかたそんなものであろうと察している人は多いだろうが、人柱として最後まで読んでみた次第である。

呉明益『自転車泥棒』(文春文庫)

台湾の小説を読むのは初めてかもしれない。確か家人の叔父がいろいろと言及していたような気がする…。

『自転車泥棒』というタイトルからはもちろんイタリア映画の名作を連想するのだけど、私は未見なので先入観なしで読む(教養なしとも言う…)。

太平洋戦争当時の東南アジアでの戦争を背景に、主人公を含む登場人物の家族史が、自転車を軸に語られる。主人公の視点は現在なので年代物のヴィンテージ自転車なのだけど、スポーツサイクルではなく無骨な実用車。

幻想的な要素も含め、これぞ文学という感じ。図書館で借りたのだけど、これはたぶん買って再読する。

藤沢周平『たそがれ清兵衛』(新潮文庫・kindle版)

時代小説や剣豪モノは、それほど頻繁には読まないけれど嫌いではなくて、この読書ブログでも、新聞連載を機に読んだ葉室麟の三部作について投稿したし、中学生の頃から(一家で・笑)吉川英治『宮本武蔵』『鳴門秘帖』あたりは読んでいた。

もっとも『宮本武蔵』はあまりにも求道者というか、ストイックかつ暑苦しい印象を抱いてしまう面もある。

実は藤沢周平の作品を読むのはこれが初めてなのだけど、この人の作風なのか、特にこの短編集がそうなのか、主人公はそれぞれ凄腕の持ち主ではあるのだけど、そこが突出することなく、いわば爪を隠して平凡な生活に埋もれている感じが良い。もちろん、戦乱の余韻がまだ残る時代設定と、徳川の治世が続いて、むしろ行き詰まりの空気が漂う時代設定とでは、自ずから人物造形も変わってくるのだろうけど。

確か義母がこの作者については詳しいはずなので、お勧めを教えてもらおう。

 

 

安田浩一『なぜ市民は座り込むのか 基地の島・沖縄の実像、戦争の記憶』(朝日新聞出版)

かつて、一番多い年には年に5回も沖縄を訪れていたものだが、近年はすっかり行かなくなってしまった。フルマラソンを走らなくなったこと、コンクールを受験しなくなったこと、「飲み」の楽しみがわりと身近に充足されるようになったことが大きい。

もう一つ、自分にとってけっこう大きいのが、「恥ずかしくて行けない」という理由である。辺野古の新基地建設が始まってしまったからだ。旧態依然たる植民地支配を続けている国の人間であるという自覚があれば、のうのうとその土地に足を踏み入れることは躊躇せざるをえない。

しかしこの本を読んで、やはり、いずれ行かねば、という思いに駆られた。そしてもちろん、その折には辺野古を訪れるのだ(辺野古に限らないけど)。

日本社会が全身から発散している沖縄へ向けての差別と偏見が、真剣に闘っている者に対する嘲笑と冷笑が、それだけ行き渡っているということだ。(本書「あとがき」より)。

西村博之や堀江貴文、高須克弥といった下卑た薄笑いを絶やさない連中に象徴されるように、沖縄の問題に限らず、物事を真剣に考えない、それどころか真剣に考えること自体を嘲笑する風潮が、今のこの社会に広がっているように思う。「闘う君の歌を闘わない奴が笑うだろう」という歌詞そのままに。

 

 

木内昇『かたばみ』(角川書店)

新聞に連載されていて、けっこう毎日楽しみに読んでいたのだけど、夏に山の家で過ごすあいだは新聞購読を止めてしまう関係で、最終版の部分を読めていなかったはず。この8月に単行本が出て、kindle版も刊行されたので、改めて読んでみる。

たいして話題にはならなかっただろうし、今後もそれは変わらないだろうけど、なかなかの佳作。新聞小説の王道というか、読ませ、泣かせる。人物の設定も優れているし、けっこう重要な要素である「野球」の扱いもよい。太平洋戦争中~戦後の東京郊外で暮らす市井の人たちの話なのだけど、あれこれ美談を語る人はいるとしても、結局のところ、戦争で良いことなんて一つもなかったのだよなぁと思わざるをえない。

ところで私は著者の名前を「きうちのぼる」と読んで、男性だとばかり思っていた。正しくは「きうちのぼり」と読み、女性である。

橋本洋介『日本語の謎を解く』(新潮選書)

先に読んだ『もっともわかりやすいラグビー戦術ガイド』から、この本へと流れるというのが、私の乱れに乱れた読書傾向を象徴するところ(笑)

で、本来は「蹴る」の活用は…みたいな疑問から日本語文法が気になり、何となく面白そうだった本書を手に取る。「ら抜き表現」はよく話題になるテーマなので扱われているだろうし、と。

著者が教える高校の生徒から日本語をめぐる疑問を集めて、それに答えるという構成。したがって、体系的に日本語文法を把握するという話にはならないのはやむをえないところ。

とはいえ、個々のトピックはほぼすべてが面白い。特に印象に残ったのは、日本語では本来色を表す言葉は「白、黒、赤、青」しかなかった、という話かな。

「ら抜き表現」も含めて、言葉の変化/進化について概ね肯定的に論じているのが好印象。それと、やはり(著者の言語研究の出発点でもあるらしい)中国語というのは面白そうだなぁ。