月別アーカイブ: 2024年1月

藤沢周平『蝉しぐれ』(文春文庫)

家人の実家には藤沢周平作品がけっこう揃っていて、年明けに新年会で訪れた際に、「『たそがれ清兵衛』を読んだけど、次に何を読もうか」と相談したら、この作品の名が挙がったので借りてきた。

一つの中編作品なのだけど、それを構成する一章一章が独立した短編でもあるかのように存在感があって、そこがよい。一気に何章も続けて読むのではなく、一章ずつ、日数をかけて読んでいく感じ。

巻末の解説で西欧の近代小説との類似が指摘されている影響もあって、読後、何となく、フローベール『感情教育』を再読したくなった。

(↓ 画像とリンク先はkindle版だが、現行の文庫版は上下二冊になっているようなので。私が読んだものは一冊)

中井亜佐子『日常の読書学:ジョゼフ・コンラッド「闇の奥」を読む』(小鳥遊書房)

先日『闇の奥』を読んだのだけど、何がキッカケで読む気になったのかまったく自覚していなくて、ひょっとして、これの書評でも読んで気になったのかな、と思って本書を手にとった次第。実際には理由は違ったような気がするけど、ひとまずこの本もよい本であった。

以前に読んだ『批評理論入門-「フランケンシュタイン」解剖講義』と同様に、一つの作品をいろいろな方法で読んでいく試み。「日常」というタイトルのわりに、けっこう専門的な「批評」としての読みの比重が大きいのがちょっと残念な気もするが、それはそれで面白い。

しかし、ある「読み方」を選択することが、それ以外の読み方に対する否定にならないようにするのは、けっこう難題だよな…と思う。それにしても、たとえば欧米先進国がアジアやアフリカを蔑視していた過去というのは、そちらの人間にとってもこちらの人間にとっても、もはや拭い去ることのできない歴史で、誰もそこからはのがれられないのだよなぁと、昨今のご時勢を見るにつけても、なかなか辛い現実であるように思う。もちろん、それに耐えられずに修正主義に走ってしまう心弱い人たちもいるわけだが。

宮沢和史『沖縄のことを聞かせてください』(双葉社)

良さそうだと思って買ったのに「積ん読」状態になっている本を片付けていく年にしようと思っていて、その第一弾。

12月に書いたことだが、沖縄について「恥ずかしくて行けない」という意識を抱いてしまう私のような人間から見れば、ある意味、その先駆者的な立場にある宮沢和史(THE BOOM)の対談集。対談部分も、相手の人選を含めて実に読み応えがあるのだけど、序曲・間奏曲的な宮沢自身のエッセイ部分もとてもよい。

THE BOOM「島唄」を知らない人はほとんどいないと思うのだが、20世紀終盤くらいに唄三線を始めた場合、

(1)「島唄」を聴いて、ああ、沖縄の唄っていいなぁと思う
(2)唄三線を始める
(3)「『島唄』なんて、あれはヤマトの人間が作った紛いもので、本当の島唄っていうのはね~」などと思うようになる(口にする人もいる)
(4)もう少し稽古を積む
(5)「そうか、『島唄』のイントロって…」などと思うようになる
(6)「『島唄』ってきちんと民謡をリスペクトしているよね」と思うようになる

みたいなパターンをたどる人がけっこういたのではないか。たぶん(3)で止まってしまった人も多いだろうけど。

本書には、その「島唄」が作られヒットしていった頃の経緯が詳しく書かれていて、上の流れで言えば、(7)のキッカケになるような気がする。

ちなみに対談部分で言えば、平田太一の章、「斜め」の立ち位置にいる大人についての言及が特に印象的だった。

ジョゼフ・コンラッド『闇の奥』(光文社古典新訳文庫)

2024年一冊目は、これ。

例によって、どういうキッカケでこれを読もうと思ったのかは忘れてしまった。『地獄の黙示録』の原作というか下地になった作品として有名。この版の解説にあるように、オープンクエスチョンのままというか、明快なカタルシスのないまま終る、熱病に浮かされたような印象を与える小説のように思える。

「話の意味は、胡桃の実のように殻の中にあるのではなく、外にある」(15頁)

そういえば、「日常の読書学:コンラッド『闇の奥』を読む」という本が昨年初めに出版されたらしい。もしかしたら、この本の書評を読んで、まずこの作品を読んでおこうと思い立ったのかもしれない。

竹倉史人『土偶を読む-130年間解かれなかった縄文神話の謎』(晶文社)

わずかな部分を除いて昨年中に読み終わっていたので、2023年に読んだ本にカウントしておく。

昨年刊行された人文書の中で高く評価されていたのが、本書に対するアカデミックな批判と思われる『土偶を読むを読む』(文学通信)。本書を読まずに、こちらをいきなり読んでも大丈夫そうなのだけど、図書館の予約もだいぶ待たされそうなので、待たずに借りられる本書をまず読んでみることにした。

私自身、このところ毎年夏、まさに縄文文化が栄え、国宝に指定されている「縄文のビーナス」が発見された場所を訪れているので(もちろんこの土偶も本書で取り上げられている)、土偶にまったく無関心というわけでもない。

専門的な立場からの批判書が出ているということを知ったうえで手に取ったので、先入観を抱いた状態で読んだのは否定できないけど、それはそれとして、面白いですよ、これ。サントリー学芸賞を受賞したのもうなずける(もっとも同賞の「社会・風俗部門」というのは、どういう位置付けなのか分からないけど)。

もっともその面白さは、土偶のレプリカと一緒に寝ているうちにインスピレーションを得てしまったり、「縄文脳インストール作戦」なる(かなり独りよがりな)アプローチを試みたりと、トンデモ本系のあやうい面白さ、と言うべきかもしれない。まぁ、いわゆる「遮光器土偶」を古代に地球を訪れた宇宙服着用の異星人の姿に見立てる解釈よりはだいぶマシであるとはいえ。

考古学や土偶についての知識がなくても、著者の論理展開にはけっこう矛盾や無理を感じるし、「さすがにそれはコジツケでしょ~」と叫びたくなる部分もある。

まぁ、専門的な学者の見解へと読み進めためのステップ(文字どおり、踏み台)としては面白い本なのではないか。近々、『土偶を読むを読む』も読むつもり。