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藤沢周平『用心棒日月抄』(新潮文庫)

『たそがれ清兵衛』『蝉しぐれ』に続き、藤沢周平作品。

これも面白かった。

数年前にまとめて読んだ葉室麟の連作も赤穂浪士の討ち入りが背景になっていたのを思い出す。こういう、たいてい誰でも知っている事件のサイドストーリーを描くのは、まず間違いなく面白くなるような気がする。『忠臣蔵』は昔、子ども向けのバージョンで読んだきりだと思うのだが、吉良邸の隣、土屋家の高張り提灯が塀際に掲げられている、という本作でも描かれる情景はよく覚えている。

そういえば、たとえば「宮本武蔵なら吉川英治」みたいに、現代の時代小説(という言い方も変だけど)における『忠臣蔵』の定番というのはあるのだろうか。

本作末尾にかけていろいろ伏線が張られているので、続編も読むことになりそう。

しかし主人公、本作では最終的に美しい許嫁と結ばれるのに、伏線的には他にも複数の魅力的な女性と関わりがあって、困ったことになりそうな予感がある。

 

鴻上尚史『八月の犬は二度吠える』(講談社)

著者が主宰していた虚構の劇団/第三舞台のファンにとっては、「舞台にするなら、この役はあの人かな…」などと想像をめぐらせる楽しみのある作品。そうやって考えているとだんだん役者の数が足りなくなったり、時間的・空間的な移動の関係でなかなか演出が難しそうだったり、ああ、やっぱり舞台では難しいことを小説でやりたかったのかなぁと思わせる(舞台化もされているみたいだけど)。

しかしこの作品で本当に面白いというか興味深いのは、主人公たちの物語が最終的にはとても残酷で、その残酷さはむしろ滑稽とまで言えるのだけど、ひょっとしたらそれは作者が期待した解釈ではないのかもしれない、と思わせるところだ。もし「いや、その解釈は私の意図した通りですよ」と作者が言うなら、けっこう意地悪な書き方というか、読者の多くの部分は、それとは違う解釈のまま読み終わってしまうような気がする…。

ネタバレになってしまうけど、要するに、「彼女が命を絶った理由と、彼女がそのとき望んでいたこと」を、主人公たちは理解しないまま今に(つまり小説の末尾にまで)至っている、ということだ。しかし、「主人公たちは勘違いしたままである」という設定が作者が意図したものだ、と言えるかというと、これはまた問題である。

いずれにせよ、複数の解釈や読み方を許容するという点で、それが作者の意図したものであるかどうかはともかく、良い作品だと言える。

又吉直樹『火花』(文春文庫)

珍しく、話題を呼んだ芥川賞受賞作品を読もうと思ったのは、先日読んだ宮沢和史『沖縄のことを聞かせてください』に対談相手として著者が出てきたから。

著者自身がモデルと思われるお笑い芸人の話だが、まぁ芝居でもバンドでも映画でも文学でも、表現者を主人公にした物語として普遍性のある作品だと思うが、悪く言えば、ありきたりとも思える。受賞に至ったのは、やはり昨今のパフォーミングアートの中では人気を集めやすい「お笑い」が主題だったからなのかな、という印象。

私自身はお笑いという芸事にほとんどまったく関心がない。それは、実際に見ればもちろん大笑いして楽しめるのだろうけど、本当に自分が面白いと感じるのはまったくオチのない話だったり、ボケもツッコミもなしに延々と続けられる会話だったりするだろうなぁ、と思ってしまうからなのだ。そもそも、(この作品でもそういう設定が出てくるけど)観客の投票によって順位をつけるような世界にはどうにも違和感があって、誰も笑わないけど自分だけが面白いと思うようなネタが本当に面白いのだ、とも思う。ある意味で、この作品の主人公が師匠と仰ぐ神谷という人物は、そういう面白さを追求している(したいと思っている)のかもしれないが。

 

藤沢周平『蝉しぐれ』(文春文庫)

家人の実家には藤沢周平作品がけっこう揃っていて、年明けに新年会で訪れた際に、「『たそがれ清兵衛』を読んだけど、次に何を読もうか」と相談したら、この作品の名が挙がったので借りてきた。

一つの中編作品なのだけど、それを構成する一章一章が独立した短編でもあるかのように存在感があって、そこがよい。一気に何章も続けて読むのではなく、一章ずつ、日数をかけて読んでいく感じ。

巻末の解説で西欧の近代小説との類似が指摘されている影響もあって、読後、何となく、フローベール『感情教育』を再読したくなった。

(↓ 画像とリンク先はkindle版だが、現行の文庫版は上下二冊になっているようなので。私が読んだものは一冊)

中井亜佐子『日常の読書学:ジョゼフ・コンラッド「闇の奥」を読む』(小鳥遊書房)

先日『闇の奥』を読んだのだけど、何がキッカケで読む気になったのかまったく自覚していなくて、ひょっとして、これの書評でも読んで気になったのかな、と思って本書を手にとった次第。実際には理由は違ったような気がするけど、ひとまずこの本もよい本であった。

以前に読んだ『批評理論入門-「フランケンシュタイン」解剖講義』と同様に、一つの作品をいろいろな方法で読んでいく試み。「日常」というタイトルのわりに、けっこう専門的な「批評」としての読みの比重が大きいのがちょっと残念な気もするが、それはそれで面白い。

しかし、ある「読み方」を選択することが、それ以外の読み方に対する否定にならないようにするのは、けっこう難題だよな…と思う。それにしても、たとえば欧米先進国がアジアやアフリカを蔑視していた過去というのは、そちらの人間にとってもこちらの人間にとっても、もはや拭い去ることのできない歴史で、誰もそこからはのがれられないのだよなぁと、昨今のご時勢を見るにつけても、なかなか辛い現実であるように思う。もちろん、それに耐えられずに修正主義に走ってしまう心弱い人たちもいるわけだが。

ジョゼフ・コンラッド『闇の奥』(光文社古典新訳文庫)

2024年一冊目は、これ。

例によって、どういうキッカケでこれを読もうと思ったのかは忘れてしまった。『地獄の黙示録』の原作というか下地になった作品として有名。この版の解説にあるように、オープンクエスチョンのままというか、明快なカタルシスのないまま終る、熱病に浮かされたような印象を与える小説のように思える。

「話の意味は、胡桃の実のように殻の中にあるのではなく、外にある」(15頁)

そういえば、「日常の読書学:コンラッド『闇の奥』を読む」という本が昨年初めに出版されたらしい。もしかしたら、この本の書評を読んで、まずこの作品を読んでおこうと思い立ったのかもしれない。

呉明益『自転車泥棒』(文春文庫)

台湾の小説を読むのは初めてかもしれない。確か家人の叔父がいろいろと言及していたような気がする…。

『自転車泥棒』というタイトルからはもちろんイタリア映画の名作を連想するのだけど、私は未見なので先入観なしで読む(教養なしとも言う…)。

太平洋戦争当時の東南アジアでの戦争を背景に、主人公を含む登場人物の家族史が、自転車を軸に語られる。主人公の視点は現在なので年代物のヴィンテージ自転車なのだけど、スポーツサイクルではなく無骨な実用車。

幻想的な要素も含め、これぞ文学という感じ。図書館で借りたのだけど、これはたぶん買って再読する。

藤沢周平『たそがれ清兵衛』(新潮文庫・kindle版)

時代小説や剣豪モノは、それほど頻繁には読まないけれど嫌いではなくて、この読書ブログでも、新聞連載を機に読んだ葉室麟の三部作について投稿したし、中学生の頃から(一家で・笑)吉川英治『宮本武蔵』『鳴門秘帖』あたりは読んでいた。

もっとも『宮本武蔵』はあまりにも求道者というか、ストイックかつ暑苦しい印象を抱いてしまう面もある。

実は藤沢周平の作品を読むのはこれが初めてなのだけど、この人の作風なのか、特にこの短編集がそうなのか、主人公はそれぞれ凄腕の持ち主ではあるのだけど、そこが突出することなく、いわば爪を隠して平凡な生活に埋もれている感じが良い。もちろん、戦乱の余韻がまだ残る時代設定と、徳川の治世が続いて、むしろ行き詰まりの空気が漂う時代設定とでは、自ずから人物造形も変わってくるのだろうけど。

確か義母がこの作者については詳しいはずなので、お勧めを教えてもらおう。

 

 

木内昇『かたばみ』(角川書店)

新聞に連載されていて、けっこう毎日楽しみに読んでいたのだけど、夏に山の家で過ごすあいだは新聞購読を止めてしまう関係で、最終版の部分を読めていなかったはず。この8月に単行本が出て、kindle版も刊行されたので、改めて読んでみる。

たいして話題にはならなかっただろうし、今後もそれは変わらないだろうけど、なかなかの佳作。新聞小説の王道というか、読ませ、泣かせる。人物の設定も優れているし、けっこう重要な要素である「野球」の扱いもよい。太平洋戦争中~戦後の東京郊外で暮らす市井の人たちの話なのだけど、あれこれ美談を語る人はいるとしても、結局のところ、戦争で良いことなんて一つもなかったのだよなぁと思わざるをえない。

ところで私は著者の名前を「きうちのぼる」と読んで、男性だとばかり思っていた。正しくは「きうちのぼり」と読み、女性である。

アーネスト・ヘミングウェイ『日はまた昇る』(新潮文庫)

先日依頼を受けた翻訳原稿が、牛追い祭りで有名なパンプローナとヘミングウェイのご縁についての内容で、文中に本作品からの引用が1カ所あった。念のため既訳を参照しようと思って、買い物に出た家人に頼んで駅前の書店で買ってきてもらった(こういう作品をサッと当たり前のように買えるのが、この「駅前の書店」の優れた点である)。当該箇所はすぐに見つかったのだけど、ちょっと意訳しすぎている気がして、結局、自分のオリジナル訳にした。

で、せっかくだからと思って、読んでみた。

けっこう面白かったのだけど、印象的だったのは、パリからバイヨンヌに鉄道で移動し、そこから車を雇って国境を越え、スペインに入る部分。スペインに入ってからの描写が、まさにブエルタ・ア・エスパーニャの中継で目にする風景を彷彿とさせる。と思っていたら、終盤、主人公はサンセバスチャンで現地のレース(クラシカ・サンセバスチャンとは書いていなかったと思う)に参戦するプロ自転車チームの面々と出会い、「ツールドフランスはすごいぞ」みたいに売り込まれる(笑) 翌朝のスタートを見送ろうかと思ったのだけど、起きたらスタート時刻はとっくに過ぎていた、みたいな展開。

釣りが好きな人のための場面もある。

当該の記事は、今でも、ヘミングウェイのこの作品に惹かれてパンプローナを訪れる人は多い、みたいな内容だったのだけど、さもありなん、と思わせる佳作。