珍しく剣豪小説など読んでみる。
東日本大震災のときもそうだったのだが、時事翻訳を中心にやっていると、このようなご時世では何かにつけて関連の記事ばかり翻訳しており、もちろん自分でもいろいろ情報を収集するので、「そういう話」ばかり目にすることになる。いいかげんウンザリしてくるというか、けっこう真面目な話、精神的に負担がかかってくる。
そういうときには、身体を動かすのと(これは自転車通勤の頻度を高めているので足りているとして)、ストーリー性の高い、中程度の長さの小説を読むのがよい。震災のときは『初秋』を皮切りにスペンサー・シリーズに救われた。先般読んだ『イリアス』『オデュッセイア』も、まぁその部類の読書に入れてもいいのだけど、じゃっかん長いし、教養主義すぎる(笑)
葉室麟は、何年か前の新聞連載小説をわりと面白く読んだ。と思ったらまもなく急逝してしまい、愛読者でもないのに残念に思ったものだ。連載されていた『影ぞ恋しき』は、雨宮蔵人・咲弥夫妻もの三部作の三つめ、ということなので、せっかくだから最初の本作から読む。
時代小説、剣豪小説は、吉川英治『宮本武蔵』『鳴門秘帖』や、子ども向けだが『鞍馬天狗ー角兵衛獅子の巻』、途中までだが中里介山『大菩薩峠』あたりを読んだことがあるのだけど、最近では上述の『影ぞ恋しき』以来だし、中編を一気に読み通すのは久しぶり。
で、翻訳小説が苦手な人とは逆に「わ~、人の名前が漢字ばっかりで辛い~」「なんで途中で名前が変わるの~」と戸惑うこと頻り(『大菩薩峠』とかは牢人・市井の人物ばかりなのでそうでもないのだが、大名とか侍はけっこう名前が変わるのだ)。
とはいえ、愉快に読める。表題の『いのちなりけり』は古今集の和歌の一節から来ていて、教養ある美女(咲弥)が、夫となった無骨な武士(雨宮蔵人)に対して、「あなたの心を示す、好きな和歌を教えてくれるまでは寝所は共にしない」と問うが、蔵人は「無学なもので…」と俯いてしまう。で、紆余曲折あってその後長くに渡って夫婦は離ればなれになるのだが、そのあいだ蔵人は健気に和歌を勉強して、自分の心に合う歌を探す、というお話。もちろん剣豪小説ゆえ、その間、斬り合いや陰謀はいろいろあるのだけど。
既存の有名作品と同じ時代を舞台にしているので、水戸黄門・助さん・格さん(と後に呼ばれるようになった2人)も出てくるし(ただし、本作での水戸光圀は好悪の別れる描写である)、吉良上野介も出てくる(彼は次作でも重要な登場人物になるようだ)。
当然ながら、さっそく次作へ。