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ひかりん『高校生が書いたニュージーランド留学体験記 in オークランド 2024: ニュージーランドに留学を考えている人必見 10週間現地の高校に通う生活 リアルな体験談』

友人である「ミヤビん」氏の音楽仲間のご子息が書いた本。まぁそれくらいの遠いご縁ならお付き合いで読まなくてもいいんだけど(笑)、ラグビーファンである私にとって関心のある国として一、二を争うニュージーランド、しかも自分もワールドカップ観戦で訪れたことのあるオークランドへの留学体験記とあらば、読んでもバチは当たるまい。

感想の前に一つだけ。タブレット(iPadmini)に入れたkindleで読んだのですが、縦書きなのにページめくりは右スクロール(笑) つまり画面の右から左に読んでいって、右にめくる、という感じで、最初どうしても先に進めず面食らいました。たぶんkindleの形式に出力するときのミスなのかな? 修正されますように。

で、面白かったです。

たぶん著者と同じように短期留学を考える若者にとってはとても役に立つ内容だと思うし、ここに書かれているのは当然ながらニュージーランド固有の事情ばかりなのだけど、文化の違う社会に飛び込めばこういうことがあるのだな、という意味で、ニュージーランド以外の国に向かう人にも参考になりそう。

世代も違うし留学する予定も希望もない私のような人間が読んでも、特にニュージーランド好きであれば楽しく読めます。観光客として訪れたのでは分からない、普通の家庭や学校の様子が窺えるがよい。もちろん高校生の視点で書かれているのだけど、著者の観察眼はなかなか侮れないものがあります。「現地の人がいやいややるハカ」とか、爆笑しつつ、うんうん、そういうのもあるんだろうなぁと。「後に見たラグビー部員たちの迫力あるハカとは対照的だった」とあるけど、そっちのハカについてはその後言及があるかと期待していたら、結局その話はなかったので残念(そもそも「ラグビー」という言葉が出てきたのも、ここだけだったかも)。

若者用語頻発で理解できないのではないか、という心配はほぼ無用。

藤岡換太郎『山はどうしてできるのか』(講談社ブルーバックス)

諏訪地方を頻繁に訪れていることもあって、この著者の『フォッサ・マグナ』を読みたいと思ったのだけど、パラパラと冒頭をめくったら、地質学に馴染みのない人は『山はどうしてできるのか』から読んでほしい、みたいなことが書いてあったので、先にこちらを。

この人の著作は、先に同じブルーバックスで『見えない絶景 深海底巨大地形』『天変地異の地球学』を読んでいるのだが、この『山はどうしてできるのか』が、タイトルは地味なのに一番面白かったかもしれない。『三つの石で地球がわかる』も読みたくなる。そしてたぶんその「三つの石」からは外れるのだけど、この本を読むと沖縄とヨーロッパアルプスの共通項が見えてくるのは実にエキサイティングである。

2012年1月の刊行だが、日本海溝に関する記述の中で東日本大震災への言及はない。行方不明者も多い中で何らかの気遣いがあったのだろうか。しかしこういう学問をやっていると、火山の噴火や地震があっても、災害というよりむしろ学術的な興味の方が先に来たりするのだろうなぁ…。

池内恵『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』(新潮選書)

たぶん政治的な立ち位置としては自分と著者とはけっこう乖離があると思うのだけど、専門領域における識見はもちろん敬意を払うに値する。Twitter(現X)上でのコメントでいろいろ絡まれているのを見ると、逆にこの人が真っ当な知識人であることが浮き彫りになってくるような感じ。

この本は2016年刊行なので昨年来のガザの状況とかにはもちろん触れていないし、地域的にももう少し北寄りに重点があるのだが、もちろん昨今の状況を理解する上でも有益。

クルド人をめぐる歴史や現状(といっても10年近く経っているので変化はあるだろうが)にけっこう比重が置かれていて勉強になった。

地図が豊富に挿入されているのもポイントが高いところで、いちいち前の方に戻って地図を参照するといった手間がかからず、読者に優しい。

ただしもちろん、「なるほど、そうすれば解決に至るのか」という分かりやすいソリューションを提示する本ではない。

 

岩永直子『今日もレストランの灯りに』(イースト・プレス)

特に新型コロナ禍が始まって以来、医療ジャーナリストである著者が手がけた諸専門家へのインタビュー記事には多くのことを教えられてきた。

その著者のエッセイというか、イタリアンレストランでバイトした経験を綴った書。

う~ん、書く対象(バイト先のレストラン、シェフ、常連客)との距離の取り方が近すぎて、読者としては却って引いてしまう印象がある…。noteで綴られてきた「バイト日記」がベースということで、確かにウェブで読むならいいけど、紙の書籍だとちょっと…と感じてしまうところが、そもそも私は読み手として感覚が旧いのかもしれない。

ただ、その中でもやはり本領(?)発揮というか、医療ジャーナリストとして日々書いている内容との整合性に葛藤する章(「休めない、帰れないシェフ」)は出色。あとはALS患者の配偶者を持つ常連客について書かれた章。

来月には医療ジャーナリストとしての単著が出版されるとのこと。そちらにも期待。

 

周司あきら、高井ゆと里『トランスジェンダー入門』(集英社新書)

けっこう前だがアイリス・ゴッドリーブ『イラストで学ぶジェンダーのはなし みんなと自分を理解するためのガイドブック』を読んでいたので、ある意味、トランスジェンダーに特化した復習という感じ。ただしこちらの方が日本の事情に密着していて、ある意味、生々しい印象はある。

性別というのは、世界を分節して認識する仕組みという意味で、一種の「ことば」なのだなぁと強く感じる。「ことば」だけに、そこから脱して/外れて思考することは、たぶんそれなりの訓練を受けていないと難しい。トランス男性/トランス女性も、その仕組みじたいを抜け出ることはないままに、その中で自分の位置付けを定めるのに苦心しているように見える。

もちろん、その枠組の中で苦しまずに済むような社会の構築が「とりあえず」急務なのは当然として、しかし根本的には、この本の中でも再三にわたって言及される、ノンバイナリーな考え方、二分法の仕組みに囚われない考え方が必要なのだという気がする。

 

北野充『アイルランド現代史-独立と紛争、そしてリベラルな富裕国へ 』(中公新書)

「八重洲ブックセンター」にバトンを渡した旧「書楽」に、新装開店後初めて訪れ、お祝い気分で何か買うかと思って書棚を見ていて、目についたのが、この本。テーマが今の私の関心にドンピシャなのだけど、レベル的にも新書ならちょうどいい。

ラグビーファンならご存知のとおり、ラグビーの「アイルランド代表」は、アイルランド共和国という国の代表ではなく、アイルランド共和国と英領北アイルランドでプレーする選手の代表。つまり、ここでは国境を越えて、ユニオン、つまりアイルランドラグビー協会が代表を出しているというわけ。

国際試合では試合前に「アンセム」、つまり通常なら国歌が演奏されるのだけど、アイルランド代表の場合、アイルランド共和国内(首都ダブリンとか)でやる試合の場合は、アイルランド国歌(「兵士の歌」)と、アイルランド協会の歌(「アイルランズ・コール」)の2曲、北アイルランド域内(ベルファストとか)や他国でやる試合の場合は「アイルランズ・コール」だけ、という慣例になっている。「アイルランズ・コール」は、「アイルランド島の4つの地方から集まった我々(選手)が、アイルランドの呼びかけ(召命)に応じて肩を並べて立ち上がる」というような歌詞である。

そういう歌に馴染みがあると、では、北アイルランドとアイルランド共和国、つまり「アイルランド島」の統一という話に現実味はあるのだろうか、という疑問が湧いてくる。

もちろん、今から30年ほど遡れば、北アイルランド紛争と称する暴力的な対立があり、テロの応酬があった。昨今のガザの状況などを見ると、ああ、これでまた一世代くらいは恨みが残って問題解決には至らないのだろうなぁなどと暗澹たる気持ちになるのだけど、では、アイルランドの統一もまだ遠い夢物語なのだろうか。

そのあたりを知りたくて読んでみたのだけど、このテーマに関して知識が深まるのはもちろんのこと、それ以外の点についても、いや、やはりなかなか面白い国である。

著者は日本の駐アイルランド大使を務めた方で、しかも、ちょうどアイルランド自由国建国から100周年が近い時期に赴任したので、関連のイベント等で知見を深める機会に特に恵まれたとのこと。

基本的にカトリックの保守的な価値観が優位にある社会で、政治的にも中道保守に相当する二大政党がときおり交代しつつ政権を担ってきた国なのに、世界でもいち早く同性婚の合法化に踏み切るなどリベラルな価値観の台頭が見られる、という面白さの背景をいくつか指摘しているのだけど、私などが読む限りでは、そりゃ、中道保守政党のあいだにせよ「政権交代」があったからでしょ、と思えてしまう。つまり、二大政党の勢力が拮抗していれば、連立によって過半数を占めるために、相対的に少数ではあってもキャスティングボートを握るリベラル左派政党の主張に妥協せざるをえない、と。

立場的に「政権交代があることが望ましい」と取られかねないことは書きにくかったのかなぁ、などと邪推してしまう。まぁそのへんも含めて興味深い。

著者は、自分自身は歴史の研究者ではない、と断り、あとがきではさまざまな専門家に謝辞を述べているのだけど、その中に高校時代の同級生や、年齢的には少し上だが同窓の人が含まれているところに奇妙なご縁を感じる。もっとも、この本を買った時点では、その同級生がこの分野の専門家になっているとは知らなかったんだけどね。

白央篤司『自炊力 料理以前の食生活改善スキル』(光文社新書)

以前からSNSでお名前を目にしていたフードライター/コラムニスト。食・料理以外に関する発言もきわめて真っ当なので、一度、ご本も読んでみようかと。

内容的に、いまの私には必要ないというか、まぁそれくらいのことはすでに出来ているかなぁと思うのだけど、とはいえ、姿勢として良い本だと思う。

高校時代、諸般の事情でほぼ毎日自分で弁当を作っていたのだけど、その頃にこういう本があればずいぶん助かっただろう。もっとも、その頃はコンビニもようやく増えてきたくらいの時期だし、スーパーで入手できる食材も今ほど充実していなかったから、なかなか同じようには行くまいが(考えてみたらまだ家には電子レンジもなかった)。

望月昭秀他『土偶を読むを読む』(文学通信)

先に『土偶を読む』を読んで、「それはそれとして、面白いですよ、これ」「トンデモ本系のあやうい面白さ」という感想を書いたのだけど、勘違いだった。

検証本である本書を読んだ結論としては、「土偶はもっと豊かで面白い」ということだった。

『土偶を読む』の土偶解釈はつまらないし、実は土偶研究というのは竹倉氏が知っているよりも進んでいるので、周回遅れ感が濃い、ということのようである。考古学界に相手にされないのも無理はない。

ただし本書がすごく良い本かと言われると実はそんなこともなくて、編集者が仕事していないなぁという印象が強い。まぁ緊急出版だったのかもしれないけど。

そもそも「のだが、」で段落を始めるような日本語は止めてほしいのだよね。ウェブメディアなどもけっこう読んでいる私だけど、さすがに文頭「のだが」は初めて見た。

藤沢周平『凶刃-用心棒日月抄』(新潮文庫)

完結。これまでの三作品に比べると、謎解き要素の多い筋立て。「おりんさん」の再登場はなかった(笑)

シリーズ四作品を読んでみて、やはり一番面白かったのは第一作だな、と思う。この『凶刃』の解説(川本三郎!)でも触れていたと思うが、主人公の青江又八郎が純粋に「浪人」であるのは、第一作だけなのだ。残り三作は、脱藩という体裁を取り用心棒暮らしをしているという設定でも、実は藩のために働いている。第一作では「あの人が来たら潔く斬られよう」という達観があったのも良かった。

藤沢周平『刺客-用心棒日月抄』(新潮文庫)

第三作。

引き続き面白いのだけど、やや物足りないのは、こちらにもあちらにも内通者がいるわけでもなく、敵味方がはっきり分かれすぎていて、向こうの剣客を一人ずつ倒していくだけの展開になっているせいかもしれない。

ところで、第一作で面白い役どころを演じて、きっと続編でも意外な登場を見せてくれるに違いないと思っていた「おりん」さんはどうしてしまったのだろう。

と、復活を期待しつつ、最終編へ。