月別アーカイブ: 2018年1月

新井潤美『執事とメイドの裏表 ─ イギリス文化における使用人のイメージ』(白水社)

『日の名残り』の流れで、イギリスの上層階級の邸宅における執事という存在に興味が湧き、家にあったこの本を読んでみた。駅前の本屋でたまたま見かけて家人が買って読んだ本であるはず。こういう本が「たまたま」置いてあるところが、面白い「駅前の本屋」なのだ(隣駅の書店には規模の点で負けるけど)。

で、この本はたいへん面白かった。『日の名残り』(土屋政雄訳)で「女中頭」と訳されているのは、この本ではハウスキーパーと呼ばれるポジションかな。『日の名残り』における執事の描写とは細かい違いがあるけど(副執事というポジションがあるとか、銀器磨きが誰の仕事か、みたいな点とか)、まぁそのへんは時代や各家庭での違いもあるのだろう。

基本的には、歴史的・実証的な研究というよりは、文学作品を中心とした文献のなかで、執事やハウスキーパー、従僕、メイド、料理人、乳母、下男といった使用人がどのようなイメージで認識されていたか、という研究(そういえば冒頭に近い箇所で列挙されていた使用人の区分には「御者」があったのに、これについて論じた章はなかった)。

したがって、もちろん『日の名残り』も含めて、多くの文学作品への言及・引用があり、いろんな本を読みたくなる危険な読書ガイド、と言えるかもしれない。

文章もかなり読みやすい。

ただ、まったくのゼロからこの本を読んでも「お勉強」になってしまい面白くないかもしれない(一般向けだとは思うけど、研究者が書いた本ではあるので)。何かしら、そういう使用人の登場する(できれば活躍する)英文学の作品(漫画でもいい)を読んでからだと、興味深く読めると思う。クリスティのミステリでもメアリー・ポピンズでも、もちろん時節柄『日の名残り』でもいい。

 

 

カズオ・イシグロ『日の名残り』(土屋政雄訳、早川epi文庫)

カズオ・イシグロの作品としては、これまで『わたしを離さないで』を読んだだけ。あの作品は非常に良くて気に入ったのだけど、なぜか他の作品には手を伸ばしていなかった。話題にもなっているし、いいタイミングで早川文庫に合うサイズのブックカバーを入手したこともあり、買ってみた。

このところプルーストを読んでいたので、とにかく第一印象は「読みやすくて助かる」(笑) イシグロの作品を英文で読んだことのある家人に言わせると、彼の英語はとても端正で良いらしい。この土屋政雄氏の訳もこなれていて良いような気がするけど、いろいろ興味深い表現がありそうなので、原書も入手するつもり。

で、肝心の感想だけど、これは少し長くなりそうだし(当然ネタバレも多く含まれることになるし)、原書も参照してから別の機会に書こうと思うのだけど、たぶん私の感想は、この作品の、たいていの場合の紹介され方とは違っているだろうし、恐らく、作者が意図したものともだいぶ違ってしまっているのではないか、という気がする(しかしもちろん、作品の捉え方は万人に開かれているのだし、解釈における作者の特権性というのはいったん20世紀に克服されているのである)。

ただ、私の捉え方が勘違いである可能性はあるとしても、これは名作だと思う。登場人物が脇役に至るまで実に存在感をもって描かれているし、場面が一つ一つ印象深い。

ふだんから本をよく読む人にも、そうでもない人にも、お勧めです。

しかしせっかくこうして書いているのだから、思いつき程度のことをちょっと書いておくと、この作品は、「失われつつある伝統的な英国を描い」たものとして紹介されることが多いけど(本書裏表紙の紹介文より)、私が主人公であるスティーブンスから連想したのは、日本の少し前にごく一般的だった(今はそうでないと信じたいが)ある種の人々の生き方だった、ということ。

これまた突飛な繋げ方だけど、何だか『魔の山』を読んだときの印象とけっこう近い。もちろん(?)あれを読んだときよりもはるかに読後感は心地よいし、あれをもう一度読もうという気はあまりしないけどこれは読み返したいし、あれを人に勧めようとは思わないけど、これは文句なしにお勧めできるのだけど(でも『魔の山』は名作なんですよ。掛け値なしに、ラストにはすごく感銘を受けたし、このラストに至るために、ここまで読んできたのか、という納得はあった)。

 

プルースト『失われた時を求めて(11)』(吉川一義訳、岩波文庫)

2つのカップルに破局が訪れるのだけど、なんか「あ~もううざったいから別れてしまえ」と思うような関係なので、捨てられた方には同情も共感もできない……などという下世話な読み方は、たぶんこの作品の読者としてはふさわしくないのだろうけど、まぁ、これはこれでありかもしれない。

引き続き、随所に心打たれる部分はあるから、嫌いではないのだけど、決して他の人に勧めはしない(笑)

まぁこの巻は576頁あるけど1週間はかからなかったから、この作品だけに本腰を入れれば、まぁそれなりのペースでは読めるってことだな。

さて、まだ完結していない新訳、ようやくのことで先頭まで追いついてしまった。次の巻は1年待ってほしいとこの巻の訳者あとがきにあるから、順当に行けば5月。完結している既訳版のどれかで続きを読んでしまうという手もあるけど……。

そうか、続刊が出るまでのあいだに1巻から読み返せばいいのか!(やらない)

 

 

 

 

プルースト『失われた時を求めて(10)』(吉川一義訳、岩波文庫)

512ページの大半が、室内に引きこもって嫉妬を中心とする感情を持て余している主人公の独白。いいから仕事しろよ(と親にも言われている設定になっているようだが)。

最終的に自分がどのような読後感に着地するのか、まだ予想がつかないのだけど「読む必要のない名作」という言葉がチラチラと浮かんでくる(笑)

何だか、すでに刊行されている分は一気に読んでしまおうという気分になっていて、このまま11巻に突入(14巻で完結予定、12巻は5月の刊行をめざすと11巻のあとがきに書いてある)。

 

『次元とは何か―0次元の世界から高次元宇宙まで』(ニュートンムック Newton別冊サイエンステキストシリーズ)

Facebookの「過去のこの日」で、この本を読書メーターの「読みたい本」に追加していたのに気づき(キッカケは忘れた……)、図書館で借りてみた。

Newtonらしくイラストが多用され、本来はこういう形で表象できないはずの多次元の世界を比喩的にうまく表現している。特に、高次元が「丸め込まれている」の説明は巧み。

量子論でも多次元世界でも並行宇宙でも、スピリチュアルな人たちが安易に飛びつきがちなのだけど、そういう発想に染まらないためには、これくらいの入門書でも読んでおくことが必要だと思う。

どうして9次元(だっけ?)を想定すると「超ひも」が説明できるのか、みたいな理論的なことにはこの本では触れていないけど、たとえそれが書かれていてもどうせ理解できないという確信がある(笑)

 

 

遠山啓『数学入門(上)』(岩波新書)

どうも自分のこのところの読書スタイルとして、数学や量子論といったヨクワカラン分野は、特定の一冊をしっかり読み込んで理解する、というのではなくて、分からないところがあっても気にせず読み流して、重ね塗りをするように少しずつ馴染んでいくというのがよさそうな気がする。結局、通勤中が主要な読書タイムになっているので、自分の手で計算や式の変形を追いながら、みたいな読み方がなかなかできないという事情もあるし。

というわけで、字の小ささに負けずに、この古典的な本を読了。本来はこの著者の『無限と連続』を読みたいなと思ったのだけど、何となくこれを先に図書館で借りてしまった。前世代の知識人らしく、数学者なのだけど、いわば文系的教養もそこかしこに感じられるので読みやすい。それが分かりやすさにつながっているかどうかはさておき。

行列が弱点であることを改めて認識。

下巻はどうしようかな。

井上智洋『人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊』(文春新書)

アップが遅れたけど、2017年最後に読んだ1冊。

AI(人工知能)とBI(ベーシックインカム)のお話。

著者は経済学者のはずなのだが、生産要素として資本と労働の二つしか考慮されていないのはなぜなんだろう。私が古いだけで、今はそうなのか?(そんなはずないよね…)

そんなわけで、どうも浅薄な印象が拭えない。

これまでにAI関係の本を何冊か読んだけど、テレビ番組との連携でいちばん一般受けに配慮して作られていても不思議はない羽生善治・NHKスペシャル取材班『人工知能の核心』が、最も哲学的に「深い」考察をしているというのが今のところの結論。