月別アーカイブ: 2020年12月

NHK 100分 de 名著 ブルデュー『ディスタンクシオン』(講師:岸政彦)

NHKテキストを読書にカウントするというのもどうかと思うのだけど、好評のようなので読んでみた。『はじめての沖縄』(恐らく名著と称してもいい)の著者が講師であるというのものも、気になったポイントの一つ。

ブルデューは共著『遺産相続者たち』をだいぶ前に買って積ん読しているだけ。

序盤の肝と言うべき、「私たちの日常的な文化的行為、すなわち趣味は、学歴と出身階層によって規定されている」(本テキストp21)という点に関しては、人によっては衝撃的なのかもしれないけど、まぁそうだろうな、と特に新鮮味なく受け止めてしまうのだが、そもそもそういう受け止め方をできるということ自体、私の思考が「そういう」履歴を重ねてきたから、ということである。

で、このあたりについては、さらりと読み進めてしまえるので、むしろ面白いというか自省を迫られるのは、終盤の「あらゆる行為者は合理的である」「他者の合理性」の部分。このへんを読むと、たとえば、社会学者ではないがジャーナリストとしてトランプ支持者の考え方や生活を追っている金成隆一の『トランプ王国』『トランプ王国2』あたりを読み直したくなる。

しかし、そうやって「他者の合理性」に耳を傾けられるかどうかというのも、かなりの確率で非対称な関係になりそうだよなぁ…。

番組の方を観る予定はないけど、テキストだけでも非常に分かりやすく読みやすいので、これはオススメです。

 

大田黒元雄『はいから紳士譚』(朝日新聞社)

近所の大田黒公園に散歩に行ったのを機に、この邸宅・庭園の元の所有者である大田黒元雄の本を読んでみようか、と。すでに新刊で入手できる著作はないので図書館で検索。さすがに地元の名士だけあって、杉並区図書館では所蔵も多いが、ほとんどが禁帯出。借り出せたのが、比較的新しい(といっても半世紀前)刊行の、このエッセイ集。

もちろん今読んでも「役に立つ」情報はほとんど無いのだけど(専門の音楽について書かれたものなら話は別だろうが)、風雅な高等遊民というのはこういう人なのだろうなぁと思わせる。やはり魅力的なのは船旅の描写か。欧州から米国にわたり、大陸を横断して西海岸にたどり着くと、だいぶ日本に帰ってきた気がする、という感覚が面白い。

中村桃子『女ことばと日本語』(岩波新書)

我が家で取っている新聞に掲載されたジョー・バイデンとカマラ・ハリスの勝利演説が、前者は「である調」、後者は「ですます調」で訳されているのに呆れて(まぁ訳文の出所が違うのだけど)、以前から関心のあった論件ということもあり、この本を読んでみた。

明治以降の「てよだわ」言葉(「てよ」は昨今ではまず使われないだろうが)を中心に、鎌倉時代以降の女訓本に遡る歴史を踏まえて、主としてジェンダー論の視点から、天皇制とそれを支える家父長制・家族国家観と絡めつつ、「女ことば」が、規範として教えられることによって定着してきた経緯を解き明かしていく、という内容。

バイデン/ハリスの演説の訳例にも見るように、その過程で「翻訳」も大きな役割を演じてしまっているというのは、自分の日々の仕事のなかでも常に関心を注ぐべき点。本書に挙げられている「ハリー・ポッター」シリーズの例は非常に分かりやすい。

日本での「女ことば」の成立・定着過程はよく分かるのだが、では、他言語ではどうなのか、と言うのが気になるところ。というのも、国民国家を支える「国語(標準語)」確立へのニーズや、19~20世紀における国家競争力の強化のための性別役割分業といった要因は、日本だけでなく他国でも(時期の違いはあれ)同じように見られたはずなのだが、それは言語レベルには及ばなかったのだろうか、と。

さらに遡って、たとえば『十二夜』で、ヴァイオラのときとシザーリオのときでは、如実に分かる言葉遣いの違いというのはあるのだろうか。というわけで、kindleで無料のTwelfth Nightを入手してしまった…。