月別アーカイブ: 2021年7月

原田マハ『異邦人(いりびと)』(PHP文芸文庫)

以前から著者の名前はときおり目にしていたが、作品を読むのは初めて。

人気があるだけあって読ませる。他の本と平行して読んでいたので寝る前に一章ずつくらい読み進めていたのだが、中盤を越えてから我慢できず、電車通勤の日に持ち出して一気に読んでしまった。

そうしたストーリーテリングの巧みさと、わりと癖のある、親しくお付き合いしたいかと言われると必ずしもそうは言えないような登場人物を魅力的に描く力を感じる。

とはいえ、他の作品も次々に読んでいきたいかと言われると、そこまでではないかな…。まぁそう思わせる作家というのはほとんどいないのだけど。

この冬にはWOWOWでドラマ化されるとのこと。テレビドラマを観ることは皆無に等しいのだが、この作品については妙なご縁もあるようなので、ちょっと観てみようかと思っている。

 

高橋敏之『英語 最後の学習法ー英字新聞編集長が明かす「確実に効果の出る」メソッド』(ジャパンタイムズ出版)

ふと思い立って、このところTwitterで同業者のアカウントを積極的にフォローしているのだけど、たぶんその中で誰かが紹介していて気になった本。

私の英語の能力は「読む」方に突出していて(といっても特に読むのが速いわけではないので、やはり「翻訳」の能力と言うべきか)、書く聞く話すはかなりダメなので、もちろんこの本に忠実に勉強し直してもいいのだけど、とはいえ「読む」や文法に関しては問題ないので、かなり取捨選択が必要。

むしろ、フランス語の勉強に応用するという意味で有益な本だった。英語ほど学習用の素材は充実していないだろうが、方法としてはほとんど共通するはず。

もちろん、本書の本来の想定どおり、英語の勉強方法を模索している人には非常に有益な本だと思う。

 

岡嶋裕史『大学教授、発達障害の子を育てる』(光文社新書)

『セキュリティはなぜ破られるのか』『ブロックチェーン 相互不信が実現する新しいセキュリティ』『5G 大容量・低遅延・多接続のしくみ』(いずれもブルーバックス)と、IT系の著作をいくつか読んできて気に入っている著者。

本書はタイトルからするとまったく別の、著者にとっては畑違いであるはずの育児・障害児教育分野の本なのだけど、自閉症について考察・説明する場合でも、IT方面の著書で見られた巧みさが遺憾なく発揮されているところが面白い。発達障害の子について、「CPUの性能が悪いとは限らないが、ただしインプット/アウトプットといったユーザーインターフェースがうまく機能していないコンピューター(だからすごく扱いにくい)」という喩えは秀逸だと思う。

そして、知性のあり方というのは実に多様なのだなぁという思いを抱く。

 

奥泉光『東京自叙伝』(集英社文庫)

インパクトはあるし、決して平凡な小説ではないし、面白いのだけど、では人に勧めるかと言われると難しい作品。拒否感のある人は全然受け付けないのではないか。

東京の「地霊」が憑依した(というか、人格として表出した)6人の登場人物が、自分が「地霊」の顕在化であった時期について思い出を語るという体裁(後から調べたなどの形で、それ以外の時期について語られる部分もある)。

…と書いても何が何やら分からないだろう(笑) この書評は優れているが、本作を読んだ後だからそう思えるのであって、これだけ読んでも何を言っているのか分からないかもしれない。『福翁自伝』のパスティーシュであるという指摘は、なるほど。私は『福翁自伝』をたいへん面白く(エンターテイメントとして)読んだので、本作にもわりとすんなり入れたのかもしれない。

やや仕掛けに溺れているような印象であり、「あれは私だ」や複数の「私」が遭遇する場面は、途中までは「おおっ」と思わせるが、あまりにも多用されるのでやや食傷してくる。それにしても、そういう仕掛けにまで馴染んでしまい食傷などと言い出すのだから、読者の適応力というか消化力というのは、恐るべきものだなと我ながら思う。

…と書いても、伝わらないだろうと思う。読むしかない。が、読後感はあまりよろしくないだろう。「読後感が良くない」というのは、私にとってはその本をけなす理由にはあまりならないのだが、とはいえ、強いてお勧めはしない。

しかし、オリンピック開催が強行され、その結果次第によっては、これを読んでいるかどうかで、その状況の捉え方がけっこう変わってくるかもしれない。

新保信長『声が通らない』(文藝春秋)

図書館の新着書コーナーにあったので、つい手に取った。

かつて零細社会人劇団で活動していた頃、稽古後などにメンバーで飲みに行くと、注文の時に誰がいちばん店員さんを振り向かせるのが上手いかを競ったりしたものだった。この本でも語られているように、やたらに大声を張り上げるのではなく、狙いを定めて声を届けるのがコツだということは、そういう経験を通じて分かっているし、それができずに著者のような悲哀を味わったことはあまりない。

とはいえ、「通る声」を模索して専門家に取材したり諸々のボイストレーニングを試す著者の悪戦苦闘は、文章の巧みさもあって、とても面白く読める。

そして「声が通らない」とは少し違うのだが、私にも著者と同じ悩みが…。

「名前を聞き取ってもらえない」である。

私は電話でお店の予約を取るときなどは、家人の旧姓を借用してしまうことも結構ある。その場合は、漢字を間違われることはあっても、聞き取ってもらえないことは、まずない。

同じ姓ですごい有名人とか出てくれば楽になるんだろうけどなぁ。たとえば「羽生」は、聞き取ってもらえない場合でも「羽生結弦のはにゅうです」とか「羽生善治のはぶです」と言えば分かってもらえるだろう…。