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オリヴァー・サックス『音楽嗜好症(ミュージコフィリア)』 (ハヤカワ文庫NF) Kindle版

8月に早川がkindleの割引きセールをやっていたときに何冊か買ったうちの1冊。大変興味深く「読ませる」のに、ずいぶん時間がかかったのは、それだけ内容が濃いから。

一貫して感じるのは人間の脳、そして音楽がいかに興味深いものかという点なのだけど、それ以外にも、たとえば「…ということは、こういう習慣をつければオレの唄三線ももっと上手くなるんじゃないの?」とか、「車椅子のおばあちゃんがカチャーシーだけは踊れるってのはそういうことだったのか」とか、自分にとって身近なジャンルの音楽に関してもいろいろ発見がある(もちろん勘違い、拡大解釈である可能性はある)。あと、「ラヴェルは『ボレロ』を書いたとき、認知症にかかり始めていたのではないかと思える」みたいな話が興味を惹かれる。

「そしてもちろん、音楽の連想について最も優れた文学的分析を行ったのはプルーストだ」という指摘が出てくるのも偶然のタイミングとはいえ嬉しい。

まぁ自分のように言語能力にリソースを偏らせている人間は音楽で才能を発揮するのは厳しいんだろうな、という諦めも感じるけど(笑)

音楽に多少なりとも興味のある人にはお勧めです。紹介されているさまざまな音楽(クラシックが多い)を聴いてみたくなってしまうところが難点といえば難点。Spotifyの無料アカウントを作ってしまった…。

kindle版の問題は、メニューの階層が「第1部」「第2部」……という単位でしかないこと。冒頭の目次からは各章(全29章)にリンクが貼られているのだけど。

 

プルースト『失われた時を求めて(12)』(吉川一義訳、岩波文庫)

新訳の最新巻が出るのを待ちかねて書店に予約し、5月に買ったのだけど、ようやく読む(笑)

恋や記憶や忘却を中心に、人間の心理の精細な地図を狭く深く突き詰めようとしているという印象。だからたとえば愛する人を失ったときにこの作品を思い起こすと、これから自分の心はこんなふうな過程をたどっていくのだろうなぁという、ちょっと引いた視点からの見取り図が得られて、少し辛さが緩和されるのではないかという気がする。まぁこの作品に限らず、小説を読むことの効果(良かれ悪しかれ)の大きな部分はそういう想像力が養われることなのだろうけど。

それにしても、この巻で過剰なほど綿密に描かれている心の動きだけでも、優に1つの長編小説が構築できるくらいの濃密さ(そもそもこの巻だけでも600ページあるのだから当然なのだけど)。実に的確で「さもありなん」と膝を打つ描写も多々出てくるので、優れた作品ではあるのは確かだけど、「ぜひ読むといいよ」と人に勧める気には決してなれない…。

この作品を読んでいると、そこはかとなく「無敵感」が味わえる。これを読み通しているオレに読めない小説はない、という読者としての無敵感と、「ここはもっとこうすればいいのに」という改善や「こういう部分は別のあの作品のほうが優れている」という比較の可能性を全く与えないような、唯一無二の作品としての無敵感。「いや、いくら名作だからって、こんなの書こうとする奴は他にいないよ」と言う気がする。

残りはあと2巻。早く続きが読みたいのは事実。

庄野潤三『夕べの雲』(講談社学芸文庫、kindle版)

8月の終わりに読了。

吹きっさらしの丘の上の一軒家に引っ越してきた夫婦+子ども3人の一家の淡々とした日常。緑豊かな周囲の環境が確実に失われていく予感(一部はすでに現実)はあっても、特にそれに対する思いを綴ることはなく、ただ、変化の訪れだけが予告される。

恋愛、冒険、死、挫折、葛藤、不和、陰謀……そういう何らかのドラマになりそうな要素はほとんど何一つない。ただ、数年にわたる叙述のなかで、子どもたちは確実に成長していく。そういう作品である。まさに冒頭で萩の木を見て「こんなに大きくなったのか」と主人公が嘆声を発するように。

むろんこの作品も現代にあっては「どこがいいのか分からない」という人がほとんどだろう。というか、こんな作品を読む人じたいがほとんどいないのではないか。

末尾の「著者から読者へ」というあとがきによれば、著者が家族と住んでいた多摩丘陵(生田)が舞台であるようで、設定としては私の子供時代よりしばらく前だろうが、似たような環境は私の周囲にあった。今はもうない。

作品の評価には関係ないが、主人公である大浦が戦時中に父母に書いた手紙のなかに「私はラグビーをやります。すこぶる愉快であります」という一節があったり、何年か前に話題になった『BORN TO RUN~走るために生まれた』で紹介されていたタマフマラ族の話が出てくるのも、ごく個人的にではあるが面白かった。