月別アーカイブ: 2021年6月

シンジア・アルッザ 、ティティ・バタチャーリャ、ナンシー・フレイザー『99%のためのフェミニズム宣言』(惠愛由・訳、人文書院)

常々、フェミニズムというのはもちろん女性だけの運動ではないし、そもそも、フェミニズムによって男性もまた救われ解放される、という認識をもっている。したがって「99%のための」であれば当然自分もそこに入っているはずだよなと思って、この本を手に取った(社会階層的には十分に恵まれている方だと自覚はしているが、いくら何でも1%の側ということはあるまい)。

本書の「リベラル・フェミニズム」(リーン・イン・フェミニズム)への批判や、「多様性」がネオリベラリズムに利用されてしまう構図の指摘などは、たいへん刺激になるし、今後の思考や行動を変えていくキッカケになるような気がする。「飛び散った破片の片づけを圧倒的多数の人々に押しつけてまで、ガラスの天井を打ち破ろうとすることに興味はない」という比喩は秀逸。

そういった意味でも、まさに今読まれるべき本だとは思うのだけど、残念ながら、翻訳がよろしくない。訳者はまだ若い人なので、これからということなのだと思いたいが、う~ん。まぁ私の過去の翻訳にも、すべて回収して焼き捨てたいほど酷いミスがあったからなぁ…。いちばんガックリ来たのは、テーゼ10の末尾、原文 “Not in our name.” が「私たちの名を語るな」になっているのだけど、ここは「騙るな」だろう。ボールド表記で強調されている部分だけに、この誤変換はちと辛い…。もちろん、翻訳の点を割り引いても良い本だとは思うのだけど。

というわけで、こういう場合のお約束ということで、原書をkindleで購入してしまった。

 

 

 

鴻巣友季子『翻訳教室 ―はじめの一歩』(ちくま文庫)

日頃からTwitterで著者の発信を興味深く読んでいることもあり、また先日読んだ『獄中シェイクスピア劇団』がたいへん面白かったこともあり、あまり私向きではないタイトルではあるが、購入。

「あまり私向きではない」というのは、曲がりなりにも実務翻訳の仕事を続けて30年くらいになるので、いまさら「はじめの一歩」でもなかろう、という意味。

そもそも私は翻訳を志したことは一度もなく、今この仕事をしているのは偶然の産物にすぎない。しかし、もっと若い頃、たとえば高校生の頃にこの本を読んでいたら、どうだっただろうか。真剣に翻訳家の道をめざしていたかもしれない。

つまり、本書はそれくらい面白さと感動に溢れた本である。感動というと大げさに聞えるかもしれないが、いや、子どもたちの訳文を読むと、なんだか本当に泣けてくるのだ。

「こういうのは、こう訳す」みたいな話は皆無に等しいのだけど、原文に向き合うときの態度といった面では、文芸翻訳ではなく実務翻訳の分野であっても妥当するアドバイスはいくらでも見つかる(あえて付け足すとすれば、「悩んだときには原文を何度も音読してみる」くらいかな)。

私がこの本を読む直前に、「めいろま」氏が翻訳という仕事について「他人の言葉を訳すばっかりで自分の意見を言うわけでもなく、全然面白くもない」とTwitterに投稿していたのだけど、そういう勘違いをしている人に読ませたい本である(読まないだろうけど)。

いずれにせよ再読必須。一気に通読したけど、次は付箋貼りまくりかも。

 

岡嶋裕史『5G 大容量・低遅延・多接続のしくみ 』(講談社ブルーバックス)

著者の別の著作を読もうと思って検索していたら、この本も目に留まったので読んでみた。

1G(という表現はなかったのだが)から5Gに至る流れを把握する上で分かりやすい本。

本当にこの著者は説明がうまいなぁと思う。これまでに読んだ、同じくブルーバックスのセキュリティやブロックチェーンの著作に比べると、本書はやや冗長にも思えるが。

その先の未来について論じる部分はやや薄っぺらいようにも思うが、入れたかったのだろうなぁ。

加藤陽子『とめられなかった戦争』文春文庫

日本学術会議の新会員に推薦されたが菅義偉によって拒否された歴史学者の著作。

愚行を「とめられない」状況が迫るなかで、誰かがこの本を挙げていたので読んでみた。

サイパン陥落→日米開戦→日中戦争→満州事変と、時系列的には遡っていく順番で書かれているのだが、さらにもっと先に、日露戦争での「勝利」の記憶が示唆される。確かに、いま愚行を止められない人々も、子どもの頃の「それ」を記憶している世代が中心なのかもしれない。かつての「それ」とはまったく別物になっている、というのも、この本で語られている内容と重なってくる。

それにしても、第二次世界大戦中の日本の死者(軍民合わせて)のほとんどがサイパン陥落以降の終盤に集中しているというのは、負け戦なのだから当然とはいえ、慄然とする。つまり、「ここで止めていれば死なずに済んだ人」が膨大にいた、ということなのだが。

佐々木淳『いちばんやさしいベイズ統計入門 「結果」から「原因」を探し出す』(SBクリエイティブ)

このご時勢ゆえ、「事前確率」などという言葉を折々目にするようになったので、図書館の新着書棚にあったこの本が目に留まり、読んでみた。

ベイズ統計については、以前POPFileというスパムメールフィルタを使っていた関係で名前だけは馴染みがあったのだけど、具体的にどういうものなのかは知らず。

本書は大変分かりやすく説明してあると思う。といっても、本書の肝である第3章以降も通読するだけで、自分で手を動かして確率を求めたり式の変形をしたり、という手順は踏んでいないので、表面をサッと撫でただけの理解。家人には「まぁそこまでやらなくてもいいんじゃないの」とは言われたのだけど、いずれ時間があるときにちゃんと「お勉強」してみたい。

「ベイズの定理」そのものが生まれたのは18世紀とけっこう歴史があるけど、本書から受けた印象では、天才的・飛躍的な発見というわけではなく、何となく式を変形していたら、「あれ、これってこういう意味に取れるんじゃない?」という新たな解釈が生まれ、それが実は非常に有用だった、という話であるように見える…のだけど、合っているだろうか。

2021年1月の刊行ゆえ、「このご時勢」についても「Cウイルスに関するP検査」という例題で扱われている。

 

天沢退二郎『光車よ、まわれ!』(ポプラ文庫ピュアフル)

記録するのを忘れていたが、4月中旬に読んだ。

子どもの頃に読んだ児童文学のなかでも、特に印象に残っている作品。

といっても感動したとか、人生が変わるような影響を受けたとか、そういうわけではなく、よく分からない、何も解決していないような消化不良の薄気味悪さが却って印象に残ったのだ。といっても、つまらなかったわけではない。

で、ふと読み返してみて、やはり印象は変わらず。記憶していたよりも血湧き肉躍る(?)活劇であるのが意外だったが、いろいろ未解決で宙ぶらりんな結末の印象は変わらず、しかしだからこそ面白い作品なのだ。

タイトルは『光車よ、まわれ!』なのだけど、本文では「まわれ、まわれ!」と2回繰り返して叫ぶところを妙によく覚えていた。

図書館で借りたが、買ってもいいな。それより、実家には残っているのだろうか。