月別アーカイブ: 2020年7月

ナイジェル・ウォーバートン『「表現の自由」入門』(森村進・森村たまき訳、岩波書店)

ブックカバー・チャレンジで友人が紹介していて読もうと思った本、第二弾。第三弾の『ヒューマン・ファクター』と順序が入れ替わったのは、原書で読み直していたため。

「表現の自由」(あるいは言論の自由、原語ではfree speech)の擁護/制限について、古典的ではあるが今なお有効な出発点としてJ・S・ミル『自由論』の危害原理の紹介から入り、宗教的な文脈での侮辱や中傷、ヘイトスピーチ、ポルノの検閲、芸術作品における表現の自由、著作権の問題、インターネット時代の問題といった感じで、一通り、表現の自由をめぐる論点が網羅されている。このへんを読むと、昨年の愛知トリエンナーレにおける一部作品に対する攻撃も、こうした議論における一つのエピソードとして(それ自体はきわめて底の浅いものであったとしても)俯瞰的に位置付けられるように思う。

ただし、「原書で読み直した」ことから察していただけるように、翻訳の出来はかなり酷い。といっても、「あ~、こういう感じだったのだろうなぁ」と原文がありありと思い浮かぶので、つまり誤訳ではない。この分野の専門家が、正しい原文理解のもとに、何ら工夫することなく「英文和訳」したという印象。

原書を読んでみると、この紙数にこれだけの内容を盛り込むべく、きわめて無駄のない精緻な、したがって込み入った英文になっていることが分かる。確かにこれを翻訳するのはそれなりの力量が必要だ。これ、内容の現代性という点からしても、大学入試の英文読解とかで使うと、かなりレベルの高い問題ができるのではなかろうか。

しかし、一般向けの翻訳書である以上、せめてもう少し工夫してほしかったなぁ。

なお、ナイジェル・ウォーバートンという名前に「おお、ウェールズの人か!」と反応するのはラグビーファンだけ(ちなみにイングランド出身のようです)。

 

グレアム・グリーン『ヒューマン・ファクター』(加賀山卓郎・訳、ハヤカワepi文庫)

ブックカバー・チャレンジで友人が紹介していて読もうと思った本、第三弾。第二弾はすでに読んだのだけど、原書で読み直しているので記録は後回しに。

グレアム・グリーンはこれまで読んだことがなく、映画『第三の男』で名前を知っているくらい。

友人の紹介では内容がほとんど分からず、スパイもののようだというくらいしか予備知識が無かったのだが、なるほど、これはなかなかすごい作品である。スパイ小説なのだが、銃声も死者も最小限。解読すべき暗号もない。なるほど、看板に偽りなく「ヒューマン・ファクター」だけ、なのか。

すごい作品なのだが、新型コロナ禍中のいま読むのはあまりお勧めできない(別にウイルスや病気とは何の関係もないのだが)。しかしその理由についてこれ以上書くとネタバレになるし、謎解きがメインの作品ではないとはいえ、これはネタバレなしで読む方がよかろう。もっとも私自身は再読するような予感があるから、あまり関係ないかもしれないが。

 

ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』(池田香代子・訳、みすず書房)

しばらく盛り上がっていた「ブックカバーチャレンジ」。私自身はふだんから読書記録を晒していることもあるし、mixiの頃から「バトンは受けない、回さない」を原則としているので受けなかったのだが、友人知人たちの紹介する本を見ていて、「ああ、これは読まなきゃ」と思ったのは、申し訳ないけどごくわずかしかない。

その1冊が、これ。

いや、あまりにも有名な本なので、意外に思われるかもしれないが、読んでいなかったのだ。新版の訳者である池田香代子さんは『飛ぶ教室』の訳も良かったので、こちらを購入。

たいへん良い本だった。

よく知られたアウシュビッツに代表される強制収容所での体験を、精神分析学者である著者が綴ったものということで、もっと読み進めるのが辛くなるような陰惨な内容なのかと思っていたが、そうでもなかった。平明な新訳の効果もあるのかもしれないが、著者自身がわりとユーモアに溢れている人のようでもある。

内容は、難解な用語や理論はまったく出てこないのだが、きわめて哲学的。我々が生きる意味を問うのではなく、生きることが投げかけてくる問いに我々が答えを出すのだ、と。ここでの「生きること」を宗教的に表現すれば「神」になるわけで、極限状況において、哲学と宗教と心理学(精神分析)は一体化するのだなぁと思う。

『なぜ私だけが苦しむのか』と共通する部分も多いが、こちらの方が強制収容所という極限状況を前提としている分だけ、却って一般化されている(宗教寄りではなく哲学寄り)という印象。

そして、この本を読んで、ふと「ああ、またマラソンを走りたいなぁ」と思ってしまったのは、まぁ分かる人には分かってもらえるだろう…。