月別アーカイブ: 2020年9月

長沼伸一郎『現代経済学の直観的方法』(講談社)

評価の分かれそうな本だが、一読した感想としては、これはかなり面白い。

そもそも表題が誤解を招く。「現代経済学」となっているし、ソフトカバーとはいえ装丁も黒基調でなかなか厳めしいのだが、それほどアカデミックな雰囲気はなく、かなり取っつきやすい「経済入門」である。また「現代」と銘打つほど直近の事象が中心になっているわけでもなく、古代中世にまで視野が広がっている。本来は、物理数学が専門の著者が、「科学者」があまりに経済に疎いことを憂えて書いたものだが、別に科学畑の人間でなくても経済に苦手意識がある人が読むにはふさわしい。ただし、はじめに著者も書いているように、「本を読むこと」に抵抗がないことが前提である。

で、アカデミックでない分、経済を少し囓った人にとっては(いや私のような者でさえ)「え、それは言い過ぎじゃない?」とか「え、○○は無視ですか?」と言いたくなるような部分がそこかしこに見られる。それどころか、たとえば、株式会社/市場については一言の言及もないし、リスクについての考え方もほぼ皆無である。そんな(現代)経済の論じ方がありうるのか、とも思うが、わりときちんと成立している。著者はそれらの点を理解していないのではなく、あえて枝葉として無視する方が堅牢な構成になると計算しているのだろう。「木を見て森を見ず」という言葉があるが、その反対に、森さえも見ず、森を支える土壌や空気などを論じている印象か。ジャレド・ダイヤモンド『銃・病原菌・鉄』『文明崩壊』あたりを面白いと思った人には向いているような気がする。

新しいところでは仮想通貨/ブロックチェーンに関する章は、非常に分かりやすい。以前読んだ岡嶋裕史『ブロックチェーン』(講談社ブルーバックス)も優れていたが、むしろ本書の該当部分を読んだ方が手っ取り早い気がする。ビットコインを金本位制と絡めて語るところは秀逸。だから「マイナー」なのね。

ただし、「解決策」を探る最終章は薄っぺらという印象。さすがにそこまでは荷が重いか。

というわけで、トンデモ本と見なす人もいるだろうなとは思いつつ、これはこれで十分に良書だと思った次第。アダム・スミス、ケインズ、マルクスあたりはやっぱり読んでおきたいなぁと思わせるだけでも意味はあった。

 

広瀬正『ツィス』(集英社文庫、kindle版)

何となくまとめてkindleで購入してしまった広瀬正作品。『マイナス・ゼロ』に続いてこれを読んでみる。

一部の人にある高さ(C#、ツィス)の音が耳鳴りのように聞えはじめ、原因不明のまま、音量がだんだん大きくなって聞える人の数も増え、やがて耐え難い音量になり…という、一種の自然災害パニックもの。

「治安体制を強化するための権力者の陰謀」論を唱える人々が出てくるといったあたりは、昨今の新型コロナウイルスでも見られる現象で、なかなか興味深い。

ただ作品としては、最後にオチをつけたようでいて、さらに混ぜっ返す形で終っているので、結局何だったのか謎は残るまま。作者の意図としてそうしたかったのかもしれないが、やや消化不良感が強い。オススメかと言われると微妙である。

 

佐藤義之『「心の哲学」批判序説』(講談社選書メチエ)

「心」(「現象的意識」とも)が物理的な世界に影響を与えることを否定する現代の「心の哲学」に対して、「心」の存在意義の再確認を試みる著作。

自然淘汰による「進化」に基づく「心」の存在意義の主張には、ある程度の説得力を感じる。現象学的な立場からの「意識」の捉え方は、著者が多く援用するメルロ=ポンティの著作に、私自身も卒業論文で大いにお世話になったこともあって、懐かしく馴染みやすい論法。

とはいえ、この本自体では「心」から物理的世界への働きかけの可能性自体については論証できていないのは著者も認めているとおり。というより、「物理世界は完結し、心の働きかけを許さない」という物理世界の因果的閉鎖性テーゼにおいて、そもそも「因果」という概念自体が「心」によって導入されたものではないかという、さらに根本的な(いや、カントに戻るわけだから先祖返り的ではあるのだが)問い直しが必要なのではないか、という気がする。その意味で「哲学者、もっと強気で行けよ!」と思ってしまうけど、そういうちゃぶ台返しみたいなことはやりたくなかったのかな…。