月別アーカイブ: 2019年7月

野尻抱影『新星座巡礼』(中公文庫BIBLIO)

5月に京都の書店を何軒か訪れた際に家人が購入したのを借りて読む。

古風で端正な文章で綴られる星座・星談義は魅力的なのだけど、何より「これほどの星々を自分が目にする機会はこれから先あまり無いのだろうなぁ」と思ってしまうのが悲しい。いやまぁ、星を観ようと思えば、そういう環境に足を運べばいいのだけど、なかなかね……。

ところでこの本、古書として購入したのだけど、ところどころに書き込みがある。図書館の本なら「けしからん」と言うべきところだが、誰かが保有していたものなのだから、しかたがない(私自身は自ら保有する本でさえ書き込みをしないタイプなのだけど、自分の本なら人それぞれである)。

が、その書き込みが一つ一つ、細かい字で丹念にこの本の誤りを訂正する内容なのだ。単に誤記・誤植の類と思われるものが多く、訂正は的確であるように見える。いわば校正で赤を入れたような感じ(普通の鉛筆のようだが)。

奥付の上には、蔵書印こそないものの、購入した日付・場所と読了した日が、本文中の書き込みと同じ筆跡で記してある。この文庫版は、2002年11月25日に発行されているのだが、この読者は、同月29日に購入し、その日のうちに読了している。何カ所も校正を入れつつ、そのペースで読めるというのは、恐らく、この読者もひとかどの星の専門家なのではないかと想像する。

坂井豊貴『多数決を疑う』(岩波新書)

今般の参議院議員選挙の結果について、個人的には大きな不満や落胆があるわけではないのだけど、それにしても、特に小選挙区制(参院選であれば1人区)ではもう少し優れた選挙方法があるのではないか、とは常々思っている。

というわけで、義父が勧めていたこの本を読む(と思ったのだけど、彼のブログでは本書に言及している箇所が見つからない。しかし書棚にあったことは確かだ)。

実に面白い。

単純多数決に代わるボルダ・ルールや中位投票者定理など、技術的な集計ルールの考え方も面白いのだけど、それ以上に、ルソー『社会契約論』を軸とした、民主的な意志決定そのものについて考察する章が重要であるように思う。本書を読めば、いくつかの条件が満たされれば、多数決で得られる結論が正しい確率は限りなく100%に近づくことは理解できるのだが、現実の(そして特に今日の日本の)国会においては、その条件がいずれも満たされておらず、当面、満たされる可能性も低いことが痛感される。多数決に従うことが民主主義なのではない。それ以前にまず、多数決が民主主義の理念を満たさなければ話にならない。

図書館で借りたが、これは買うべきかもしれない。

これを読むと、必然的に『社会契約論』を再読しないといかんなぁという気になってくる(読んだのはいつだろう。高校? 大学?)

エリエザー・スターンバーグ『<わたし>は脳に操られているのか 意識がアルゴリズムで解けないわけ』(大田直子・訳、インターシフト))

従姉のパートナーがFacebookで紹介していて気になった本。というか、まぁ哲学科出身の私としては専門分野と言えなくもない。

神経脳科学の発展をベースに、それでは人間には「自由意志」はあるのか、人間に道徳的な主体性を問うことはできるのか、という問題に答えを出そうとする本。

面白い本ではあるが、著者は最終的に「自由意志」の存在を肯定する結論、というより展望を示すのだけど、それならばもう少し優れた説明のしかたがあるようにも思うし(などと書くと偉そうだが)、「そこは検証なしに言い切ってしまっていいの?」という疑問が生じる部分もある。

そして結局のところ、物理学にせよ脳科学にせよ、過去に哲学が提示してきた問題をいっそう精緻・厳密にすることには貢献しても、その答えを導くには至っていないのだなぁという諦めのような思いを抱く(まぁ構造的にしかたがないのだけど)。

 

 

近藤史恵『キアズマ』(新潮文庫)

必然的な流れで、これも。すべて再読なので、それほど時間を要さず一連の作品を読破。他の4作品がプロの自転車ロードレースを舞台にしていたのに対して、こちらは大学の学生スポーツとしての自転車ロードレース。さわやかな青春小説でもあるのだけど、苦くて痛い過去もあるのは、この作者の作品の常か。自転車というハードウェアそのものへの愛情は、この作品が一番前面に出ているように思う。

これも続編を期待できそうな流れである。

 

近藤史恵『サヴァイヴ』(新潮文庫)

「白石誓」を一人称の主人公とするロードレース連作からスピンアウトした格好の短編集。同じく白石の視点から描かれるエピソードもあるけど、メインは、彼がデビューしたときのチームの先輩であった「赤城」視点の3本。

「一生ゴールを目指さず走り続ける選手の気持ち」という言葉が、赤城/白石という「アシスト」の立場からサイクルロードレースを描くという、作者の選んだ視点をうまく象徴している。

そして、出色は、J Sportsのサイクルロードレース番組で解説者(時に実況も)としてよく知られる栗村修による解説。作品に対する手放しの絶賛であるにもかかわらず、こうした作品を支えているのが現実の選手たちが展開する競技や喜怒哀楽なのだということを痛感させるという点で、ある意味、作品本体を凌駕する印象を与える解説である。

近藤史恵『スティグマータ』(新潮文庫)

というわけで、サイクルロードレースものの長編第三作。

第一作『サクリファイス』についても言えるのだが、登場人物がめぐらす策謀(プロット)が、やや作為的にすぎる気がする。いや、策謀なのだから作為的なのは当たり前なのだけど、ヒネりすぎて無理があるように思う。

具体的には(以下ネタバレ注意)、登場人物の一人が序盤で主人公にある依頼をするのだが、むしろその依頼は、その登場人物がめざすもの達成を妨げてしまう結果になっていないか。全体的に、目標の設定と、そのために選択する手段のバランスが取れていないようにも思う。

それとも、主人公の推理が「考えすぎ」だったのか。こちらの方が可能性は高いように思うけど、そうするとこの小説のプロットが死んでしまう。う~む。

というわけで、やはりこの連作、ミステリとしては今ひとつのような気がするのだ(笑)

(追記:『エデン』はよく出来ている。人の生死に関わる部分はとてもパーソナルな話なので「謎」としては小粒であり「ミステリ」と呼ぶにはふさわしくないかもしれないけど、感情の機微をうまく描いている)

とはいえステージレースの展開は前作同様に面白いし、主人公の人格描写という点で、いよいよ彫啄が進んできたようだ。つまり、彼にとって自転車で走るとはどういうことなのか、という哲学めいた問いへの答えが、作を重ねるごとに鮮明になりつつあるように思える。そして、私としては、このシリーズのそういった部分がとても好きだ。

 

近藤史恵『エデン』(新潮文庫)

『サクリファイス』に続いて、こちらも。

ストーリーとしての完成度は、『サクリファイス』よりもこちらが優るように思う。前作における準主人公の選択はあまりにも無理があるように思うが、こちらはそうではない。

何より、現実同様に三週間にわたるグランツールの展開を、ここまで面白く構築できるのはさすがである(まぁスプリンター向きのステージは事実上無視しているとも言えるが)。

これまた、初読のときに比べ、痛切に胸に迫る部分をいくつも発見したのは、前作同様である。

さて、次は『スティグマータ』。これは初読になる。

 

近藤史恵『サクリファイス』(新潮文庫)

別の本を読み始めていたのだけど、ツール・ド・フランス開幕ということもあって、家人が同じ著者のサイクルロードレースもので最も新しい(といっても3年前か)『スティグマータ』を読み始めたのに刺激されて、シリーズの最初の作品であるこれを手に取った。再読か、再々読か。

最初に読んだときは、「ミステリとしては大したことはないが、サイクルロードレース観戦への入門書として、これほど優れたものはないのではないか」という感想を抱いたように記憶している。

その印象は再読しても変わらなかったのだが、何だか今回はえらく心に響く感じが強かった。展開や結末を知っているからとか(実際には私の記憶は、まったく別の著者の小説と混ざっていた)、続編を読んだことで主人公への感情移入が高まっているというわけでもないと思うのだが…。初読のときは特にどうとも感じなかった高校時代の失恋エピソードも、今回は妙に泣けた。単に私が年を取ったということなのかもしれない。年を取ることで、以前は感動できなかった本に感動できるとすれば、それはとても幸福なことだろうと思うのだけど。

それにしても、サイクルロードレースにおける「アシスト」という視点を選んだのは、著者にとって、たいそう豊かな鉱脈を探り当てたと言ってもいいのではなかろうか。

当然ながら、続いて『エデン』へ。

角田光代・河野丈洋『もう一杯だけ飲んで帰ろう』(新潮社)

考えてみれば、私にとってこの手の飲み歩き・食べ歩き本というのは、たいていの場合は先達、つまり自分よりも年上で世慣れた、いろいろ良い店を知っている「大人」が書くもの、という位置付けだった。しかしこの本を読んでいて、ふと「あれ?」と思って著者紹介を見たら、角田光代は私と同年代だった。

うむ、自分もそれくらいの年になってしまったのだなぁ。

そして、この本で紹介されている店は、わりと自分の行動圏に近いエリアが多いのだけど、では、この本で魅力を感じた店に行ってみようかという気になるかというと、それはない。

これまでご縁のなかった新しい店を積極的に開拓していこうという意欲が低下しているのも年齢ゆえかもしれないし、そもそも、これまで自分が馴染んでいた店がそれなりにあって、外食するのであれば、むしろ「あの店しばらくご無沙汰しているなぁ、久しぶりに顔を出さないとなぁ」という動機の方が大きくなっている、というのもある。

あと、共著者2人の食べ物の趣味は異なっているようだが、どちらかと言えば、肉・辛いもの・エスニック系に向かいがちな角田光代よりも、出汁・野菜系が好きというパートナー・河野丈洋の選ぶ店がもう少し多く採用されていれば食指が動いたかもしれない。

そういえば角田光代の作品はこれまで一冊も読んだことがないのだけど、これを機に何か読んでもいいな、と思った。河野丈洋という人については、ミュージシャンのようだけど知らないなぁと思って読み進めていったら、自分が観た芝居の音楽を担当していた人だということが分って(この本では2作品が出てくる)、びっくり。そういえばその劇団のパンフレットに主宰と角田光代の対談も載っていたな。ご縁があるのか。

 

中桐啓貴『日本一カンタンな「投資」と「お金」の本』(クロスメディア・パブリッシング)

「老後2000万円不足」問題が盛り上がるなか、投資を語る本というのはどのようなものか、読んでみた。

株式会社や資本主義の成り立ちについてあれこれ語るのだけど、そのへんがどうしようもなく浅いのは無理な注文というものだろうな。外部不経済の問題とか加味すれば、そこまで資本主義万歳という話にはならないはずなのだが、まぁそういう本ではない。とはいえ、そもそも銀行預金だって資本主義におけるマネーの流通を支える極めて重要な柱だったわけで、かつてはリスクのわりにはそれなりの金利もついていたのに、それがどうしてこうなったか、というあたりにまったく目配りがないのは、さすがに物足りない感がある。

投資(資産形成、か)で成功するには長期保有・分散投資が重要という結論は、まぁそうだろうな、という印象。その意味で、投資入門としては良心的な本なのだろうけど……。