趙景達『近代朝鮮と日本』(岩波新書)
地上波のテレビを観ることはほぼないので、日本のテレビのニュースで朴槿恵大統領弾劾のデモの様子は新聞の写真程度でしか目にしていないのだけど、それでも相当の規模のデモが続いていたということは察せられる。日本ではどれほど大きな問題であってもせいぜい数万人の規模なのに、どうして隣国ではあのように大規模なデモが発生しうるのか。国民性の一言で片付けるのでは済まない気がして、図書館で目にしたこの著者の本を借りてみた。実際には『植民地朝鮮と日本』を先に手に取ったのだけど、時系列的に先行するこちらをまず借りる。
この本が語る近代朝鮮史の時期には、上述のような大衆的な抗議行動の文化が確立していたことが分かる。キーワードは儒教的民本主義、一君万民か。
先にFacebookへの投稿でも書いたのだけど、なぜ大韓民国(その前の大韓帝国から)は「朝鮮」を名乗らなかったのか、なども興味深い。
興味深いといえば、もう一点。
著者は名前からすると韓国・朝鮮系だけど、東京生まれで東京の大学を卒業し、現在も千葉大学で教えているようなので、日本語はほぼ完全にネイティブだろうし、世代的にも私とは10歳くらいしか離れていない。
が、使う言葉は妙に分かりにくい。
たぶん、「日本も朝鮮・韓国も同じ漢字文化圏」という意識があって、朝鮮(史)で使われる漢語は日本語でも普通に理解されるもの、という感覚なのではないか。苛斂誅求くらいはいいとして、郡衙とか上疏とかは、注釈を付けるなり、もう少し編集者が配慮してもよかった気がする。
ま、それはさておき興味深い本ではあるので、引き続き、続編も予約。
阿川弘之『雲の墓標』(新潮文庫)
栗原俊雄『特攻-戦争と日本人』(中公新書)
『この世界の片隅に』を観て以来、「もう一度観たい」という願望は果たさぬまま、「あの頃」に関する本を立て続けに読んでいる。
この本は以前何かで知って「読みたい本リスト」に入っていたもの。
先日読んだ『シベリア出兵』から受けた印象とは全然違って、特攻の方針が決まり、実施されていく過程は、とにかく異常で、愚劣で、気持ち悪い。
「いやいや、だからどうしてそこでそういう結論になるのよ!?」と全力で突っ込みたい衝動に駆られる。「勝つためにはこうするしかない!」「いや、そうしなきゃいけない時点でもう勝ちはないから」みたいな感じ。
『この世界の…』や『小さいおうち』が、平凡ではあるが、そのぶんまっとうな人々の普通の生活を描いていたのとは対照的に、こちらは本当にグロテスク。
というようなことを書くと、「今日の価値観で断罪してはいけない」みたいなことを言う人がいる。そりゃもちろん、当時の人は当時の人なりに、一生懸命考えて、それが最善であると思ってやっていたのかもしれない。でもね、70年分の進歩を経た(応分の進歩であるかどうかはさておき)我々としては、「今日の価値観」で断罪しなきゃダメなんですよ。
でないと、繰り返すから。
まぁもっとも、今の日本には、特攻に至る過程を知っても、それを異常とも愚劣とも気持ち悪いとも思わない人がけっこうたくさんいて、だからこそ、こういう社会になっているのかもしれないけど。
村上晃一『ハルのゆく道』(道友社)
J Sportsの解説でもお馴染みの著者による、ラグビー日本代表のハルこと立川理道の軌跡を追ったドキュメンタリー。ハルの兄・立川直道と同期のSH井上大介のトークライブ(司会は著者)に行ったときに、会場で購入し、著者、直道、大介3人のサインをもらった(直道、大介は本書のなかにもよく登場するので)。ハル本人には、試合会場などで機会があれば表紙にでももらいたい。
道友社という出版社名に聞き覚えがなかったが、「天理教道友社」という、天理教系の出版社みたい。
以前、やはり著者が司会を務めるハルのトークライブに行ったときに、のっけから「天理教の信仰とラグビーの関係は」みたいな質問から入ったことに驚いたのを思い出す。なんか、日本では信仰のことってあまり立ち入らないような気がするので、村上さんがすごく自然な好奇心という感じで尋ね、ハルも自然体で答えていたのが印象に残った。
で、この本でも、冒頭で触れられるワールドカップ前後の「選手生命の危機」や、例の南アフリカ戦の描写などが強く印象的である一方で、「天理教とラグビーのご縁」という、なかなか目にできないテーマに突っ込んでいるところが面白い。
中島京子『小さいおうち』(文春文庫)
山代巴:編「この世界の片隅で」(岩波新書)
映画『この世界の片隅に』を観て、ちょいと調べようと思い、キーワードを間違えて検索したら、この本がヒットした。1字違いのタイトルで、やはりヒロシマについての本であるということに興味を惹かれて、読む。マンガのタイトルがこの本を意識しているのかどうかは、まだ調べていない。
在日朝鮮・韓国人、被差別部落、精神障害者(胎内被爆の後遺症としての)、孤児、沖縄といった周縁化・疎外・差別される存在を、被爆という共時的な体験で貫いて語る、という構成。復興が進む戦後の広島で、上空から見るとそこだけ暗い一角がある、という一節が辛い。
そのように、当然ながら重くて暗い内容ではあるけど、それでもやはり、知らなかったことを知る喜びというのは、こういう読書にでも、ある。
何というか、1960年代にはまだ存在した真面目さみたいなのをつくづく感じる。
『に』を観て感動した人に、併せてこの『で』も読んでもらいたい(別にそれによって『に』の価値が下がるわけではない)。しかしこちらはいま入手困難なんだよなぁ(私は図書館で借りた)。
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水野和夫、近藤康太郎「成長のない社会で、わたしたちはいかに生きていくべきなのか」(徳間書店)
先日読んだ『資本主義の終焉と歴史の危機』の水野和夫と、しばらく前に読んでたいへん面白かった『おいしい資本主義』の近藤康太郎の対談。
上述の水野の著書は新書サイズにめちゃくちゃ俯瞰的な内容を詰め込んでいてちょっと無理を感じたけど、この対談でうまく整理されている印象。ただし、いきなりこの対談を読んでもピンと来ないかもしれない。水野氏の本だと『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』とか『100年デフレ』とかが、丁寧に書かれているものなのかな。三部作としてもう1点何か取り上げられていたけど、なんだったっけ……。
「では、どうすればいいのか」という処方箋は描かれない。というか、「こうすればOK」という結論を出すこと自体に疑問符を呈している。確かに、本質的に、再現実験が効かないジャンルだからなぁ。
さやわか『文学の読み方』(星海社新書)
麻田雅文『シベリア出兵』(中公新書)
東京新聞の書評欄で紹介されていて、何となく気になって読んだ本。敢えていえば、『戦争は女の顔をしていない』のロシアつながりかも。
7年という長期、地理的にもけっこう広大な戦地、何カ国も絡む複雑な情勢だったのに、日清・日露戦争と、日中戦争~太平洋戦争に挟まれて、あんまり関心が注がれていないシベリア出兵を集中的に研究した本。著者は私よりもかなり若い、40前の研究者。
この頃の日本の政治家・軍人は、もちろん帝国主義的な動機に基づいて動いているわけで、そのこと自体はまったく評価できないのだけど、それでも他国との駆け引きとか冷徹な国益の計算とか、けっこう「頭のいい」感じで動いていたのだなぁという点に強く印象づけられました。
で、ふと『はいからさんが通る』の背景って、このシベリア出兵だよな、と思い出して、読み返したくなりました……。







