大学時代の友人が誉めていたので気になって読む。
短編連作というか、1章1エピソードのものも、2~3章で1エピソードのものもあるのだけど、形のうえでつながっていても、それぞれの章に独立した味わいがあるように思う。
で、だいたいにおいて、オチがあるようでオチきっていないというか、割り切れなさや苦さ、不条理感が残る。そこがいい。
山中伸弥・羽生善治の対談本が面白かったので、この2人が登場する企画モノであるこの本を図書館で予約してみた。人気があるようでだいぶ待たされたのだが、順番が回ってきて借り出してみたら、先日カンヌでパルムドールを受賞した是枝裕和さんも入っているではないか。もう一人は京大総長の山極壽一さん。
やっぱり山中さんの話が面白かったかな。ラグビーをやっていなかったらiPS細胞の開発もなかったのだ、というのは「風が吹けば桶屋が儲かる」よりは因果関係が濃いと思うよ(笑) 『友情』も読んでみようかな。
で、やはり以前から馴染みがある分、羽生さんの話は別に刺激がないなぁという読後感だったのだが、フレーズとしていちばん印象に残っているのは「様々な種類の物差しを持つ」という奴だなぁと思って、これ言っていたの誰だっけとページを繰ったら、羽生だった(笑)
続編も出ているようなので、いずれ、機会があったら。
3作目。やっぱり一週間くらいかかったけど、Amazonでの紹介だと前作より100頁くらい多いようだから、やはり多少は読むのが速くなっているのかな。
「前2作の展開からして、これが伏線だな」とか思っていると全然違っていたりするので、筋立てそのものは面白いといえば面白いのだけど、少しばかり……飽きてきた(早すぎ?) 理由はいくつかあって、キャラクターが固定化されすぎているのと、基本的に舞台が学校内に限定されていること(これは次作あたりで広がっていくのだろうか)。あと、児童文学としては盛り上がるところなのかもしれないけど、Quidditchの試合のシーンがわりとワンパターンで退屈してしまう……。
例によってDumbledore先生のお話。”The consequence of our actions are always so complicated, so diverse, that predicting the future is a very difficult business indeed. ” と、 “But trust me … the time may come when you will be glad you saved his life.” は、モリアでガンダルフがフロドに言ったことを思い出させる。
紙の方ではどうか分からないけど、kindle版だと(翻訳でも)、終った後に次作の冒頭部分が読めるので、つい次も買ってしまいそうだ。
というわけで、二作目は原書で読んでみた。15日に読了。3倍くらい時間がかかるかなぁ(そして日本語で読むのと違って眠くなる…)。
ふだんの時事・実務方面の翻訳では目にすることの少ない、口ごもる、もごもご言う、憤慨する、いきり立つ、みたいな表現がたくさん出てくるのに戸惑うけど、まぁ小説、それも児童文学なら当然か。慣れてしまえば問題ない。
基本的に、事件が解決されたあとでDumbledore先生が大事なことを言う、というのがお約束なのだな。一作目の、 “Always use the proper name for things. Fear of a name increases fear of the thing itself. ” とか、”It takes a great deal of bravery to stand up to our enemies, but just as much to stand up to our friends.” 、この二作目なら、 “It is our choices that show what we truly are, far more than our abilities.” とか。
三作目も原書をkindleで購入。何作目まで読むのだろうか……。
公文書管理に関する政府委員を二つ兼任しているという著者が、あとがきでも昨今の事件について苦々しく触れているのも印象的だが、それはそれとして……。
「第二次世界大戦でもし枢軸国側が勝利していた」という大きなifをもとに書かれたのはフィリップ・K・ディック『高い城の男』だが、この本を読みつつ、ふと「もし真珠湾攻撃が行われず、日米開戦が回避されていたら」という想像をめぐらせずにはいられなかった(この本では、「戦争調査会」の資料などに基づいて、どの時点までその分岐点があったのか、ということが時系列的に語られている)。
小津安二郎の『秋刀魚の味』の、「けど、(あの戦争に)負けてよかったじゃないか」「そうですかね。うん、そうかもしれねぇな。馬鹿な野郎が威張らなくなっただけでもね」というやり取りを思い出す。それは確かにそうかもしれない。しかし戦争そのものが起きていなかったら、その後もしばらくは「馬鹿な野郎」が威張っていたのだろうな。とはいえ「戦争が起きてよかったじゃないか」とは言えないわけで……。