たぶんちょうど14歳の頃に「哲学」という考え方に魅了されて、途中で少し迷う過程はあったものの、結局、大学でも哲学専攻課程を選択した。あまり勉強しない不良学生だった(芝居ばっかりやっていた)こともあって、もちろん大学院に進むことはなかったし、当然ながらその後も、哲学とはほとんどまったく縁の無い仕事に就いている(というか、哲学に直接ご縁のある仕事なんて世の中にほとんどない)。
けれども、そういう形で哲学をかじったことは自分にとってすごく良かったと思っているし、今もいわばアマチュアとして楽しんでいる。あまりそういう言葉で評価されることのない学問分野だけど、「役に立っている」とさえ思っている。
そんなわけで、他人にも「哲学いいよぉ、面白いよぉ」とお勧めすることはためらわないのだけど、では何か手始めに読む本を紹介してくれ、と言われると、これがなかなか難しい。
私自身は上述のように中学生の頃、澤瀉久敬『「自分で考える」ということ』という優れた講演集に出会ったのだけど、残念ながら、とうの昔に絶版になっている。今も入手しやすい適当な本は何かないか、と思って読んでみたのが、この本。
う~ん、残念ながら、哲学への入口としては、あまりお勧めしない。
第一印象としては、中学生くらいの子どもに語りかけるという点を意識しすぎたのか、あまりにも饒舌である。「…なんだ」「…だよね」みたいな語尾が頻出していて、さすがに文章として読むにはクドい。そのわりに、「…するところの○○」といった一昔前の(刊行は21世紀に入ってからの本なのだが))表現も多用されていて、ちょっと辛い。
そして哲学への入口という意味でお勧めしない最大の理由は、本書は著者・池田晶子の考える哲学が「答え」として押しつけられてしまっているように見えるという点だ。オープンな問いではなく、ゴールになってしまっていて、その先がない。
池田晶子の提示する哲学自体はとても優れたものだと思うし、これを読んで「救われる」中学生がけっこうな数いたとしても不思議はない。その意味で悪い本ではないし、若い人が読むべき本であるとは思うのだけど、14歳「からの」哲学というよりは、ここで終ってしまうような気がする。本書には参考文献の類がいっさい示されていないし、過去の哲学者の名前も著作の名前も一つも出てこないので、こういうものの考え方に興味を持った人が「では次にこれを読んでみよう」という流れにはならない(というか、そもそもそういう思いを抱かないかもしれない)。
というわけで、「哲学ってどんなものかな」と思う人には、本書はお勧めしない。