2019年に読んだ本」タグアーカイブ

白井聡『永続敗戦論』(講談社+α文庫)

やはり日本には一度この本で書かれているような意味での「革命」が必要なんだろうなぁ。もちろん共産革命ではなくて、人間革命……は創価学会になっちゃうか(笑) あ、そうか文字どおりの意味で「市民革命」と呼べばいいのかもしれない。

先日来すこし話題になっている半藤一利のインタビュー記事も想起される。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190621-00010004-friday-soci

図書館で借りたけど、やや消化不良の感があるので、これは購入して再読すべきかもしれないなぁ。

保守論客に分類される人たちだけど、福田恆存や江藤淳あたりにも興味を惹かれる。

あ、それと「解説」は何だかよく分からなかった。廣松渉への言及なんてあったかな。直接言及はしていないけど、それと察するのが当然、みたいな話?

 

ジャック・ヒギンズ『鷲は飛び立った』(ハヤカワ文庫NV)

先日読んでめっぽう面白かった『鷲は舞い降りた』の続編。

これまた面白く1日ちょっとで一気に読んでしまった。とはいえ、まぁ二番煎じと言ってしまえば、それまでの本。Amazonのレビューで「作者自身による二次創作」とあったが、言い得て妙である。

たとえば『鷲は舞い降りた』が連載小説だとすると、中盤を過ぎたあたりから「○○さんを死なせるのは許せない!」みたいな剃刀入りのファンレターが届きそうなものだが、そういうファンの声に応えて書かれた続編、みたいな印象である。

本編同様、ナチスドイツ上層部内での対立、ナチスに好意的でないドイツ将官、優れた策略、スリーパーセル的存在、一癖ある「運び屋」など、この手の話を面白くするための必須要素は漏れなく揃っている。第二次世界大戦の推移や展望をきちんと盛り込んでいるところも巧み。

作品としては本編の方がはるかに上なので、その登場人物に魅力を覚えた人以外は、これに手を出す必要はないだろう。ということは、たぶん、本編を読んだ大半の人は読むべき本なのである。

 

ジャック・ヒギンズ『鷲は舞い降りた』(菊池光・訳、ハヤカワ文庫NV)

会社の後輩が宇宙関係の翻訳をやっていて、「アポロが月に着陸したときの連絡って、”The Eagle has landed.” だったんですね」と言うので、「それって何だっけ。ああ、『鷲は舞い降りた』か」と未読でもタイトルだけはすぐに思い浮かぶくらい有名な作品。NASAがフレーズを小説のタイトルから借用したのなら粋だなと思ったが、アポロの方が先だった。着陸船がEagle号だったのは、アメリカの国鳥だからという理由のようだ。

で、タイトルを知っているわりには何となくご縁がなかったのだけど、ふと興味が湧いて、図書館で借りてみた。

う~ん、有名であるのも当然。

えらく面白かった。これを読むと賢くなるとか、世の中の見方が変わるとか、そういう本ではないけど、エンターテイメントとして上等。

戦争・スパイ・アクション・サスペンス系というジャンルが極端に苦手な人以外には、文句なしにお勧めできる(何を今さら、と言われそうな著名作品ではあるが)。

扉部分の著者の言葉からも、序章(著者ヒギンズが不可解な墓碑銘に出会って、その謎を探り始める)からも、物語の軸になっている「作戦」が何を狙いとしていて、どのような結果に終るのかは分ってしまう。もちろん歴史的な事実から判断して、そのような結果は当然なのだけど、いずれにせよ「冒頭でそれを書いちゃっていいの?」と思うくらい。

それにもかかわらず、その後の展開が実に読ませる。作戦の準備が進んでいく様子も緊迫感があるし、そのような結末につながる決定的な転機も非常に印象的。

そのうえ、死んでいった者たちには教えたくない、不条理などんでん返しも待っている(そこまでやらんでも、という気もするが)。

ううむ。

しかも、この作品が重要な伏線になっている続編『鷲は飛び立った』まであるというではないか(これも図書館で予約してしまった)。

翻訳は菊池光。覚えがある名前だと思ったら、一時期何作か夢中で読んだ(そしてまた読み返したい)「スペンサー」シリーズの訳者。会話の語尾などに違和感がなくはないが、もちろん読ませる。

 

ヤニス・バルファキス『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』(関美和・訳、ダイヤモンド社)

仕事上の必要性もあって、読んでみた。日・月と電車での移動時間が長かったせいもあり、2日で読めた。

確かに分かりやすく面白いけど、まぁそのぶん物足りないというか、特に斬新なことが書いてあるわけでもないので、驚きや発見はそれほどなかったかな…。いわゆる経済記事を読むのがあまり苦にならない人は読む必要のない本だと思う。まぁこの手の本は過大評価されがちではある……。

翻訳は悪くない。原文に当たって確認したいところは数カ所あったけど、たぶん原文の方に問題があるのではないかという印象。柔らかく書かれたものを柔らかく訳すことは簡単ではないのだが、これはうまく行っていると思う。ただ、moneyを「おカネ」と訳すのだけは頂けない(これも原文に当たらないと分らないけど、意を汲んで「金利」とすべきだったのでは)。

 

 

江利川春雄『英語と日本軍 知られざる外国語教育史』(NHKブックス)

先日、京都でいくつかの個性的な書店を回ったなかで気になった本。買うまではどうかなぁと思ったので図書館で借りてみた。

旧日本軍(陸軍・海軍)及びその附属教育機関で、どのように外国語が教えられてきたのか、それがどのように戦争をめぐる政策に影響してきたのか、という研究。当初は英国を手本とし、後に米英を仮想敵国としてきた海軍では英語が重視され(理由はそれだけではないとはいえ)、当初は仏・独を手本とし、ロシア~ソ連を仮想敵国としてきた陸軍では仏・独・露語が重視され、軍中枢部にも外国語別の学閥ができて……みたいな興味深い話。結果的に英語の比重が小さくなったせいで、ナチスドイツ過大評価、米英過小評価、という流れにつながった可能性がある、と。

私の父方の祖父は当時それなりの立場にある英語教育者だったはずだが、軍への協力を拒否していろいろ苦労したという話も聞いたが、民間に留まった人の話は残念ながらこの本には出てこない。そういえば伯父は陸軍幼年学校に進んで(祖父には反対されたようだが)、当時習ったロシア語を今でも覚えている、みたいな話を何度か聞いたが、上述のようなロシア語重視の陸軍という背景があったわけだな、と思い至る。

 

リスンイル『ラグビーをひもとく』(集英社新書)

レフリーの視点から、あるいはレフリングという観点から、ラグビーの法(Law)と精神(Sprit)を解説した本。

いや、大変に面白かった。といっても、これからラグビーを観てみようという人には全然お勧めできない。この本の内容をほとんどまったく分かっていなくても、ラグビー観戦は十分に楽しいものだし、そうやって気軽に楽しめるラグビーの魅力をこの本が紹介しているわけではない。プレースタイルや戦術や具体的なスキルについてもほとんどまったく触れていない。

ただ、それなりに観戦経験のある人(※)なら、(理想的な)レフリーがどのように試合を進めていくのかが良く伝わってくるし、これまで試合を観てきて微妙に疑問だったポイントが、「ああ、あれはそういうことだったのか!」と説き明かされる部分が多々ある。

恐らく、プレイヤーであってもちゃんと理解していないルールの細部に踏み込む内容なのだけど、それでもなお、「だからラグビーは面白いのだな」と思わせてくれるという意味で、実に楽しい本である。

早く次の試合を観たい、そしてルールブックをダウンロードしなきゃ、と思わせる。

刊行は2016年6月。その後のルール改正もあるので、「あ、ラックの定義が今とは違うな」「ラインアウトモールへの不参加については運用が変わったはず?」みたいな古さがすでに散見されるのだが、なぜ、どのような方向でそうやってルールが頻繁に改正されるのか、という点にも言及されている。

※ それなりに観戦経験のある人、というのがどの程度かというと、まぁこれまでに10試合以上は観ている、くらいだろうか。少ないって?(笑) いや、人によってはそれで十分「知らない」ではなく「分らない」部分が見えてきているはず。

(著者名の漢字表記は「李淳馹」。最後の字(馬ヘンに日)が、きちんと表示されるか分らなかったので片仮名表記にした)

 

安田浩一『団地と移民』(KADOKAWA)

あいかわらず重いテーマを扱っているのだけど、達意の文章ゆえハイペースで読める(自分にとって相性がいいだけかもしれないが)。

これまでの著書から一貫する「差別」問題への関心はこの本にも強く現れているのだけど、それだけに留まらず、高齢化~「団地」の限界集落化という問題が前面に出てきていることが、いっそう今日性を高めていると思う。

 

橘玲『朝日ぎらい』(朝日新聞出版)

なかなか面白いネタが詰め込まれた本。ただし、その根底には極左から極右(及びその劣化コピーとしてのネトウヨ)に至る一連の態度の類型化があり、紹介される種々の「実験」も、どうもサンプル数からしてそこまで信頼性が高いものではないように見えるので、まぁ話半分に面白がるくらいがよいのだろう。

結局のところ、現実のたいていの人間は複数のアイデンティティを兼ね備えているのだし、したがってリベラルや保守といった(本書ではもっと細分化されているが)類型にはフィットしない。むしろそうしたマルチなアイデンティティに注目することこそが分断の緩和~共生への道につながるようにも思う。著者は、リベラルに対する批判に抗するには、さらにリベラルに徹するしかない(というときの「リベラル」はもう少し細かく言えばリバタリアンなのだが)、という選択肢を提示するのだけど、それは原理主義的な「無理筋」だろうなと思う。「リベラルはダブルスタンダードを批判される」という指摘は的確に見えるけど、むしろ、ダブルスタンダードではない、マルチスタンダードだ、とある意味で開き直る、というか、スタンダードが複数であることに対してオープンである方が優るのではないか。

まぁ、複数の(多数の)アイデンティティやスタンダードを備えるというのは、要するに教養主義的な方向なのだろうけど。

 

 

吉田守男『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』(朝日文庫)

Twitterで知人が言及していて、そういえば以前買ったような気もするが手許にないので、図書館で借りて読了(出版時期からして、買ったのは単行本の方だったかもしれない…)。

「京都や奈良がほとんど空襲を受けなかったのは、米国が両都市の文化遺産を尊重して攻撃しなかったからだ」という伝説が虚構であることを、米軍側の史料と実際の空襲の記録に基づいて明らかにしようとする本。

実際には、京都や奈良が空襲による壊滅的な被害を受けることはなかったという結末を知っていても、淡々とした叙述のなかに、「その日」が近づいてくる緊迫感はひしひしと伝わってくる。

実際のところ、あの戦争にそのような美しいエピソードがあったと思いたがる心性は、次の「それ」に対するガードを甘くすることになりはしないか。戦争は何よりもまず当事国の国益を最優先して進められるものであり、ほとんどの場合、それ「だけ」で終るのだ。

 

 

マイケル・ボンド『くまのパディントン』(松岡享子・訳、福音館書店)

競馬好きの女性と付き合い始めた頃(それがつまり今の家人だが)、彼女が自分の好きだった競走馬のぬいぐるみをいつも持ち歩いていたので、対抗上、自分も何かぬいぐるみを持ち歩こうと決めた(よく考えると、別に対抗する必要はなかった)。たまたま、J Sportsオンラインショップでラグビー日本代表仕様のテディベアを販売していたので買ったのが、初代だ。そのクマは半年ほど後に東京競馬場でなくしてしまったが、彼女がプレゼントしてくれた二代目を今も連れ歩いている。

そんな経緯で何となくクマ好きということになってしまった私なので、先日訪れた箕面の古書店で、昔読んだこの本を見つけて買ってみた。しばらく前にkindleで原書は買っていたのだけど。

子どもの頃は、パディントンがひっきりなしに「やらかす」のを面白がって読んでいたに違いないのだが、どうも大人になってしまった悲しさというか、「うわ~、少しはおとなしくしていてくれ~、可愛いだけでいいから!」などと思ってしまうのが我ながらおかしい。

その一方で、子どもの頃には分らなかっただろうなぁと思う面白さもある。たとえば芝居を観に行くエピソードで、登場人物の行動に憤激した(つまりお芝居であることを理解していない)パディントンが楽屋を訪れ、忙しそうなスタッフの一人と「あの男はどこにいる?」「男って?」「あのいけすかない男だよ」「ああ、ミスター・シーリーか。楽屋だよ」という会話を交わす。話はズレているはずなのに「あのいけすかない男」で通じてしまうところが笑えるのだけど、たぶん子どもの頃はこういうおかしさには気づいていなかっただろうな。