マイケル・ボンド『くまのパディントン』(松岡享子・訳、福音館書店)

競馬好きの女性と付き合い始めた頃(それがつまり今の家人だが)、彼女が自分の好きだった競走馬のぬいぐるみをいつも持ち歩いていたので、対抗上、自分も何かぬいぐるみを持ち歩こうと決めた(よく考えると、別に対抗する必要はなかった)。たまたま、J Sportsオンラインショップでラグビー日本代表仕様のテディベアを販売していたので買ったのが、初代だ。そのクマは半年ほど後に東京競馬場でなくしてしまったが、彼女がプレゼントしてくれた二代目を今も連れ歩いている。

そんな経緯で何となくクマ好きということになってしまった私なので、先日訪れた箕面の古書店で、昔読んだこの本を見つけて買ってみた。しばらく前にkindleで原書は買っていたのだけど。

子どもの頃は、パディントンがひっきりなしに「やらかす」のを面白がって読んでいたに違いないのだが、どうも大人になってしまった悲しさというか、「うわ~、少しはおとなしくしていてくれ~、可愛いだけでいいから!」などと思ってしまうのが我ながらおかしい。

その一方で、子どもの頃には分らなかっただろうなぁと思う面白さもある。たとえば芝居を観に行くエピソードで、登場人物の行動に憤激した(つまりお芝居であることを理解していない)パディントンが楽屋を訪れ、忙しそうなスタッフの一人と「あの男はどこにいる?」「男って?」「あのいけすかない男だよ」「ああ、ミスター・シーリーか。楽屋だよ」という会話を交わす。話はズレているはずなのに「あのいけすかない男」で通じてしまうところが笑えるのだけど、たぶん子どもの頃はこういうおかしさには気づいていなかっただろうな。

 

 

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