夫婦別姓(別氏)の問題について、何というか理論武装でもしようかと。
本書の結論は「選択的夫婦別氏」の導入が望ましいという今となってはごく当たり前のものだが、結婚・離婚や養子、家制度などについて、けっこう面白く読ませる本になっているように思う。2004年刊行とちょっと古いのだけど、版元品切れになっているようなのが残念(私は図書館で借りた)。
Amazonの商品紹介にもあるように「初めて沖縄に行く人のための基本的な情報、その歴史や文化、そして観光名所の解説はありません」。
著者自身も「めんどくさい、読みづらい」(序章)「役に立たない」「めんどくさい」本(巻末謝辞)と書いている。
実際、悪く言えば同じところをグルグルと回ってどこにも行けていないような、そういう逡巡というか手探りというか、そういう印象の本である。
だから、これまで沖縄とご縁がなかった人が読むと何がなんだか分からないままに終るだろう。
が、それなりに沖縄との接点を持っている人にとっては、歯切れの悪さを感じつつも、十分に「後味の残る」本であると思う。
特に終盤の「ほんとうの沖縄、ふつうの沖縄」「ねじれと分断」の2章はよい。そして最終的には、沖縄について(あるいは「内地」について)語ることを通して、「社会とは何なのか」という興味深い問いが現れてくる。
個人的には、もう10年以上も前の話だけど、同じように沖縄に「ハマった」仲間の1人が、「那覇もずいぶん変わった」と言うのを耳にして、「オレもあんたもたかだか10年前くらいからしか知らないのに『変わった』とかいうのは笑止」と感じたことを思い出した。もちろん、その短い間にも確かに変化は生じていたので、彼が口にした「変わった」は事実ではあったのだけど。
荒井由実~松任谷由実のデビュー(『ひこうき雲』1973年)から『DAWN PURPLE』(1991年)までのアルバム(すべてではない)を時系列を追って社会学的に読み解くという構え。なぜ1991年のアルバムまでかというと著者がニューアルバムを追いかけていた時期がそこまでだったから、という個人的な理由だし、かの『負け犬の遠吠え』に引き寄せるという意味で我田引水的な解釈も目立つような気がします。
歌の受け止め方なんて人それぞれなのだから、それをこうやって時代背景に合わせて解釈していこうとするとどうしても類型的になってしまって、そこからこぼれ落ちる要素が山ほどあるのは、ある程度、必然なのでしょう。
とはいえ、面白かったです。
私が高校~大学の頃は、その頃創刊された「Men’s Non-no」やその少し前からあった「HOT DOG PRESS」といった男の子向けファッション雑誌で、ユーミンの歌で知る女の子の心理、みたいな特集が何度か組まれていたような気がします(なんで知っているのだろう、という気もしますが)。
ちなみに、本書で取り上げられているアルバムのうち、多少なりとも覚えがあるのは『Delight Slight Light Kiss』(1988年)まで。といっても、「あ~新しいアルバムが話題になっているなぁ」と思ったくらいで、ちゃんと聴いてはいない。『LOVE WARS』(1989年)に収録されている「Anniversary」という曲は知っているけど、たぶん後に出たベスト盤で聴いているのでしょう。
その後の曲はたぶんほとんど知らないんじゃないかな。つまり、私にとっては「昭和」と共に終っている感じ。といっても、彼女の曲をちゃんと聴くようになったのは、むしろその後なんですが。
6作め、かな。
これまででいちばん地味な巻かもしれない。そして、冒険的な要素はもちろん残っているのだけど、シリーズ前半のワクワクドキドキ感は影を潜め、疑心暗鬼と陰のある過去が前面に出てくる。
前々作(炎のゴブレット)から、どうもDumbledore先生の見込み違いというか、この人はそこまで偉大な魔法使いなのだろうか、という疑問が頭を離れない。次の最終巻で「そうか、そういう伏線だったのか」という展開になってほしいものだが……。どうもやはり魔法使いとしてはGandalfの方が偉かったような気がする……って比べるものではないが。
引き続き最終巻へ、と言いたいところだが、他に読むべきものが溜ってしまっているので、それらを優先。
『英国諜報員アシェンデン』に続き、モームを読む。これも大学時代の友人による紹介なのだけど、訳者が大学の一般教養課程の時に英語の授業でお世話になった人なので、気になった。教材はチェスタトンの随筆集『棒大なる針小(Tremendous Trifles)』だったはず。お世話になったといっても、もちろん私はあまり講義には出席していなかったはずだが(笑)
会社の後輩の披露宴に出席したらこの先生が仲人だったので挨拶したのだが、もちろん教養課程だけで英文科に進んだわけでもない不良学生のことなど覚えていらっしゃるはずもない。
それはさておき。
著名な作家(故人)の伝記を執筆することになった知人から、たまたまその文豪の前半生に付き合いのあった主人公が、あまり知られていない当時のエピソードを教えてくれと頼まれ、気が進まないながらもいろいろ思いだしているうちに、文豪本人ではなく、その傍らにいた女性のことを鮮やかに思い出す、という構図。
ストーリーそのものもなかなか面白いのだけど、知人と主人公のあいだの、けっこう皮肉(嫌味とまでは言わない)に満ちた会話が良い(主人公はその知人のことをあまり好んでいないが、世渡り上手の知人は、主人公とも良い関係にあると思っている。が、皮肉を言われていることはよく分かっていて受け流す、やや軽薄だが愚劣ではない、それなりに出来た人物)。
最後の回想エピソードの手前、リアルタイムの本筋としては最後の場面で、主人公の言葉に対する、文豪の未亡人の反応が味わい深い。
ぜひ読むべき名作というわけでは全然ないだろうけど、佳品。むろん、男性視点に偏っているきらいがあるのは時代ゆえの制約だろうが。
あ、翻訳はところどころ文句を付けたくなる部分があったけど、まぁこれも、昔の翻訳はこんなものだな。
これまた大学時代の友人が紹介していて気になった本。彼がこの本に出会った経緯が面白いのだけど、それはさておき。
実際、家の近所であれ、会社の近所であれ、私が訪れることのあるコンビニにも、必ずと言っていいほど日本出身らしからぬ店員がいる。あの人たちは、どういう経緯で、あそこで仕事をしているのか。そういう興味をちらりとでも抱いたことのある人は少なくないはず。
そういう切り口から、少子高齢化・人口減少、そして「2020」後に必然的に生じると思われる日本経済・社会の衰退といった問題へと視野を広げていく好著。
といっても、必ずしも暗澹たる未来を描いているわけではなく、希望のある、それも(今のままの政策ではダメなんだけど)それなりに現実味を感じられる希望のある道筋も提示されている。
本書のなかで「労働力を呼んだら、来たのは人間であった」というスイスの小説家の言葉が紹介されているのだけど、その「人間を呼ぶ」というのが、希望として見えてくる気がする。
シリーズ最長なのかな。先週は家人が病を得て一緒にラグビーの録画を観戦する時間が減ったので、その分、読書の時間が増え、無事に読了。
教訓としては、何かを渡されたら、早めに開封してメッセージを読んでおくべし。
筋とは関係のないところで思ったこと(関係ないといっても、この巻ではそういう場面がたっぷり描写される)。
このシリーズでの魔法って、基本的に「杖(wand)で対象を狙って(point)、呪文を唱える」という作法。そうするとビームが出て(魔法によって色が違う)、相手に当たれば魔法が効く。だから、身体の動きや障害物で相手のビームを躱せば、無事。
ということは、魔法学校では、Defense against the Dark Artsの面でもっと「体育」に力を入れて、跳んだり跳ねたりの能力を磨いておいた方がいいのではないか、と。あと、相手のwandを奪ってしまえばけっこう無力化できそうだから、接近して肉弾戦を挑むのも有効ではないか。
なんてね。
シリーズはあと2巻。こうなると勢いで完走してしまいそう。
何かのキッカケで目に留まり、図書館で借りて読んでみた。12年前の本なのに、昨今の事例を見聞きすると、あんまり改善されていないのかなぁと暗澹たる気持ちになる。
この本で取り上げられる事例は、そのまま刑法犯に問うことができるくらい酷いものが多くて、さすがに自分には思い当たる節はない(あったら大変)。
でも、たとえば容姿に関することとかプライバシーに踏み込む話とか、ひどければ性的な含意のある話とか、セクハラとしてカウントされる言動だったら、自分でもやってしまったことがあるはず。
ただ、この本の事例に共通する「仕事上の権力関係をバックに」というのは、ないな。遊びに誘うことはあったけど、「仕事の話がある」などと呼び出すことは絶対にない(笑)(そもそもそんなに職場において権力があるわけではない……いやあるんだけど、本来の意味でも使う気がない)