2018年に読んだ本」タグアーカイブ

本多一夫・徳永京子『演劇の街をつくった男 本多一夫と下北沢』(ぴあ)

泣ける。

いや、世間一般には「泣ける」本ではないはずだが、個人的に泣ける。

俳優への道を諦めて飲食店業に転じた後、下北沢の街に本多劇場、ザ・スズナリを頂点にいくつもの劇場を作ってきた本多一夫の一代記なのだが、ちょうど私自身が芝居にハマっていった時期と重なるだけに、しみじみと思い出深い。特に野田秀樹が世話になったという「学生課の金城さん」とか「カレー屋のおかみさん」(グリム館のことであるはず)とかはよく覚えているしなぁ。金城さんは顔までパッと浮かぶのだけど、姓からすると沖縄に縁のある人だったのかなぁ。

本書で何度も言及される「演劇すごろく」(あるいは「劇場すごろく」)、自分も最初の1コマまでは歩を進めたのだなぁ(OFFOFFシアターでは公演した)。まぁ別に「上にあがろう」というほどの意識はなかったような気がするが。

本多一夫という人物は下北沢という街の発展(というか成熟)に大きく貢献していると思うのだけど、必ずしも地元の人がみな彼を評価しているわけではない、という点にしっかり触れられているところも面白い。

本書が残念な点があるとすれば、昨今の下北沢再開発への言及(本多一夫がそれをどう見ているのか)が不足していることか。

いずれにせよ、やっぱりまた芝居を観に行きたくなる。この本で証言者として登場する有名どころの舞台も、実は一度もご縁がなくて観ていない人もいるし(加藤健一事務所とか)。もっと小さいところでは、今も芝居を続けている仲間の公演も、次に案内が来たら顔を出してみようかという気になっているのだが、そういえばしばらくDMが来ないけど、もう見捨てられてしまったかな?

こういう本をどこの出版社が出すのだろうと思って奥付を見たら、そうか、ぴあか。そうだよな。

内田樹・編『人口減少社会の未来学』(文春e-book)

少し前に読了。

ふむふむと読ませておきながら、突然暴論に走ってしまう執筆者が何人か目についたけど、いろいろな角度から人口減少の問題を分析していて、それなりに面白かった。ブレイディみかこ「縮小社会は楽しくなんかない」、高橋博之「都市と地方をかきまぜ、『関係人口』を創出する」がよかったかな。あと、平川克美「人口減少がもたらすモラル大転換の時代」も、彼の文章は前から読んでいるので似たような趣旨の繰り返しではあるのだけど、読むたびにしみじみと訴えかけてくるものがある。

エディー・ジョーンズ『強くなりたいきみへ~ラグビー元日本代表ヘッドコーチ エディー・ジョーンズのメッセージ (世の中への扉) 』(講談社)

知人が「ラグビー好きで早熟な読書家の小4男子に、何かラグビーの本を紹介してあげたいんですけど、オススメはありますか?」と尋ねていて、いま彼が読んでいるのはエディーさんの本だという。たぶんこれだろうと思い、ちょいと読んでみた。

恐らく小学校高学年~くらいを対象にした本だと思うが、大人が読んでもけっこう興味深い(特にラグビーファンであれば)。「君も、夢がかなわなくても、あんまり落ち込まなくていいんですよ」という一節にはけっこう心を動かされる大人もいるのではないか(これ自体が、エディーさん20代後半の頃のエピソードとの関連で書かれているし)。

 

安田浩一『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』(光文社新書、kindle版)

このところ話題になっている移民/外国人労働者受け入れというテーマで、先に紹介した『コンビニ外国人』もとても興味深いのだけど、そういえば、以前からわりと信頼しているジャーナリストであるこの著者がだいぶ前に書いていたよなぁと、この本を電子書籍で入手。

読み始めたら、「あれ、これ読んだことある」……(笑) 2014年に読書記録をこのブログに切り替える前に使っていた「読書メーター」の方に記録していた。読んだのは2012年。

ともあれ、再読。昨今報道で目にする「残業代時給300円」とか「パスポート、通帳強制預かり」とか、そういう奴隷労働的な実態については、すでにこの本の時点で詳細に報告されている……すると、この本の刊行当時から、状況はほとんど何も改善されていないということになる。ひょっとしたら、その後、研修生の出身国が中国から他のアジア諸国へとシフトしているという変化はあるのかもしれないが。

いずれにせよ、奴隷労働、人身売買という言葉がふさわしい実態がこの国にあることを、手に取りやすい新書/電子書籍という形ですでに8年前に世に問うているという点で、高く評価されるべき本だと思う。

なお、本書後半の日系ブラジル人労働者の「デカセギ」については、少し様相が異なる。むろん、彼らが景気変動に対応するための調整弁として使い捨てやすい低賃金労働者として利用されているという問題は深刻なのだが、それでもリーマンショック前の(相対的には)「良かった時代」や、限定的ながら生まれつつある「共生」の兆し、それにかの地に根付いている日系人文化など、ポジティブな要素も見られるからだ(このあたり、著者はやや情緒的に描いているような気もするが)。

というわけで、最近の「外国人材受け入れ」なる論議の前提として基本的な現実を知っておくという意味で、よい本だと思う。憂鬱になること必至だが。

 

鈴木道彦『余白の声~文学・サルトル・在日 鈴木道彦講演集』(閏月社)

先日の『プルーストを読む』に続いて、Amazonで目についた同じ著者の本。Amazonの「内容紹介」にもある「『なぜフランス文学の泰斗が、在日問題を?』との疑問」を感じて、図書館で借りてみた。

「講演集」という副題を見落としており、最初はけっこう身構えていたのだけど、柔らかい語り口で読み進められる。ただし内容は濃い。思想の流行り廃りの激しい日本ではサルトルなんて今どき読まれないけど、という前置きから「アンガージュマン」のあり方を探っていく感じ。著者の在日韓国・朝鮮人への関心も、そこから深まっていく。

いわゆる嫌韓的な感情については、わりと身近なところでも目にして、そのたびに苦々しい思いを味わっているのだけど、結局のところ、植民地主義から「解放」されていない日本人というのはけっこう残っているのだろうなぁ、と思う。例の徴用工判決あたりで噴き上がっている連中を見ると、ああ、この人たちはまだ植民地根性に支配されているのだな、と思う。

読みやすい本だったけど、消化するのはなかなか時間がかかりそう。小松川事件や金嬉老事件あたりも気になる。『越境の時』も買ってしまった。

 

 

 

 

ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『たったひとつの冴えたやりかた』(浅倉久志・訳、ハヤカワ文庫SF)

図書館で借りた版は、表紙や本文内に川原由美子のイラストが使われていたのだけど、どうも現行版では変わっているようだ。Amazonの画像で見る限り、こちらも悪くはなさそうだが。

さて、洒落たタイトルと上記のような装幀の印象から軽いタッチなのかと思っていたが、内容的には思ったより本格的なSFだった(※)。図書館の司書が利用者に対して「こんなのはどう?」とノンフィクションを3つ提案する、という設定による連作3篇。冒頭の表題作での、脳内に寄生・共生するエイリアンという設定が先日読んだ『地球の長い午後』と重なるのが奇妙な符合。最後の1篇は異言語コミュニケーションという主題もあって、翻訳屋としては面白い。真ん中の1篇も、解釈の幅を許す終わり方で良かった。

これはけっこうお勧めです。

※ といっても、文体はけっこう柔らかいので、イラストも結局のところよくフィットしていた。

 

 

鴻上尚史『ロンドン・デイズ』(小学館文庫)

私事ではあるが(ってここに書いていることはほとんどすべて私事だが)、家人は小学生の頃アメリカで過ごした時期があって、教育が日本語で行われていれば同等かそれ以上に優秀な生徒であっただろうに、現地校では単に英語ができないというだけの理由で、周囲の生徒たちに「ちっちゃな子ども」としてミソッカス扱いされた悲しい経験があるという。まぁ、子どもの目から見れば言語の壁なんて分からないのだから、「ちゃんと言葉を喋れない」というのは「自分たちより幼い」と同義であると考えてしまうのも無理はないのだが。

この本は、演出家・劇作家の鴻上さんがロンドンの名門演劇学校に「1年生」として飛び込んで、かの地で蓄積された演劇訓練の体系を学んでくる体験記…なのだけど、言葉の壁に苦労するという意味で、英語学習奮闘記としての側面がかなり大きく、そして面白い。状況としては上記の家人に近いものがあるのだが(それどころか、何しろこちらは母国では大成功を収めた人気劇団の主宰であり、イギリスでの公演も成功させているのだ)、幼い子どもであった家人とは違って、自覚して飛び込んだ大人なので、自分自身と周囲の状況に対する観察は徹底している。それも英語とそれ以外(著者自身の日本語や、ロシア語やイタリア語)という軸だけでなく、英語内部の多様性にも言及されていて、そこからイギリスの階級社会・文化にまで話が深まるところが良い。

当然ながら最後には「別れ」が来ることは予想できるので、読んでいるうちにだんだん切なくなってくる。この人が書くものは(「ごあいさつ」もそうだけど)たとえフィクションでなくても良質のフィクションのように心を揺さぶる。

あ、もちろん本題のもう一つの側面である演劇訓練の方もとても面白かった。私は大学~社会人の初期に零細劇団でいろいろやっていたけど、既存の劇団に「新入生」として入ったわけではないので、公演に至る前段階としての基礎訓練みたいなのってほとんどまったく経験がない(常に、具体的な公演に向けた準備でしかない)ので、そうかぁ、こういうことをやるのねぇ、という感じ(まぁ話には聞いたことがあるけど、というくらい)。

 

 

 

チェーホフ『かもめ』(訳・浦雅春、岩波文庫)

先月、無名塾による上演を観たのを機に、同公演で採用された訳で読んでみた。むろん内容については、最近舞台で観たばかりなのでそのときの感銘が再現されるだけで、改めてということは特にないのだけど、訳者による解説が情報量豊富で「なるほど」と思わせるところが多く、たいへん面白かった(少しばかり、決まった見方を押しつけるような雰囲気がなくもないが、それは何というか、大学の講義のような感じなのかもしれない)。

編集面で二点、注文を付けたい。

巻末に訳注がまとめられているのだが、これを参照しながら読み進めるために訳注の最初に栞を挟んでおくと(ということを私はよくやるのだが)、向かいのページにある終幕の台詞が目に入ってしまう。まぁ非常に有名な作品でもあるし、その「結末」がどこまで重要かと言えなくもないのだが、とはいえ何かしら配慮があったほうがいいのではないか。もちろん私個人には実害はなかったのだが、初読(舞台も未見)の人は、とりあえず注は気にせずに読み進めた方がいいかもしれない。

第2幕最初の方(本書p49)のアルカージナの台詞にある「コム・イル・フォー( comme il faut かな?)は訳注をつけた方がいいような気がする。直後に「つまりきちんとしているわけ」と本人が言っているので意味は伝わるけど、第4幕のソーリンの台詞「ロム・キ・ア・ヴリュ( L’homme qui a voulu )」に訳注が付いていることを思えば、バランス的に…。

安斎育郎『原発事故の理科・社会』(新日本出版社)

事故の翌年に出版されたもの。だいぶ前に読みたい本候補に入れてあったのだけど、何かのキッカケでふと思い出して、読んでみた。さすがに今となっては、特に何か新しい知見が得られるというわけではなかったけど、良くまとまっている感じ。63ページ。すぐ読めます。

この著者をいわゆる「御用学者」扱いする向きもあったようだけど、しかしまぁ、この出版社から出しているんだからねぇ……。