チェーホフ『かもめ』(訳・浦雅春、岩波文庫)

先月、無名塾による上演を観たのを機に、同公演で採用された訳で読んでみた。むろん内容については、最近舞台で観たばかりなのでそのときの感銘が再現されるだけで、改めてということは特にないのだけど、訳者による解説が情報量豊富で「なるほど」と思わせるところが多く、たいへん面白かった(少しばかり、決まった見方を押しつけるような雰囲気がなくもないが、それは何というか、大学の講義のような感じなのかもしれない)。

編集面で二点、注文を付けたい。

巻末に訳注がまとめられているのだが、これを参照しながら読み進めるために訳注の最初に栞を挟んでおくと(ということを私はよくやるのだが)、向かいのページにある終幕の台詞が目に入ってしまう。まぁ非常に有名な作品でもあるし、その「結末」がどこまで重要かと言えなくもないのだが、とはいえ何かしら配慮があったほうがいいのではないか。もちろん私個人には実害はなかったのだが、初読(舞台も未見)の人は、とりあえず注は気にせずに読み進めた方がいいかもしれない。

第2幕最初の方(本書p49)のアルカージナの台詞にある「コム・イル・フォー( comme il faut かな?)は訳注をつけた方がいいような気がする。直後に「つまりきちんとしているわけ」と本人が言っているので意味は伝わるけど、第4幕のソーリンの台詞「ロム・キ・ア・ヴリュ( L’homme qui a voulu )」に訳注が付いていることを思えば、バランス的に…。

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