冒頭で触れられている「宇都宮病院事件」については、大学の頃、一部の学友が問題意識を持って取り組んでいたことを思い出す。
文章は今ひとつ気に入らないのだが、内容は示唆に富んでいる。
果たして、日本は先進国と呼ばれるに値する国なのか。industrialized country ではあるだろうけど、developed countryなのか。どうも違う気がする。
冒頭で触れられている「宇都宮病院事件」については、大学の頃、一部の学友が問題意識を持って取り組んでいたことを思い出す。
文章は今ひとつ気に入らないのだが、内容は示唆に富んでいる。
果たして、日本は先進国と呼ばれるに値する国なのか。industrialized country ではあるだろうけど、developed countryなのか。どうも違う気がする。
たとえば私が住む東京ならどうか。横田基地などがあるとはいえ、人口比で言えば、もっと在日米軍基地があってもいいはずだ。広い土地はなかなかないが、都心部でいえば皇居くらいか。普天間飛行場代替にするには滑走路の長さが確保できないが、ヘリパッドくらいなら作れるだろう。
東京に次ぐ人口ということなら大阪だろうし、大阪には米軍基地はないらしいから適切だと思うのだが、残念ながら大阪のどのあたりにどれくらいの土地があるのかはよく知らない。
もちろん、土地がなければ「確保」すればいいのだが。
……というような、県外移設論に対する実効的な反論というのは、私にはまったく思いつかないのである。反戦平和的な立場からの県外移設反対論はやっかいだが、これについては本書で丁寧な反論が試みられている。
Amazon.co.jp: 沖縄の米軍基地 「県外移設」を考える (集英社新書) 電子書籍: 高橋哲哉: Kindleストア.
「文庫になったら買おう」と思っていたのだけど、先日駅前の本屋を覗いたら文庫が出ていたので、リオも終わったことだし、つい購入(しかしこれもkindleあったのか)。
「日本にはいまこの夢の力が必要だ」という五輪招致のときのコピーに関連して、国家は国民がみな「一つの夢」を見ることを願う、皆がそれぞれバラバラの夢を見ることは国家にとっては迷惑なのである、という指摘は的確だと思った。なんか「戦後復帰もまもない頃はみんなおんなじ夢を見た。夢はいろいろある方がいい。夢の数だけ(略」という歌詞を思い出すね。
「アスリート、それもマイナー競技の選手にとっては、オリンピックが来るのと来ないのでは大違い」と、彼らがオリンピック招致を待望し開催に歓喜することに対して共感と理解を示しているところは、さすがに押さえるところを押さえているという印象。
それにしても、どうするのかねぇ、東京オリンピック。まぁ、やることはやるんだろうけどさ。
この著者の農業関連(?)本が気になって検索していたのだけど、以前図書館で借りて読んだ本書がkindleになっていたので、つい。
さらに、図書館でこれの続編(?)の「ぎこぎこ自転車」も借りてしまった。この続編の方のエピソードなのだけど、60kmの予定で綿密なサイクリング計画を立てたのに、お昼にうなぎ屋でお酒を飲んでしまって20kmで中止、みたいな、全編そんな感じで楽しい。
これも広い意味では……いやいや広い意味だろうが狭い意味だろうが、間違いなく「たたかい」の書ではあるのだけど、それ以上に、「あ~高江行ってみたい」と思わせる雰囲気だった。観光? いやいや。でも、エコツーリズムとか、観光の行先になりうるポテンシャルを持った土地でもあるんだよな。それなのに……と思う。
「琉球独立」がテーマになってはいるが、その底層には、民族とは何か、国家とは何か、主権とは何か、という問いが流れているように思う。
台湾、スコットランド、太平洋島嶼諸国、アフリカ諸国(これは独立後に困難に直面している例として)など、国際的なさまざまな事例に触れているのも興味深い。
しかしまぁ、出自としては琉球民族ではない自分にとってこの本が問いかけてくることは、「で、日本は独立するの? しないの?」ということなのである。
たとえ本格的な戦闘が終結して、軍が撤退したとしても、兵士たちが帰国した、その郷里において戦争は延々と続いていく。
これはアメリカ国内の話だからこうやって立派な本になるけれど、実際に戦場になった国(アフガニスタンやイラク)の内情がここまで報じられることがないだろうとも思う。
それにしても、「リスクが高い」と判断される帰還兵を、たとえば酒や麻薬から遠ざけようとする試みはあるみたいなんだけど、「銃」には簡単にアクセスできてしまうのだなぁ、というところに、強い違和感。
そして、これはまぁ直接的にどうこうという話ではないのだけど、この本には帰還兵、その家族や知人、上官などいろいろな人が登場するのだけど、彼ら・彼女らが「本を読む」場面というのは一回も出てこない。唯一あるのは、聖書だけ。いろいろ考えさせられる。
帰還兵はなぜ自殺するのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ) | デイヴィッド・フィンケル, 古屋 美登里 | 本 | Amazon.co.jp.
先日読んだ『沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか』で触れられていて、興味を持った本。図書館で借りた。
唄三線も泡盛も青い海もチャンプルーも出てこない、沖縄。
これを読むと、「沖縄は日本である」という考えがいかに安易なものか分かる。
それはさておき、全般的な状況に対する憤りがある一方で、こういう記憶そのもの、そしてこういう記憶が記録されたこと自体に対して、何か愛おしさのような感情が湧いてくる。
つい先日も、この人の別の著書について、単に「読んだ」ことをここに記録するだけで、何の感想も記さなかった。
何の印象もなかったわけでも、理解できなかったわけでも、ない。ただ何となく、感想が書きにくい本を書く人なのである。
この本は「現代詩を読むこと」を中心的なテーマ(全体の3分の2くらいかな)にしているが、私のように現代詩を(というか、そもそも詩というものを)読む習慣がない者にとっても、とても面白く読める本である。
ふと、中学3年の頃、実際には観ても読んでもいない芸術作品に関する評論集を、背伸びして面白がって読んでいたことを思い出した(大岡信『肉眼の思想』)。当時、私が通っていたのは地域でも名うての「荒れる中学」で、授業などろくに成立していなかったので、トイレの個室に籠って読んでいたのである。
というようなことは、特にこの本には関係がない。
現代詩以外の場面(たとえばTwitterとか)における「言葉」に触れた章も、もちろん、面白い。というか、そういう章の方がとっつきやすいかもしれない。
安田浩一の本だからどうせ面白いだろう、私が納得するような結論になるのだろう、と甘く見て(?)いたのだけど、予想を超えて凄い本だった。
沖縄の新聞は本当に「偏向」している、というのが本書の結論……と書いたら誤解を招くだろうか。
何しろ、当の「沖縄の新聞」の一つ、沖縄タイムスの記者は、著者の取材に対して、
「沖縄の新聞は偏向しているのかと問われれば、偏向してますと大声で答えたいです。」(本書108頁)
と答えている。
しかし、その「偏向」は、本書のタイトルがそうなっているように、カギカッコ付きの「偏向」なのだ。その文脈において、「偏向」の反対は「公正中立」ではない。
現在の沖縄2紙に対抗して創刊された保守系の新聞の話なども興味深い(その刊行に携わった中心人物がいま何をやっているのか、は非常に印象的)。