読んだ本」カテゴリーアーカイブ

涌井良幸、涌井貞美『中学数学でわかる統計の授業』(日本実業出版社 )

翻訳をやっていると、自然科学分野でなくてもときどき補足的な説明として統計用語が出てきて(この調査は……を用い、信頼区間はxxである、みたいな)、「これ的確に訳せているのかな」と不安に思うことがある。高校ではいちおう文系選択だったので、当時の教育課程では3年次の理系科目だった「確率・統計」を履修していないのである(物理は理系クラスに混じって履修していたのだけど)。

というわけで、何となく手にした、この本。

読書の目的は達したけど、満足感はない。分かったようなふりをして、間違いのない表現をすることは、これでたぶんできるようになった。恐らく、Excelとかを使って実務的にデータ処理をするにも、この程度の知識で十分なのかもしれない。

でも、表題にある「中学数学でわかる」というのは、要するに「なぜそうなるのか」という証明や導出過程は全部スッ飛ばして、「これはこういう性質なのだと覚えておいてください」「これはコンピューターで簡単に求められます」で済ませてしまう、という意味である。

というわけで、少しも面白くないのであった。まぁこういうタイトルの本に知的満足を求めちゃダメだというだけの話なのだけど。

 

吉田伸夫『光の場、電子の海―量子場理論への道』(新潮選書)

この著者の本は『素粒子論はなぜわかりにくいのか』『量子論はなぜわかりにくいのか』に続いて3冊目。

いちばん読みやすかったのが『素粒子論は……』で、「なぜわかりにくいのか」がよく分かった気がする。次に読んだ『量子論は……』は、「わかりにくい」ということだけはよく分かったが、それでもけっこう面白かった。

で、3冊目の本書は、分かりやすかったとはとても言えないのだけど、とても興味深いものだった。

陽子+中性子=原子核の周りを電子が飛び回っていて、内側の軌道から電子の数が2、8、8 … になっていて、みたいなモデルは、たぶん中学校くらいの理科で習ったはず。

量子力学や場の量子論はそれよりはるかに難しい話なのだから、そういう理論が出てきたのは原子モデルよりずっと後なのかと思うと、実はそんなことはない。理論の方が先なのだ。へえ~(って当たり前かもしれないけど)。

私が多少なりとも馴染みのある哲学の世界だと「存在する」とはどういう意味か、なんて問題意識が必ず出てくるのだけど、こういう本を読んでいると、「『存在する』とは、ある理論によって可能な限り多くの事象が説明できる場合、その理論の意味において『存在する』ことである」みたいな循環的な定義に至りそう。

場の量子論(あるいは量子場の理論)の真髄は、大学院で「それ」専門の教育を受けた一握りの人間であってもきわめて難解とのことだけど、著者は、残された疑問を解明する「その先」の理論は、もはや人間の知性ではたどりつけないのではないか、という危惧(あるいは畏怖)さえ表明している。

それにしても、その後の流れにおいて否定された(そして本書のなかでもあまり積極的な評価を与えられていない)「電子の海」という概念がタイトルに使われているのは、やっぱり、ある種の印象(表象、あるいはイマジネーション)を喚起する力が強いからなのかな。

 

ヨハン・ガルトゥング『日本人のための平和論』(ダイヤモンド社)

提示されているビジョンとしては、ほとんど全面的にと言っていいほど同意するのだけど、扱うテーマを広げすぎたのか、あまりにも茫漠とした、「困難ではあるが不可能ではないビジョン」に留まっていて、やや具体性が欠ける嫌いがある。この本に書かれていることだけを材料にして、別の立場をとっている人(たとえば消極的な安倍政権支持者)を説得することは難しいのではないか。

その意味で、安全保障関係のいくつかの文献や、この著者の『構造的暴力と平和』(名著!)をすでに読んできた私にとっては、ちょっと物足りない感がある。良い本だとは思うのだけど。

ちなみに、鳩山由紀夫に対する評価については全面的に同意。

 

井上ひさし『父と暮らせば』(新潮文庫)

だいぶ前、友人が出演する舞台で観たことのある作品だけど、戯曲として読んだことはなかった。時期的に、借りてみる。

名作。

作者自身によるものも含め、解説が2本付いているが、読まない方がいいかも。いや、悪くないのだけど、作者のいう「劇場の機知」が丁寧に解説されているあまり、逆に作品本体の印象が整理されすぎるような気がする。作者自身、解説の末尾で「自作を解説するぐらいバカバカしい仕事はないのですが、劇を書く者が、日頃、なにを考えているのかを知っていただくことも一興と思い、手前味噌を書き並べました。お許しください」と書いている。まぁ確かに面白い解説ではあるのだけど。

 

清義明『サッカーと愛国』(イースト・プレス)

大雑把に言えば、なぜサッカースタジアムはレイシズムや排外主義の舞台になりがちなのか、という問題意識の本。

図書館で借りて急いで読んだので、再読の要あり、という感じだが、印象に残った点をいくつか。

対戦するチームのサポーターどうしが酒を酌み交わすという状況は、ラグビーに限らず、サッカーでもあるのだな、ということ(もちろんスタジアムを離れれば、なのだろうけど)。

サッカーのスタジアムでは差別が顕著に現象化する一方で、だからこそ、サッカーのコミュニティには差別に特に敏感な人たちも存在するのだな、ということ(逆にラグビーなんかで差別的な言動があっても、意外に対応が遅いなんてこともありそう)。

中東あたりではサッカーが西欧的な文化として入ってきた分、サポーター文化が独裁や宗教的な締め付けに対するリベラリズムを代弁する構図もあるのだな、ということ。

……という感じで、いろいろ面白い発見があった。

その一方で、敵・味方を峻別して「敵に対して一致団結して立ち向かう」というスポーツなのだから、排他的・対立的(もちろん盛り上げるための「演出」としての部分はあるにせよ)になるのは自然なことで、その意味で、政治性を帯びるのも無理はない、という理解のしかたは、どうなのかなぁと思う。そんなことを言ったら、球技をはじめとする団体競技はたいていそういう構図になっているはず、それなのに他の球技がそこまで排他的・対立的になっていないことが説明できないように思う。

チョムスキー他『人類の未来―AI、経済、民主主義』(NHK出版新書)

どのインタビューも面白かったし、前書きでインタビュアーが書いているように、インタビュイーによって、たとえば地球温暖化をめぐる見解が対立していて、しかも双方ともそれなりに説得力があるのが興味深いところ。

とはいえ、「人類の未来」と呼べるだけの内容になっているかというと、微妙かなぁ。インタビュイーが欧米だけというのは、あまりにも視野が狭いような気がする。人類の未来を左右するのは、良かれ悪しかれ、そこではないのではないか。

 

川島聡、他『合理的配慮 — 対話を開く,対話が拓く』(有斐閣)

都議選などの影響か、あっというまにオフトピックになってしまった木島対バニラエア事件ですが、あのときに誰かが(というのをちゃんと覚えておかないといけないのだけど)勧めていた本を読んでみました。

論文集なので一般向けとは言いがたい体裁ですが、別にシロウトが読んでも難解で困るというほどでもありません。そして、とても面白い! この本を読んだことによって、あの事件に関する自分の意見が特に変わるわけではありませんが、事件をめぐる背景や今後の展望なんかがよく見えてくる気がします。

そして、

相手に耳を傾けることの困難、相手の声を聞き取ることの困難にぶつかることで、私が「考えずに済んできた」事柄を学び、「考えずに済んできた」私の社会的位置を問わずにはいられないような契機が与えられる。
……
著者たちもまた、障害だけではなくさまざまな差異が承認される社会、特定の差異によって機会平等が毀損されることのない社会をより望ましいものとして想定している。(共に本書終章より)

といったあたりから分かるように、障害に留まらず、もっと幅広い問題まで含めた場合の考え方の枠組みとして参考になるような気がします。

伊藤邦武『物語 哲学の歴史 – 自分と世界を考えるために』(中公新書)

元ラグビー日本代表の平尾剛さんがTwitterで勧めていたので気になって読んでみた。

もちろん他の捉え方も多々ありうるのだろうけど、魂の哲学→意識の哲学→言語の哲学→生命の哲学、という流れで西洋哲学史を俯瞰するというのは、けっこう分かりやすい考え方だと思う。

いちおう大学で哲学を学んだ身ではあるけど、こういうものを今読むと、「どのへんが苦手なのか」が的確につかめるという意味で面白かった。要するに、18世紀~19世紀半ばまでと、20世紀の一部しか理解していないことがよく分かる(笑)

森博嗣『すべてがFになる』(講談社文庫)

ラグビー観戦仲間が気に入っている著者とのことで、ひとまず、デビュー作を読んでみた。

最初のうちは、登場人物の設定に違和感というか苛立ちのようなものを感じたり、やや猟奇的な匂いが気にくわなかったりもしたのだけど、さすがに途中からは惹きこまれる。『パラサイト・イヴ』では途中からウンザリしてきたのに比べて、こういうのは嬉しい。

というわけで、面白かった。終盤は、これを読み進めたいがために自転車通勤を諦めたり(=電車なら通勤中に読める)、金曜日に会社に置き忘れかけて「あと30頁くらいなのに週末を越せるか!」とわざわざ取りに戻ったり(笑)

といっても、不満は大いにある。「先生、その推理は無理があるでしょう!」「それって全然○○ぽくないでしょう!」……みたいな感じ。設定にもやや矛盾がある気がする。でも、それは要するに、読みながら「こういうことかな」とあれこれ推理をめぐらせていた、ということなので、ミステリとしては必ずしも悪い評価ではない。

問題は、他にも非常に多くの作品がある著者なので、次にどれに手をつけるのかが難しいところ。

松木武彦『縄文とケルト:辺境の比較考古学』(ちくま新書)

近所の書店で見かけて気になり、図書館で予約してみた。新刊書は予約待ちリストが長い場合があるのだけど、これ(2017年5月刊)はわりとすぐに借りられた。

面白かった。

この本を参考にイギリス(正確にはブリテン島)の古代遺跡を見て回る人を想定しているのか、「レンタカーを借りて回るのがベストだろう」とか「ここは是非立ち寄りたいところだ」みたいなガイドブック的要素があって、「行かねぇよ!」とか思うのだが、でも遺跡巡りマニアみたいな人はけっこうたくさんいるんだろうな(笑) 自分はそこまで没入することはないと思うのだけど、それでも、著者が遺跡を追ってクルマを走らせる、その過程の風景描写には心惹かれるものがある。

ちなみに、タイトルに「ケルト」とあるが、ブリテン島に関する記述のかなりの部分は、実際にはケルト以前、先ケルト~原ケルトと著者が呼ぶ時代についてである。

比較考古学ということで、ユーラシア大陸の東端と西端の辺境=日本とブリテン島を対比し、「ここまではほぼ一緒なのに、どうしてその後の展開はこうも変わってしまったのか」と考察する部分がこの本のハイライトなのだけど、そこはやはり理屈になってしまうので、そこに至るまでの、文字資料のない時代の遺跡を推測を交えつつゆるゆると辿る部分が楽しい。

地図がやや小さいのと、現代の都市名などが記載されていないので、Googleマップとか見ながら読むといっそう楽しいかも。