清義明『サッカーと愛国』(イースト・プレス)

大雑把に言えば、なぜサッカースタジアムはレイシズムや排外主義の舞台になりがちなのか、という問題意識の本。

図書館で借りて急いで読んだので、再読の要あり、という感じだが、印象に残った点をいくつか。

対戦するチームのサポーターどうしが酒を酌み交わすという状況は、ラグビーに限らず、サッカーでもあるのだな、ということ(もちろんスタジアムを離れれば、なのだろうけど)。

サッカーのスタジアムでは差別が顕著に現象化する一方で、だからこそ、サッカーのコミュニティには差別に特に敏感な人たちも存在するのだな、ということ(逆にラグビーなんかで差別的な言動があっても、意外に対応が遅いなんてこともありそう)。

中東あたりではサッカーが西欧的な文化として入ってきた分、サポーター文化が独裁や宗教的な締め付けに対するリベラリズムを代弁する構図もあるのだな、ということ。

……という感じで、いろいろ面白い発見があった。

その一方で、敵・味方を峻別して「敵に対して一致団結して立ち向かう」というスポーツなのだから、排他的・対立的(もちろん盛り上げるための「演出」としての部分はあるにせよ)になるのは自然なことで、その意味で、政治性を帯びるのも無理はない、という理解のしかたは、どうなのかなぁと思う。そんなことを言ったら、球技をはじめとする団体競技はたいていそういう構図になっているはず、それなのに他の球技がそこまで排他的・対立的になっていないことが説明できないように思う。

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