藤沢周平『たそがれ清兵衛』(新潮文庫・kindle版)

時代小説や剣豪モノは、それほど頻繁には読まないけれど嫌いではなくて、この読書ブログでも、新聞連載を機に読んだ葉室麟の三部作について投稿したし、中学生の頃から(一家で・笑)吉川英治『宮本武蔵』『鳴門秘帖』あたりは読んでいた。

もっとも『宮本武蔵』はあまりにも求道者というか、ストイックかつ暑苦しい印象を抱いてしまう面もある。

実は藤沢周平の作品を読むのはこれが初めてなのだけど、この人の作風なのか、特にこの短編集がそうなのか、主人公はそれぞれ凄腕の持ち主ではあるのだけど、そこが突出することなく、いわば爪を隠して平凡な生活に埋もれている感じが良い。もちろん、戦乱の余韻がまだ残る時代設定と、徳川の治世が続いて、むしろ行き詰まりの空気が漂う時代設定とでは、自ずから人物造形も変わってくるのだろうけど。

確か義母がこの作者については詳しいはずなので、お勧めを教えてもらおう。

 

 

安田浩一『なぜ市民は座り込むのか 基地の島・沖縄の実像、戦争の記憶』(朝日新聞出版)

かつて、一番多い年には年に5回も沖縄を訪れていたものだが、近年はすっかり行かなくなってしまった。フルマラソンを走らなくなったこと、コンクールを受験しなくなったこと、「飲み」の楽しみがわりと身近に充足されるようになったことが大きい。

もう一つ、自分にとってけっこう大きいのが、「恥ずかしくて行けない」という理由である。辺野古の新基地建設が始まってしまったからだ。旧態依然たる植民地支配を続けている国の人間であるという自覚があれば、のうのうとその土地に足を踏み入れることは躊躇せざるをえない。

しかしこの本を読んで、やはり、いずれ行かねば、という思いに駆られた。そしてもちろん、その折には辺野古を訪れるのだ(辺野古に限らないけど)。

日本社会が全身から発散している沖縄へ向けての差別と偏見が、真剣に闘っている者に対する嘲笑と冷笑が、それだけ行き渡っているということだ。(本書「あとがき」より)。

西村博之や堀江貴文、高須克弥といった下卑た薄笑いを絶やさない連中に象徴されるように、沖縄の問題に限らず、物事を真剣に考えない、それどころか真剣に考えること自体を嘲笑する風潮が、今のこの社会に広がっているように思う。「闘う君の歌を闘わない奴が笑うだろう」という歌詞そのままに。

 

 

木内昇『かたばみ』(角川書店)

新聞に連載されていて、けっこう毎日楽しみに読んでいたのだけど、夏に山の家で過ごすあいだは新聞購読を止めてしまう関係で、最終版の部分を読めていなかったはず。この8月に単行本が出て、kindle版も刊行されたので、改めて読んでみる。

たいして話題にはならなかっただろうし、今後もそれは変わらないだろうけど、なかなかの佳作。新聞小説の王道というか、読ませ、泣かせる。人物の設定も優れているし、けっこう重要な要素である「野球」の扱いもよい。太平洋戦争中~戦後の東京郊外で暮らす市井の人たちの話なのだけど、あれこれ美談を語る人はいるとしても、結局のところ、戦争で良いことなんて一つもなかったのだよなぁと思わざるをえない。

ところで私は著者の名前を「きうちのぼる」と読んで、男性だとばかり思っていた。正しくは「きうちのぼり」と読み、女性である。

橋本洋介『日本語の謎を解く』(新潮選書)

先に読んだ『もっともわかりやすいラグビー戦術ガイド』から、この本へと流れるというのが、私の乱れに乱れた読書傾向を象徴するところ(笑)

で、本来は「蹴る」の活用は…みたいな疑問から日本語文法が気になり、何となく面白そうだった本書を手に取る。「ら抜き表現」はよく話題になるテーマなので扱われているだろうし、と。

著者が教える高校の生徒から日本語をめぐる疑問を集めて、それに答えるという構成。したがって、体系的に日本語文法を把握するという話にはならないのはやむをえないところ。

とはいえ、個々のトピックはほぼすべてが面白い。特に印象に残ったのは、日本語では本来色を表す言葉は「白、黒、赤、青」しかなかった、という話かな。

「ら抜き表現」も含めて、言葉の変化/進化について概ね肯定的に論じているのが好印象。それと、やはり(著者の言語研究の出発点でもあるらしい)中国語というのは面白そうだなぁ。

平尾剛『スポーツ3.0』(ミシマ社)

「根性(レジリエンス)と科学(サイエンス)の融合が新時代を開く」という帯文がとても刺激的(まぁそれが無くてもこの著者の本は買うと思うのだが)。

ウェブメディアでの連載をまとめた書籍のようなので、ややまとまりというか流れに欠ける印象はある。東京オリンピックをめぐる考察は(趣旨そのものにはほぼ完全に同意するものの)、ちょっと浮いているように思う(パラリンピックに関する考察は非常によかったが)。

とはいえ、著者の考察じたいはとにかくとても面白く考えさせられるので、通読ではないにせよ再読必至の項がいくつもある。

「根性」については、フルマラソンを走っていた頃の思いをベースに、私もいろいろ考えるところはあるのだが、それは本書の感想には収まらないので、また改めて。

井上正幸『もっともわかりやすいラグビーの戦術入門ガイド』(カンゼン)

ワールドカップ期間中に読了。

同じ著者の前々著(かな?)『これまでになかった ラグビー戦術の教科書』は購入済みで、ちょっとまとまりに欠ける印象を受けたので、新著が出たとのことで手を出してみた。

う~ん、前々著よりは分かりやすくなっているけど、それでも今ひとつ。かなりラグビーを観ている人でないと、いきなり知らない概念が出てきたりして戸惑うのではないか。言葉遣いで気になる点(※)や誤変換が残っている(脅威とあるべきところが驚異になっていたり)ことも含めて、校正が甘いというか、編集者はいったい何をやっているのだ、と…。

で、やはりこういう内容は動画で観る方が優るような気がする。著者が林大成(セブンズ日本代表)と一緒にやっているYouTubeチャンネル「らぐびーくえすと」が優れている。

※ 言葉遣いというか文法なのだが、キックを「蹴る」の可能形が「蹴られる」になっているのがどうにも気になった。「蹴られる」は受け身である(尊敬や自発はあまりないだろう)。いわゆる「ら抜き表現」はダメ、という意識があるのかもしれないが、「蹴る」は「蹴れる」でよいはず。しかし理屈で説明しろと言われるとあまり自信がないので、現代日本語の文法も少し勉強してみたいなぁという気になったのが、思わぬ収穫。

 

 

唐沢孝一『都会の鳥の生態学-カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰』(中公新書)

近所の緑道で何年か前からオオタカが営巣するようになり、バードウォッチャーが集まるようになったこと。今春、恐らく近所の公園でカラスのつがいが営巣し(ワイヤーハンガーを咥えて飛ぶ姿も見た)、子育てをしている様子が窺えたこと。

そんなことが誘因になって、身近な野鳥に関心が向き、この記事で紹介されていた本書を読むことになった。

いや、実に面白い。上記のような事情があるので、カラスの章と猛禽類の章が特に興味深かったのだけど、もちろん、それ以外の章も。超高層ビルの存在が、都心にハヤブサの生息環境を生み出しているというのが、特に印象に残った(ハヤブサを目撃した経験はないのだけど)。

生態学というのは社会学なのだろうなぁ。

見坊行徳・三省堂編修所『三省堂国語辞典から消えたことば辞典』(三省堂)

話題になっていた本。頭から通読するというよりは、拾い読みでいいかもしれない。時代もジャンルも、あるいはメディアの種類も、かなり雑食で摂取している方だと自覚しているが、それでもさすがに見たことも聞いたこともないような単語も、中にはある。

 

寺尾紗穂 『日本人が移民だった頃』(河出書房新社)

基本的に、戦前にパラオに移民した日本人の「その後」を追ったドキュメンタリー。帰国して国内の他地域に改めて「入植」した人もいれば、国内に居所を見つけられず、改めて南米(本書ではパラグアイ)に移住した人もいる。いずれも苦労を重ねている印象が強いが、どこか、郷里や母国を離れた、ある意味で根無し草であってもしっかりと人生を続けていく人たちの、たくましさと言ってしまうとあまりにも陳腐に思えるような強靱さを感じる。

これから「移民」を受け入れていかなければ回っていかないであろう日本社会についての言及・考察は、期待していた分、やや物足りないのだけど、それを補って余りある「厚み」のある労作。

 

カル・フリン『人間がいなくなった後の自然』(木高恵子・訳、草思社)

産業の衰退や戦禍、事故などの理由で「人間がいなくなった」地域で自然がどのようによみがえっているか(あるいは、よみがえっていないか)、という視点での大部なルポルタージュ。

自然はあっけないほど易々と回復していくものだな、という希望もあれば、人間はここまで取り返しのつかない打撃を与えてしまっているのか、という絶望もある。どちらかといえば…希望の方が大きいかもしれない。

農業が放棄された土地における二酸化炭素吸収量の大きさといった話は、春から夏にかけてオママゴト程度の農作業にいそしんでいる我々としては、実に興味深い。確かに、我々が活動している小さな畑に隣接するエリアの雑草(?)のものすごい繁殖力ときたら…。