安田浩一『なぜ市民は座り込むのか 基地の島・沖縄の実像、戦争の記憶』(朝日新聞出版)

かつて、一番多い年には年に5回も沖縄を訪れていたものだが、近年はすっかり行かなくなってしまった。フルマラソンを走らなくなったこと、コンクールを受験しなくなったこと、「飲み」の楽しみがわりと身近に充足されるようになったことが大きい。

もう一つ、自分にとってけっこう大きいのが、「恥ずかしくて行けない」という理由である。辺野古の新基地建設が始まってしまったからだ。旧態依然たる植民地支配を続けている国の人間であるという自覚があれば、のうのうとその土地に足を踏み入れることは躊躇せざるをえない。

しかしこの本を読んで、やはり、いずれ行かねば、という思いに駆られた。そしてもちろん、その折には辺野古を訪れるのだ(辺野古に限らないけど)。

日本社会が全身から発散している沖縄へ向けての差別と偏見が、真剣に闘っている者に対する嘲笑と冷笑が、それだけ行き渡っているということだ。(本書「あとがき」より)。

西村博之や堀江貴文、高須克弥といった下卑た薄笑いを絶やさない連中に象徴されるように、沖縄の問題に限らず、物事を真剣に考えない、それどころか真剣に考えること自体を嘲笑する風潮が、今のこの社会に広がっているように思う。「闘う君の歌を闘わない奴が笑うだろう」という歌詞そのままに。

 

 

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