『ナイン・ストーリーズ』に続いて、こちらも。
いつもの駅前の書店で、定番の野崎歓訳か村上春樹訳のどちらかを買おうと思って書棚を探したら、2冊が隣り合って陳列されていた。こういうのが本好きの心に訴えるところで、新潮文庫はともかく、白水社なんて、この規模の本屋では独立した棚が用意されているわけでもないから、野崎訳だけが他の新潮文庫と一緒に置いてあって、村上訳はさてどこだろうと探すことになるより、よっぽど親切である。
両方をパラパラとめくってどちらにするか考えたのだが、昔読んだ野崎歓訳にも、自分はそれほど思い入れはないなぁと感じる。村上訳について好意的でない評価があることもちらりと聞いたし、そもそも清水俊夫訳の『長いお別れ』になじんでいた私としては、村上訳の『ロング・グッドバイ』は数ページ読んで放り出すくらいにダメだったので、彼の翻訳が特に好きというわけではない。でも、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』はそれほど思い入れがないせいか、悪くない訳のように感じたので、そちらを買ってみた。
で、実は若い頃(たぶん高校時代?)に読んだときはそれほどの作品とも感じられなかったのだが、今回はえらく面白かった。何となく無軌道で破滅的な若者の話のような印象があったけど、全然そんなことないのだな。いや、そうなのかもしれないけど、いま読むと、そんな感じはしない。以前よりずっとホールデンに共感できるのが不思議なほど。
この作品を宗教的な視点から解釈する読み方というのはいくらでもありそうだけど、それはさておき、クリスマス前のこの時期に読むと、なかなかつきづきしいものがある。
現代の読み手からすると、同性愛嫌悪がものすごく自然な感情として描写されているように思えるところがいろいろ考えさせられる。影響力のあった作品であることを思えば、ごく自然に「そういうものだ」と刷り込まれた人も私たちの世代にはけっこう多いかもしれない。