ラグビーを愛好する者として、やはりアイルランドという「くに」は特別な存在である。ワールドカップを契機にそのへんの理解はだいぶ広がってきたと思うが、ラグビーの国際試合における「アイルランド代表」は、アイルランド共和国の代表ではなく、アイルランドという「しま」、つまりアイルランド共和国と英領北アイルランドの連合によるものであり、したがって、国際試合で歌うアンセム(日本代表なら「君が代」)も、アイルランド共和国国歌ではなく、その目的で作られたものだ。我々はアイルランドの召命(Ireland’s Call)に応じて4つの地方(Province)から肩を並べて立ち上がる、という、控えめに言って「熱い」曲である。
さて、そういう「アイルランド」に触れていると、現状では2つに分かれている「しま」を統一しようという動きはあるのか、それとも宗派の違いに根ざす過去の対立は今も深く根ざしているのか、英国のEU離脱で、そのへんはどうなっているのか、みたいなことが気になってくる。
で、元々はそういうリアルタイムな現代史や社会事情に詳しく触れている本を探していたのだけど、なかなか見つからない。
本書は、その意味では「これは私が求めているものとは違うんだろうな」ということを承知のうえだったのだけど、あえて手に取った。Amazonの紹介を見ていたら、それでもやっぱり面白そうに思えたからだ。何しろこちらは、four proud provinces of Irelandの名前と位置関係さえも分かっていないアイルランド初心者なのである。
著者についてはよく知らないのだけど、詩を主な対象とする文学研究者と思われ、この本ももっぱら、今日のアイルランドの情景をイェイツやジョイスを筆頭に主として文学の視点から描いていく内容。文章は抑制がきいていて美しく、取り上げられている作品に馴染みがなくても読み進むのが苦にならないほどに親切である。
印象的だったのは、民話や民謡に近い詩的なテキストについて、普通であれば「翻訳」と言うべきところを「吹き替え」と書いているところ。「では、この歌の一部をちょっと吹き替えてみよう」みたいな感じで。最初はけっこう違和感を抱いたのだが、そうか、冒頭の部分にも示唆されているように、この著者はそれが「声」として聞えてくることを大切にしているから、「翻訳」ではなく「吹き替え」と書いているのだろうな、と察せられる。そして、確かにその意図は成功しているように思われる。