9月上旬、いつもの駅前の書店でふとこの本が目に入り、サリンジャーはそれほど思い入れのある作家ではないのだけど、著者の名前に懐かしさを覚えて手に取った。パラパラと立ち読みしたところ、どうやら少なくとも『バナナフィッシュにうってつけの日』(『ナイン・ストーリーズ』所収)と『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んでおいた方がよさそうで、その二冊を読み終えるメドが立ってから、こちらも購入(『ナイン・ストーリーズ』の最後の一篇『テディ』も本書を読む上では重要)。
自転車通勤の最大の難点は通勤時間中に本を読めないということなのだが、本書を読み終えるまでは、天気が良くても自転車通勤を断念するほどだった。
つまり、それくらい面白い。
そして、読み終わった後、せっかく「予習」として読んだ二冊をまた読み返そう(というより、本書を読みつつ、座右に置いた件の二冊のページをめくることも多かったのだが)、さらには他のサリンジャー作品もすべて、ひょっとしたら原語で読もうかという気になっているのだから恐ろしい。本書の「謎とき」においては「そんなの、他の作品も全部読んでなかったら知らないよ!」と言いたくなる部分もあるのだけど、むしろ「それなら他の作品も全部読まなきゃ」と思わせるところ、著者としては英米文学業界に貢献するところ大と言えよう(といっても、上記二冊はさすがに読んでおいた方がいいと思うが、他は本書中で丁寧に言及されているので、先にこれを読んでしまっても大丈夫)。
小説を読むのは好きだが研究者ではないので、最近の文学評論の趨勢がどうなっているのかさっぱり分らないのだけど、素人ながら、この本はテクスト批評と作家理解のバランスが取れているように感じる。第二章・第三章あたりの時間論的な部分は読者によってはハードルが高いかもしれないが、曲がりなりにも哲学科出身としては、そのへんはむしろ馴染み深い領域なので特に興味深かった。
ビリヤードの比喩が何度も繰り返し出てくるのは、もちろんサリンジャーの作品中で言及されているからという理由が大きいのだろうけど、そういえば我々が大学に在学していた頃にプールバーなるものがやたらに流行っていたのだよなぁ、などということも思い出す。
ああ、この本を学生の頃に読んでいたら、ひょっとしたら私も文学研究を志していたかもしれない。たぶん著者の研究室は優れた文学研究者を輩出している(&することになる)のだろう。何より、「あとがき」で触れられている研究室の雰囲気がいかにも楽しそうで羨ましい。