2021年に読んだ本」タグアーカイブ

川添愛『ふだん使いの言語学』(新潮選書)

これまた翻訳業界の人がTwitterで言及していたのが気になり、図書館で借りたのだが、「山の家」に移る前に返さなければならず、結局kindleで購入して読了。

使い慣れた言語(というか、まぁ母語)を使う際には、文法を特段意識することなく、実にいろいろなことを「これは自然、これは不自然」と判断しているのだなぁということがよく分かる。私自身はやらないのだけど、和英翻訳の場合はほぼ必ず英語のネイティブスピーカーにチェックを頼むのだけど、母語のレベルでこれだけ直感的に良し悪しが判断できるのだから、その分、母語でない言語に関しては難しいことになるのは当然だよな、という気がする。

読みやすい文章を書く助けにはならないが、読みにくい文章を書かないようにするには有益な本。

原田マハ『異邦人(いりびと)』(PHP文芸文庫)

以前から著者の名前はときおり目にしていたが、作品を読むのは初めて。

人気があるだけあって読ませる。他の本と平行して読んでいたので寝る前に一章ずつくらい読み進めていたのだが、中盤を越えてから我慢できず、電車通勤の日に持ち出して一気に読んでしまった。

そうしたストーリーテリングの巧みさと、わりと癖のある、親しくお付き合いしたいかと言われると必ずしもそうは言えないような登場人物を魅力的に描く力を感じる。

とはいえ、他の作品も次々に読んでいきたいかと言われると、そこまでではないかな…。まぁそう思わせる作家というのはほとんどいないのだけど。

この冬にはWOWOWでドラマ化されるとのこと。テレビドラマを観ることは皆無に等しいのだが、この作品については妙なご縁もあるようなので、ちょっと観てみようかと思っている。

 

高橋敏之『英語 最後の学習法ー英字新聞編集長が明かす「確実に効果の出る」メソッド』(ジャパンタイムズ出版)

ふと思い立って、このところTwitterで同業者のアカウントを積極的にフォローしているのだけど、たぶんその中で誰かが紹介していて気になった本。

私の英語の能力は「読む」方に突出していて(といっても特に読むのが速いわけではないので、やはり「翻訳」の能力と言うべきか)、書く聞く話すはかなりダメなので、もちろんこの本に忠実に勉強し直してもいいのだけど、とはいえ「読む」や文法に関しては問題ないので、かなり取捨選択が必要。

むしろ、フランス語の勉強に応用するという意味で有益な本だった。英語ほど学習用の素材は充実していないだろうが、方法としてはほとんど共通するはず。

もちろん、本書の本来の想定どおり、英語の勉強方法を模索している人には非常に有益な本だと思う。

 

岡嶋裕史『大学教授、発達障害の子を育てる』(光文社新書)

『セキュリティはなぜ破られるのか』『ブロックチェーン 相互不信が実現する新しいセキュリティ』『5G 大容量・低遅延・多接続のしくみ』(いずれもブルーバックス)と、IT系の著作をいくつか読んできて気に入っている著者。

本書はタイトルからするとまったく別の、著者にとっては畑違いであるはずの育児・障害児教育分野の本なのだけど、自閉症について考察・説明する場合でも、IT方面の著書で見られた巧みさが遺憾なく発揮されているところが面白い。発達障害の子について、「CPUの性能が悪いとは限らないが、ただしインプット/アウトプットといったユーザーインターフェースがうまく機能していないコンピューター(だからすごく扱いにくい)」という喩えは秀逸だと思う。

そして、知性のあり方というのは実に多様なのだなぁという思いを抱く。

 

奥泉光『東京自叙伝』(集英社文庫)

インパクトはあるし、決して平凡な小説ではないし、面白いのだけど、では人に勧めるかと言われると難しい作品。拒否感のある人は全然受け付けないのではないか。

東京の「地霊」が憑依した(というか、人格として表出した)6人の登場人物が、自分が「地霊」の顕在化であった時期について思い出を語るという体裁(後から調べたなどの形で、それ以外の時期について語られる部分もある)。

…と書いても何が何やら分からないだろう(笑) この書評は優れているが、本作を読んだ後だからそう思えるのであって、これだけ読んでも何を言っているのか分からないかもしれない。『福翁自伝』のパスティーシュであるという指摘は、なるほど。私は『福翁自伝』をたいへん面白く(エンターテイメントとして)読んだので、本作にもわりとすんなり入れたのかもしれない。

やや仕掛けに溺れているような印象であり、「あれは私だ」や複数の「私」が遭遇する場面は、途中までは「おおっ」と思わせるが、あまりにも多用されるのでやや食傷してくる。それにしても、そういう仕掛けにまで馴染んでしまい食傷などと言い出すのだから、読者の適応力というか消化力というのは、恐るべきものだなと我ながら思う。

…と書いても、伝わらないだろうと思う。読むしかない。が、読後感はあまりよろしくないだろう。「読後感が良くない」というのは、私にとってはその本をけなす理由にはあまりならないのだが、とはいえ、強いてお勧めはしない。

しかし、オリンピック開催が強行され、その結果次第によっては、これを読んでいるかどうかで、その状況の捉え方がけっこう変わってくるかもしれない。

新保信長『声が通らない』(文藝春秋)

図書館の新着書コーナーにあったので、つい手に取った。

かつて零細社会人劇団で活動していた頃、稽古後などにメンバーで飲みに行くと、注文の時に誰がいちばん店員さんを振り向かせるのが上手いかを競ったりしたものだった。この本でも語られているように、やたらに大声を張り上げるのではなく、狙いを定めて声を届けるのがコツだということは、そういう経験を通じて分かっているし、それができずに著者のような悲哀を味わったことはあまりない。

とはいえ、「通る声」を模索して専門家に取材したり諸々のボイストレーニングを試す著者の悪戦苦闘は、文章の巧みさもあって、とても面白く読める。

そして「声が通らない」とは少し違うのだが、私にも著者と同じ悩みが…。

「名前を聞き取ってもらえない」である。

私は電話でお店の予約を取るときなどは、家人の旧姓を借用してしまうことも結構ある。その場合は、漢字を間違われることはあっても、聞き取ってもらえないことは、まずない。

同じ姓ですごい有名人とか出てくれば楽になるんだろうけどなぁ。たとえば「羽生」は、聞き取ってもらえない場合でも「羽生結弦のはにゅうです」とか「羽生善治のはぶです」と言えば分かってもらえるだろう…。

シンジア・アルッザ 、ティティ・バタチャーリャ、ナンシー・フレイザー『99%のためのフェミニズム宣言』(惠愛由・訳、人文書院)

常々、フェミニズムというのはもちろん女性だけの運動ではないし、そもそも、フェミニズムによって男性もまた救われ解放される、という認識をもっている。したがって「99%のための」であれば当然自分もそこに入っているはずだよなと思って、この本を手に取った(社会階層的には十分に恵まれている方だと自覚はしているが、いくら何でも1%の側ということはあるまい)。

本書の「リベラル・フェミニズム」(リーン・イン・フェミニズム)への批判や、「多様性」がネオリベラリズムに利用されてしまう構図の指摘などは、たいへん刺激になるし、今後の思考や行動を変えていくキッカケになるような気がする。「飛び散った破片の片づけを圧倒的多数の人々に押しつけてまで、ガラスの天井を打ち破ろうとすることに興味はない」という比喩は秀逸。

そういった意味でも、まさに今読まれるべき本だとは思うのだけど、残念ながら、翻訳がよろしくない。訳者はまだ若い人なので、これからということなのだと思いたいが、う~ん。まぁ私の過去の翻訳にも、すべて回収して焼き捨てたいほど酷いミスがあったからなぁ…。いちばんガックリ来たのは、テーゼ10の末尾、原文 “Not in our name.” が「私たちの名を語るな」になっているのだけど、ここは「騙るな」だろう。ボールド表記で強調されている部分だけに、この誤変換はちと辛い…。もちろん、翻訳の点を割り引いても良い本だとは思うのだけど。

というわけで、こういう場合のお約束ということで、原書をkindleで購入してしまった。

 

 

 

鴻巣友季子『翻訳教室 ―はじめの一歩』(ちくま文庫)

日頃からTwitterで著者の発信を興味深く読んでいることもあり、また先日読んだ『獄中シェイクスピア劇団』がたいへん面白かったこともあり、あまり私向きではないタイトルではあるが、購入。

「あまり私向きではない」というのは、曲がりなりにも実務翻訳の仕事を続けて30年くらいになるので、いまさら「はじめの一歩」でもなかろう、という意味。

そもそも私は翻訳を志したことは一度もなく、今この仕事をしているのは偶然の産物にすぎない。しかし、もっと若い頃、たとえば高校生の頃にこの本を読んでいたら、どうだっただろうか。真剣に翻訳家の道をめざしていたかもしれない。

つまり、本書はそれくらい面白さと感動に溢れた本である。感動というと大げさに聞えるかもしれないが、いや、子どもたちの訳文を読むと、なんだか本当に泣けてくるのだ。

「こういうのは、こう訳す」みたいな話は皆無に等しいのだけど、原文に向き合うときの態度といった面では、文芸翻訳ではなく実務翻訳の分野であっても妥当するアドバイスはいくらでも見つかる(あえて付け足すとすれば、「悩んだときには原文を何度も音読してみる」くらいかな)。

私がこの本を読む直前に、「めいろま」氏が翻訳という仕事について「他人の言葉を訳すばっかりで自分の意見を言うわけでもなく、全然面白くもない」とTwitterに投稿していたのだけど、そういう勘違いをしている人に読ませたい本である(読まないだろうけど)。

いずれにせよ再読必須。一気に通読したけど、次は付箋貼りまくりかも。

 

岡嶋裕史『5G 大容量・低遅延・多接続のしくみ 』(講談社ブルーバックス)

著者の別の著作を読もうと思って検索していたら、この本も目に留まったので読んでみた。

1G(という表現はなかったのだが)から5Gに至る流れを把握する上で分かりやすい本。

本当にこの著者は説明がうまいなぁと思う。これまでに読んだ、同じくブルーバックスのセキュリティやブロックチェーンの著作に比べると、本書はやや冗長にも思えるが。

その先の未来について論じる部分はやや薄っぺらいようにも思うが、入れたかったのだろうなぁ。

加藤陽子『とめられなかった戦争』文春文庫

日本学術会議の新会員に推薦されたが菅義偉によって拒否された歴史学者の著作。

愚行を「とめられない」状況が迫るなかで、誰かがこの本を挙げていたので読んでみた。

サイパン陥落→日米開戦→日中戦争→満州事変と、時系列的には遡っていく順番で書かれているのだが、さらにもっと先に、日露戦争での「勝利」の記憶が示唆される。確かに、いま愚行を止められない人々も、子どもの頃の「それ」を記憶している世代が中心なのかもしれない。かつての「それ」とはまったく別物になっている、というのも、この本で語られている内容と重なってくる。

それにしても、第二次世界大戦中の日本の死者(軍民合わせて)のほとんどがサイパン陥落以降の終盤に集中しているというのは、負け戦なのだから当然とはいえ、慄然とする。つまり、「ここで止めていれば死なずに済んだ人」が膨大にいた、ということなのだが。