大西隆、他『集落再生~「限界集落」のゆくえ』(ぎょうせい)

疋田智さんのメールマガジンで知って、興味を惹かれて読みました。

縁あってここ数年訪れることの多い八ヶ岳山麓にも、実質的に耕作放棄された農地はけっこうあるようで(家人の両親はそういう農地を借りていろいろ作っている)、高齢化は言うに及ばず、本書でも触れられている不在地主化(要は、都会に出てしまっている子どもが相続することで、住民以外が所有する土地が増えている)も進行しているはず。

我々が訪れる地域はけっこう前からの別荘地開発が成功していることもあって、そのあたりの人口による需要があるのか、若い世代が新しい飲食店をやっている例もかなりあって、あまり心配はなさそう。とはいえ、そもそも別荘族じたいの高齢化が進んでいる(若い世代は魅力を感じないらしい)ようなので、いつまでも当てにできるのかどうか。

そういう関心がもともとあったので、気になったのです。

基本的には真面目な論文集で、いちおう全体の流れはあるのだけど、一番面白かったのは最後の1本かな。いわゆる限界集落の問題は、石油依存・大量消費の都市中心文明じたいの病であって、再生エネルギー中心・循環型・持続可能な文明への移行にともなって、むしろ中山間地域の都市に対する優位がクローズアップされる、というビジョン。その文脈で、都市郊外の集合住宅などの高齢化ペースが、中山間地域のそれを上回るという展望は、けっこう衝撃的でした。

そういえば、上述の不在地主化について「こういう状況は荘園制以来ではないか」みたいな表現があって、その歴史的な視野に「おおっ」と思ったのも印象的でした。

さて、そんなわけでけっこう興味深く読んだのだけど、この本に限らず、なんかこういう論文集の類を読んでいると、「きちんと整った文章を書く」訓練って、学者・研究者と言われる人たちのあいだでもあんまりしっかり行われていないのだなぁとつくづく思います。編集者がきちんと介入していれば防げるはずの「てにをは」レベルの問題とか、修飾語の順序をもう少し考えれば読みやすくなるのにとか、読点の打ち方の問題とか(まぁ安倍首相の文節区切りの酷さよりはマシですが)……。

むろん、以て他山の石、なのですが。

 

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