魯迅と言えば確か中学校の国語の教科書に載っていた『故郷』と、たぶん『藤野先生』くらいは読んだかはずだが、有名な『阿Q正伝』や『狂人日記』は読んだことがなかったなぁ、と思い、読んでみることにしたのだが、新訳も出ていることを知り、それほど長い作品でもないのでいくつかの作品だけでも読み比べてみよう、と両方に手を出した(結局二冊ともすべての作品を読んだ)。
いったいに短編小説というものは、読者にとっては読むのに時間を要さず気軽に読める一方で、「そもそもどういう話なのか」が捉えにくく難解に思えることも多いように思う。魯迅の作品集にもそういった難解さはあるが、それでもとにかく、その状況の中での人間の悲哀や愚劣さ、それに対する作者の冷徹でもあり温かくもある眼差しはまっすぐに伝わってくる。
代表作である『阿Q正伝』については、今回魯迅の作品を読むきっかけとなった、日頃お世話になっている自転車屋の主人のブログの作品評がまことに優れているので、それを是非読んでいただきたい。→「阿Qとその周辺・・・」
定番である竹内好訳と新しい藤田省三訳の比較だが、なるほど「新訳を出さねば」という志にふさわしい成果は出ているように思う。竹内訳にどのような不満や異議を抱いて新訳に臨んだかについては、藤田訳のあとがきに詳しく書かれており、それを信ずるのであれば、むしろ新訳の方が取りつきにくいものになっても不思議はないのだが、そうはならないところが時代の差でもあり訳者の工夫でもあるのだろう。訳出の方針以外にも、藤田訳のあとがきは大江健三郎や村上春樹への言及など、なかなか面白い。
といって、竹内訳はもう捨て去っていいのかというと決してそのようなことはなく、とにかく、作品に描かれている社会の文化や慣習、制度などが訳注で丁寧に解説されているのが有難い(煩わしく感じる人もいるかもしれないが)。その竹内訳を先に読んだからこそ、藤田訳をすんなり読めた部分も大きいかもしれないので、藤田訳を上に評価するのはフェアではないかもしれない。もちろん、私も含めた、一定の年齢より上の世代が読んできた魯迅作品というのは、竹内訳がベースになっているのだろうし。
二つの訳の比較はともかく、ふと、国語の教科書に『故郷』を載せることを選んだ教科書編纂者が子どもたちに何を読んでもらいたかったのかというところに、思いを致してしまうのだ。