メレディス・ブルサード『AIには何ができないか: データジャーナリストが現場で考える』(北村京子・訳、作品社)

何かのきっかけで知って、図書館に予約を入れてあったのだけどだいぶ待たされた(私の後ろにもだいぶ予約が入っている)。

で、たまたま例の大澤昇平の一件を考えるに良いタイミングで読むことに。大澤は、自身の下劣さを隠すためにAIに言及しているだけのように見えるが、この本を読むと、それは彼の個人的な資質ではなく、AI(というかSTEM=Scicence, Technology, Engineering and Mathematics)分野の社会的・歴史的な特性なのではないか、という視野が得られる。つまり、ジェンダーや人種・民族に関する差別意識やリバタリアニズムとの親和性、ということだが。

この本では、汎用型AIと特化型AIについて「想像」と「現実」を区別する必要を強調したうえで、「現実」である後者について、それがなぜ、どのように人間の介入を必要としているのかを説明していくのけど、技術的な部分よりも、社会的・歴史的な文脈に分け入っていく部分の方が面白く有益であるように思う。具体的には、第6章「人間の問題」と、第9章「『ポピュラー』は『よい』ではない」かな。

「当然知っているはずなのに、そこに触れないのはどうなの?」と思う部分はあるけど(コンピューターの歴史のなかでライプニッツに言及しつつ彼が2進法の元祖であることに触れないとか)、まぁ大きな傷にはなっていない。

特化型AIだけに絞って書かれたものなので、哲学的な考察がほぼ皆無なのが物足りないといえば物足りないけど、いまの社会が陥りがちな技術至上主義(テクノショービニズム)に対する批判という位置づけでは、良書だと思う。

ジャーナリストの筆になる本だけあって、読みやすい。訳も悪くないと思う(「ローンチ」の多用はどうかと思うけど、まぁ時代的に許されるか)。

【追記】あ、あと索引がしっかりしているのが有り難い。

 

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