福永武彦『完全犯罪 加田伶太郎全集』(創元推理文庫)

Twitter上でのひょんなやり取りから、これも確か中学生の頃に読んだのを懐かしく思い出し、図書館で借りてみた。

短編集なのだが、いくつかは犯人(というかトリック)を覚えていたな。

しかしこの作品集に限った話ではないのだが、どうもこの種の「本格派」とされる推理小説も、多くは、恐怖心や暗示など人間の心理を中心に、偶然の要素に依存しすぎのような気がする。

たとえば有名なクリスティの『そして誰もいなくなった』にしても、「たぶん○○はこう行動するはずだ」という犯人の読み(というより実際には願望に近い)どおりに他の登場人物が動くからこそ、あの奇妙な状況が実現するのであって、そのうち一人でも「いやいや、ここは一つ落ち着いて」と冷静になってしまったり、ふと気まぐれな行動を取ったりすれば、犯人の描いた図式はガラガラと崩れてしまいそうである。

将棋にココセという言葉がある。語源は「相手がこう指してくれたら、こうなって、こうなって、うまくいくのになぁ」という願望→「ここに指せ」という念→縮めて「ここせ」…ということらしい。用法としては「ココセみたいな手を指して負けちゃったよ」みたいな感じ。相手の注文にスポンとハマってしまったということか。

つまり推理小説においても、「ココセ」頼みで成立している「完全犯罪」がけっこう多いような気がする。犯人に「プランB」がないところが物足りない。

逆に、犯人が意図したとおりに状況が進めばわりと簡単な事件だったはずなのに、思わぬ予定変更を強いられたせいで却って迷宮入り、みたいな推理小説があれば読んでみたいのだが。

まぁ有名な古典的作品を昔いろいろ読んだわりには忘れているので、読み返せば感心するようなものもあるのだろうけど。

 

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