野矢茂樹といえば、この人が訳したウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』(岩波文庫)や、『「論理哲学論考』を読む』(ちくま)を買ったのだけど(そしてそのまま読んでいないのだけど)、わりとムズカシイ本格派の哲学者という印象だった。『哲学の謎』を読んだような気もするけど、記録が残っていない……。
ところが、塾講師として国語を教えている友人から、この人の文章は中学入試だかによく出るという話を聞き、「え、あの人がそんな子どもに読めるような文章を書くのか?」と意外に思い、教えてもらったのがこの本。
確かにとても柔らかい感じで書いていて、省略の使い方がうまいのか、文章にリズムがある(印象としてはちょっと伊藤礼さんの文章に似ているかもしれない)。とはいえ内容はけっこうしっかりしていて、哲学者は何をやっているのか、ということも良く伝わってくる。
そうか、文系理系という分け方ではなく現実系妄想系という分け方はどうかという提案は、そういえばこの人だったか。
本書のなかに、論理的な話をするうえでの接続詞の大切さという、まぁ当たり前のことを改めて書いている一篇があるのだけど、それを読んでいて、ふと思い至った。安倍首相が「いわば」「いわゆる」を多用するのは、その頻度の高さからして、このへんの言葉を接続詞と勘違いして使っているのではないか。そしてもちろん、これらは接続詞ではないので、挿入しても、論理どころか何の意味もなしてはいない……。